サイバー老人ホーム-青葉台物語

40.旨い酒

 わが街西宮は酒どころである。西宮市今津から神戸市東灘区にかけてはいわゆる灘五郷と称して灘の生一本として知られた日本を代表する日本酒の産地である。その起源は今から370年以上も遡る寛永年間と言われており、分かりやすくいえば現在NHKの大河ドラマ「徳川三代」の文字通り徳川三代目の家光の時代になる。
 西宮市の中心部から今の国道43号線のやや南側に下がったところに「酒蔵通り」という通りがあり、この周辺には名前を聞いただけでコマーシャルソングやコマーシャルフィルムを思い出す日本を代表する酒造メーカーが軒を連ねている。
 ただ、震災後はかつての白壁造りの酒蔵も姿を消し、酒造メーカー(造り酒屋)の一部にはこの地から撤退するメーカーもあり、いささか寂しさを増してきたが、それでも威風堂々と立ち並ぶ近代的な酒蔵は圧巻である。
 なぜこの地に「造り酒屋」が出来たかと言えば、かつての西国街道の要衝であり、重要な宿場であったことにもよるが、それ以上にこの地の地下を通る地下水が酒に適していたことによる。
 いまでも「宮水」と呼ばれる井戸が、立派な建て屋に守られて、各「造り酒屋」によって厳重に管理されている。この「宮水」というのは六甲山系を源とする三つの伏流水(地下水)、即ち戎伏流水、札場筋伏流水それに法安寺伏流水がこの西宮で合流して、酒造りに適した水となったのものとされている。
 この「宮水」を分析すると燐の成分が通常の水に比べ10倍も多く、続いてカリュウムカルシュウムなどのミネラルも多く、一方酒造りに有害な鉄分が極めて少なく、適度の塩分を含む水であるそうである。昔から酒は秋口から仕込み翌春から新酒として出荷され、その年の秋まで出荷が続くのであるが、どうしても暑い夏を過ぎると「秋落ち」といわれて味が落ちてくるのであるが、この「宮水」はその酒の味を落とさない水質になっているそうである。
 少なくなったとは言え、今でも五指に余る日本を代表する「造り酒屋」が軒を並べていて、毎年10月10日に「酒蔵祭り」として近郷の「造り酒屋」が集まり、自慢の酒を披露して、盛大に祝うことになっている。
 この酒蔵通り一帯は私の主要な仕事場で、既に就業している会員もおるが、新たな就業場所を開拓する対象として何度となく足を運んでいるのである。この酒蔵通り一帯の「造り酒屋」を訪問していつも感じるのは例外なしに実に気持ちのよい応対をしてくれることである。どちらかと言えば古く臭く厳しい門を入るときはなんとなく躊躇するのであるが、守衛から始まって実に気持ちがよい応対をしてくれるのである。
 昔から「造り酒屋」と言うのはその地域の素封家の事業であり、地域を代表する産業であった。私の小さい頃の印象では国会とまでは行かなくとも地方の議員や長は例外なく「造り酒屋」の主だったような気がするし、そういうものだと考えていた。最近、この酒蔵通りを歩いてみて素封家が「造り酒屋」を開いたのではなく、「造り酒屋」が素封家を育ててきたのではないかと思うようになってきた。
 数ある「造り酒屋」を訪問して一つとして不愉快な思いをしたことが無い。それは厳しい門を入ったときの守衛の応対からして実に心地よいのである。勿論酒と言う特別の大衆商品を作っているのであるから当然と言うこともあるだろうが、大衆商品なら何も酒に限ったことではない。
 考えるに、嗜好品という特殊な商品ではこれは長い伝統の中で、いかにお客に好んでいただけるかということは先ずお客を大切にすることからと言う「造り酒屋」の社員の教育理念によるものではないかと最近は考えるようになった。即ち、「造り酒屋」は酒を作る前に、人を作っていたのではないかと思っている。

 現在の仕事を始めて半年余りになるが、これが営業の仕事だと思っているが世の中の風はまことに冷たいものである。もっとも現在の仕事程度で泣きごとを言ったらプロの営業マンに笑われるだろうが、それにしても世間の風は冷たいものである。

 先日も某Pカソ化粧品と言う会社を飛び込みで訪問したところ、見事に断られた。それも午後1時頃に訪問したところ担当の方が「今食事中なので、30分ほど経ってからきてください」との受付け嬢の話である。ただし「アポイントがなければお会いできるかどうか分かりません」と言うことであり、これはいつものお断りのパターンである。
 見るとさすがに化粧品会社だけあって、一流ホテルのロビーを凌ぐ見事な調度が整えられた立派なロビーである。「それなら今からアポイントを申し込んでおきますので30分後にお目にかかりたいとお伝えください」と少し意地悪く、慇懃に申し入れ、暑い盛りの中を30分たって再び戻ってみると「お会いできないと申しています」とつれない返事である。
 そもそもアポイントと言うのは来訪者の便宜のために取り付けるものであるが、最近は来訪者を断る口実に使われているらしい。断られれば、もともと縁の無い会社と思えばよいのであるが、その断られ方によってはやはりよい気持ちではない。
 これも後学のためと「この立派なロビーは何のためですか」と要らざるおせっかいを焼きたくなったのであるが、受付け嬢にとってはとんだ災難であったかもしれない。
 どだい人を化かすためのものを造っているところと、本物を追い求めているところとの人の造り方から違うのかと、年寄りじみた穿った見方をしたくなるのである。
 この点酒造メーカーの応対は温かい。堂々としていても、決して威圧的でなく、懐広い応対をしてくれるのである。こうした人達によって育まれた「美味い酒」がこの街で造られているのである。(00.10仏法僧)