サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

88.ワールドカップ


 サッカーワールドカップ決勝トーナメントで我が日本チームは残念ながらトルコに敗れてしまった。破れはしたが文句ない大健闘である。近頃鬱ネタの多い日本においてこれほどの快挙は思い出しても記憶にない。

 元来、サッカー後進国といわれた日本が、世界の並み居る先進国を押しのけて決勝トーナメントまで進出と言うことは、韓国5000年(4000年だったかな?)の歴史始まって以来の快挙以上にわが国では集団生活をはじめた縄文時代以来ということかもしれない。

 そもそもこのサッカーという競技、日本で注目し始めたのは、高々ここ40年程で、かの釜本、杉山、小城などが活躍した日本リーグ時代からである。
 私が小学校、中学校を通じてサッカーらしきものをしたのはたったの一回である。更に高校ではクラブなど勿論なく、地区の体育大会か何かでどこぞの高校が試合をしているのを横目で見て、何たる怠惰なスポーツというのがサッカーに対する永い間での印象である。

 それと言うのも、フォワード、バックスとも自分の前にボールがきた時は蹴り返すだけで、後は突っ立ってボールの行方を見ているだけである。その上技術が稚拙であるから蹴ったボールも思ったところに行かない。そのうちに何かの偶然でボールがゴールに飛び込むか、さもなくば、お互い軍鶏の喧嘩でもあるまいが、無闇に足を上げて蹴り合っているだけである。

 社会人になってからは、何故かラグビーに誘われ何年か籍を置くことになるが、もともとそれほどの体に出来ていないから大成することなかったが、今でもアマチァースポーツの権家といわれるスポーツであるから、試合中はもとより、試合後であっても余計な発言など一切許されなかったのである。

 これはワールドカップでも言えることであるが、試合中に選手が相手のファールでもんどりうって倒れるシーンを良く見ることであるが、ラグビーではこれは考えられないことで、倒されても倒れない体力とテクニックをつけるための訓練をつんだのである。

 その後現役を引退して何年かたって、ようやくサッカーが注目はじめた頃、社内でサッカー大会が開かれたのである。これで選手の一人に選ばれて、最初の試合で、何と2得点にからむ働きをしたのである。尤も、次の試合では前日の大酒がたたってなすとろがなくベンチに引き下げられてしまったが、これだけ活躍できたのは、ラグビーに比べてサッカーというのはぶつかっていく恐怖感がないからだと思っている。

 ちなみに、サッカー後進国でありマイナースポーツのアメリカが今回決勝リーグに進出し、大活躍したのは彼らのファイティングスピリットと倒れないサッカーの結果だと思っている。

 それにしても今回のチーム、久々に日本の武士道を見た思いである。勿論、トルシエという優れた指導者がいたことにもよるが、選手個々も実にひたむきで清々しい。以前バレーボールの日本リーグの選手を間近で見たことがあるが、何故かちゃらちゃらしていて、上滑りの人気に溺れている感があったが、今度のチームの選手は誰を見てもシャイで純真で生真面目なかつての日本人の典型を見る思いである。

 この中で戸田選手の髪の色にクレームをつけた偉い政治家がいたが、今時髪の色や髪型にいちゃもんをつけるとは時代錯誤も甚だしい。多分あの政治家は「美容院」はおろか、若かりし頃は国防色の服を着て、坊主頭でしか過ごしたことがないからではないかと勝手に思っている。

 気の毒なのは戸田選手で、せっかくあれだけド派手な赤毛で気分を高揚させていたのに、翌日は髪の色を少し控えめにしてきたため、前に試合ほど活躍する場面が少なかったのは髪の色とともに気分もしぼんでしまったからではないかと、これも勝手に思っている。

 それと、サポーターもいかにも日本人的でよかった。思えば今の若者達は生れ落ちた時から不景気風に晒され、新人類などとさげすまれ、心のそこから喜びを表現したことがなかったのではないかと思うのである。
 それだけにあれ程の大サポーターが心を一つにして一つの目的に向かってまとまったことは近年ない快事ではないかと思うのである。

 かつて60年安保というのがあった。新たに日米安全保障条約を締結することに対して、学生と労働者が猛烈な反対闘争を繰り広げたのである。ことの良し悪しは別として、当時、この闘争に参加したものはそれなりに国の将来を憂いていたのである。
 結果は学生と労働者側の敗北であり、その後学生たちの闘争は更に先鋭化し、浅間山荘事件を持って国内の政治闘争は実質的な終焉を遂げ、以後は無関心派の跋扈する世の中になったと思っていた。

 ところが、今回のワールドカップで、この若者達があれだけ集まったのである。しかもこれはテレビなどで目にするだけで、実際はその何百倍か分からない、多分若者のほとんどがこのワールドカップに関わっていたと想像すると日本も捨てたものではないなとつくづく思うのである。

 それにしても、音楽もない、サッカーもない我等が世代、時代の流れをつくづく感じるとともに、ここでも自分の居場所が見つからないような戸惑いを感じるのである。(02.06仏法僧)