サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

27.長 髪

 最近髪の毛を伸ばすことにした。一大決心である。考えてみると、高校生の頃、伸びかかった髪の毛を見て、担任の先生から「髪の毛を伸ばすより、頭脳を伸ばせ」と言われて以来、律儀に「普通の頭」を押し通してきた。

 別にこれが気に入っていたわけではないが、多少の伸び縮みはあったとして、大方は同じであり、なぜか大きな冒険は出来なかったのである。ただ一度だけ、田舎に単身赴任していた頃、周りの雰囲気に影響され、パンチパーマをかけようと思ったことがある。床屋の椅子に座り「パンチパーマにしてくれ」と云った筈であるが、何故か床屋には聞こえなかったようであった。いつもどおりの刈上げを始めると、気後れしてもう一度声をかける勇気はなくなってしまったのである。

 大げさに言えばこの時もし、パンチパーマをかけていたら私の人生もまた違った展開になっていたのかもしれない。良し悪しは別にしてである。たかが髪の毛であるが、ヘアースタイルと言うのはなかなか変えられないものである。

 そもそも長髪と言うのにお目にかかったのは、かのビートルズの来日以来であり、常に批判の眼差しで眺め、事実、昔の担任教師同様のクレームを部下の若者につけてきたのである。それがどうして気変わりになったかと言えば、別に意味はない。強いて云えば、髪の毛があるうちに一度試してみたかった程度のことである。勿論、多少は不精と、けち臭さも無いではない。

 それに本人の頭の中に描いているイメージは作家の五木寛之さんのイメージであるが、もともと顔の造作が良くないのだから、似合うはずもなく、イメージとはかなりかけ離れている。そのことは不本意ながら初めから自覚しているのである。それに髪質が、やわらかくて癖があるので、伸びるに従って二転三転と変化してくる。

 さらに、柄にもなく朝シャンをして、ブラシをかけたときはまだ多少は見られるが、時間がたつに従い、髪の毛の水分が少なくなると、異様に広がって、まさにライオンキングである。ライオンキングといってもライオンほど風格があるわけでもなく貧相な顔の周りに、髪の毛がライオンのたてがみのように広がると言うことである。

 伸ばしたついでに最近の若者風に、真中分けをしてみて愕然とした。いわゆるオールバックと言うスタイルでは気がつかなかったが、真中分けにすると頭頂部に行くに従って、頭の地肌が異様に露出しているのである。大雑把に言って四捨五入すると禿げと言うことになる。

 正面を向いて威風堂々と粋がって歩いているときは良いが、他人が振り返ってみたときは思わず噴飯物なのかもしれない。それでも良いのである。この世に生まれ出てきて、髪の毛だけはいささか自然の流れに反してきたような気がしている。一度だけでよいから、今までやせ我慢をして悪態をついてきた「ささやかな願望」を見極めたいのである。

 然らばついでに茶髪にしたらどうかと思うのだが、そこまではしたくない。何故なら、今はまだライオンキングであるが、地肌が透いて見えるところに茶髪では今度はオランウータンと言うことになりかねない。それにこの歳になってようやく獲得したシルバー(銀髪)である。今更格下の銅(茶髪)に戻る積りはない。

 もっとも先を見極めるのに多分そんなに長い期間にはならないと思う。自然の摂理として、意気地のなくなった髪の毛がそこまで伸びるとも思っていない。行き着くところを見極めたら、今度は惜しげもなく、剃髪にし、古希を四国巡礼でもして迎えたいと思っている。

 それにしても我が家族のうるささにはいささか閉口した。娘などはメールで苦情を言ってよこした。無礼である。
あの島倉千代子さんの歌にもあるではないか「女だっていろいろ咲き乱れるの・・・」って。年寄りだって咲き乱れて何が悪い・・・、と思うのだが。(00.6仏法僧)