サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

82.やばい!

 やばい!今年はやばい事になりそうである。何がやばいかと言えば、当然の事ながらあのチームの快進撃である。例年ならこの時期になるとそろそろ今シーズンに見切りをつける頃であるが、春の珍事に始まり、夏を迎えるというのに未だに珍事が続いている。(写真提供:吉川晋也さん「虎幟」)

 勿論このチームを知っているものなら誰でもこの時期に「優勝」などという軽薄なことが例え思っていても言えるわけがない。考えてみるが良い。何年ぶりかで1位に踊り出た一昨年ですら、出た途端に北陸シリーズで星野監督率いるに中日ドラゴンズに3タテを食いそのままずるずると奈落のそこに沈み込んだのである。

 今騒いでいるのは時代の流れに迎合したエセ虎ファンか、勝ち負けなどどうでもよいノウ天気な風俗ファンということになる。それなら「以前にもう応援しないって言ったじゃないか」という声が聞こえてきそうであるが、そこはそう自分に言い聞かせているのであって、政治的信条と同じに簡単に抜け出せるものではない。

 球場に足も運ばず年季の旧さだけ誇っても仕方がないが、そもそもこのチームと付き合い始めたのがおそらく昭和23年ではないかと思う。なぜなら22年には1リーグ制の中で優勝しており、このときの記憶はないが、24年の2リーグ分裂で、当時の主力選手がゴソッと当時の毎日オリオンズに移籍し、悲哀を囲ったわけであるが、この時はれっきとした虎ファンだったのである。

 以後苦節54年間に裏切られつづけ、世の罵声に耐えてきたのである。勿論勝負は時の運、何処かの「金満チーム」のように他球団が手塩にかけて育てたスター選手を根こそぎかき集めてまで勝てばよいなどと品のない事は考えていない。だが、せめて半分ぐらい勝って勝利の快感で、負けた悲哀を癒してくれても良いのではないかと思うのである。
 ところが過去54年間のうち優勝の快感に酔いしれたのはたったの3回である。思えば弱い星の下に生まれてきたと我が人生の不運をうらんだりしたのである。

 ところが今年はどう間違えたか春先のオープン戦からいつもの年と違った展開になっているのである。勿論これには星野監督という優れた指導者に変わったこともあるが、前監督も多少の陰鬱さはあっても名監督である。だからといって長年の虎ファンとしたら根こそぎ勝てばよいなどと不人情なことは考えていない。せめて半分だけでも良いから爽やかな日々をすごしたいというささやかな願望があるだけである。

 過去においては優勝などということはシーズンが始まって1ヶ月もたてば放棄することになり、後は勝利の快感など1週間のうち2回もあれば上出来で、大方はせいぜい1回の快感に終わるのである。
 それも日曜日に勝ってくれると試合のない月曜日を含めて、翌週の火曜日の夕方まで、間が良くて結果を聞かないでいると水曜日の朝刊まで快感を持続できるのであるが、ここ数年は日曜に限って負けていたから鬱状態がそれだけ長くなるのである。

 それが今年は4月だけで17 勝もしてしまったのである。これはいくらなんでも少し勝ちすぎではないかとい う心配が顔を出してくるのである。何故心配かといえば、今があまり似合わないからである。似合わないということは無理をしているわけで、このチームの実力を考えると間もなく例年通り裏切られるのではないかという不安があるのである。

 長年の虎ファンが願う勝利というのは、なにもペナントレースに限ったことではない。オープン戦であろうと2軍戦であろうと勝てばなんでも良いのである。それが今年はオープン戦で15勝もしたのである。そうなると年間70勝位は勝ってくれという今年の願望を、オープン戦を含めて4月末までに既に32勝もしてしまったことになり、今年の勝ちゲームはあまり残っていないのではないかと思うのである。

 今現在の残り試合を考えると、間もなくいつもの鬱状態に突入するのではないかと思うと、手放しで喜んでばかりいられない。
 毎年裏切られてきた虎ファンとすれば、今までの快進撃を手放しでは喜べないし、身に染み込んだ心配性というのはそんなに簡単に拭い去れるものではない。したがって、これはやばいことになったと思うのである。尤も、この心配性を掻き立てるところが、心配好きな日本人に受けて昨今の馬鹿騒ぎになっているのかもしれない。
 とは申せ、一度でよいから勝ちすぎる心配をしてみたかったのも事実である。(02.05仏法僧)