サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

14.若乃花引退

 とうとう若乃花が引退してしまった。29歳の引退は余りに早すぎる。しかし若乃花ほど入門から現在の地位に至るまでファンから愛された力士は知らない。

 初代若乃花も当時は小部屋であった花篭部屋にあって小部屋の悲哀をなめながら努力して名横綱になった人である。ただ先代の場合は横綱になってからは栃錦とともに角界を二分する強い横綱であり、その強さとともに苦虫を噛み潰したような厳しい表情から異を唱える人もあるかもしれない。しかし今の若乃花を悪く言う人の話を聞いたことがない。「お兄ちゃん」の愛称どおり誰からも好かれた力士である。

 思えば若乃花は2年前に千代大海と優勝を争った時にすでに引退を考えていたのかもしれない。際どい勝負であったが、勝った千代大海に対して観衆が一斉に立ち上がって狂喜するのを見た時、若乃花は今まで相撲協会の発展のために努力してきたのは何であったかのか砂をかむような気持ちでこれを見つめたことだろう。

 当時は毎場所双子山勢の活躍が目を引き、そろそろ新しいヒーローを期待している時期であったかもしれない。こんなときに起きたのが親方株を巡る脱税事件であった。これを機に一斉に双子部屋バッシングが始まったと思う。親方株に限らず相撲世界のことは我々巷の人間が考えていることとまったく違うものだと聞いている。そのことは相撲関係者が一番よく知っていたことである。それなのに双子山バッシングが起きた。それには双子山元理事長の影響下で起きた鏡山理事(元柏戸)の降格問題が端を発していると勝手に考えている。それと双子山勢の活躍に対する僻みも加わったと思う。

 そもそも二子山部屋の全力士(多分)はどこかの部屋と違って、素質のある完成しつつある力士を連れてきて幕下付け出しで、スタートさせるのと違い、前相撲から鍛えて一段ずつ這い上がってきた力士ばかりである。その意味では若貴を指して「角界のサラブレッド」というには少し抵抗がある。血の繋がりだけで横綱になれるものではない。

 この頃、双子山勢の気力の衰えが目に付き、この傾向が先場所辺りまで続いていた。若乃花が引退の記者会見でいみじくも言った「体力を支える気力がなくなりました」とはまさにこのことである。体重制のない格闘技で体力に大きく勝るものに対抗しようとすればそれに打ち勝つ気力がなければ勝負にならない。それだけでも若乃花は相撲の面白さを存分に発揮してくれたのである。

 場所に復帰するのが早すぎたという人もあるが、私はそうは思わない。体力の衰えは後のトレーニングで何とか回復できるかもしれてない。半年以上も場所から離れることによって日に日に萎える気力や相撲に対する執着心を何とかしなければならないと若乃花自身が一番感じていたことだろう。

 それにも輪をかけて若乃花の気力をそいだのはあの家庭問題であろう。引退会見でいみじくも言った「マスコミの皆さんには大変お世話になりました」というのは心無いマスコミに対する痛烈な皮肉であったと聞いたのは私ばかりではあるまい。今になって考えればあのことは一体何であったのだと思う。

 あることないこと織り交ぜて連日マスコミで取り上げられ24時間取材攻勢に攻め立てられれば、どんな夫婦でもおかしくなる。それも20代の若夫婦である。そういえばすぐに誰かが横綱の品格を持ち出す。力士は土俵のうえで品格を示せば良いのであって、家庭のことはあくまでプライバシーの問題である。あの取材攻勢の最中に若乃花側から「重大発表があります」というマスコミに対するアナウンスがあった。しかし実際の会見は後援会の人のどうということもない会見だった。私はこのときすでに若乃花の引退の腹は固まっていたとこれも勝手に思っている。

 大体最近のマスコミは詰まらない個人問題を取り上げすぎる。この種のものは余り見ないことにしているが、あのリポーターの得意然とした取材活動を見ていると腹が立つ。どうでもよい下ネタを追いかけるより、もう少しマスコミのもつ社会的使命を認識し、この日本をあるべき方向に導くような活動は出来ないものかと思う。そういうとすぐに言論統制だというような権利だけを主張する声が聞こえてきそうだ。

 若乃花の若くしての引退を惜しむ声があるが、最も大きな痛手を蒙ったのはそのように追い込んだ相撲協会であろう。しゃにむに求めた新しいヒーローの低迷や、二子山部屋の独走を阻止しようとして、新たな部屋の独走を作り上げてしまった。それも二子山部屋とは違ったこの時代日本人がもっとも嫌うエリート集団の独走である。

 若乃花にとって唯一の救いは同じ境遇にあり、高校の後輩でもある好漢栃東との一戦で最後の幕を閉めることが出来たことであろう。それにしても当分大相撲は見たくない。(00.3仏法僧)