サイバー老人ホーム

353.薹が立つ

 「薹が立つ」と云う言葉がある。この中の「薹」は聊か難解な字だがトウと読む。文字どおりの意味は、野菜などの花茎が伸び固くなり、食用に適する時期を過ぎた状態を意味するという事である。

 これと、もう一つ、「盛りが過ぎる」とか、「年頃が過ぎる」と云う意味も有り、略して「薹立ち」などと云われている。人間には様々な節目があり、幼年期、成長期、熟年期、老年期など様々に呼ばれているが、取り分け熟年期を過ぎると「薹が立った」と云われているようである。

 ただ、よわい75を超えて果たして「薹が立った」のかどうかわからないが、近頃急速に老け込んできた実感がある。

 そんなことは今始まった事ではないと云われそうだが、最も顕著なのは記憶力が急速に衰えてきたことで、中でも、固有名詞の記憶力は著しい。著名な芸能人など、老夫婦して毎日「あれ何と言ったかな」の連発である。それも、時代が新しければ新しいほど思い出さないので始末に悪い。

 これは何も私だけなく、老人、とりわけ男性、即ち爺さんの場合は顕著である様である。何故爺さんかと云えば長年にわたって続いてきた飲酒の習慣のなせる業である、と確信している。

 酒毒については以前にもこの「雑言」にも書いた(318.百薬の下参照)ことがあるから多くは申すまい。ただ、近年になってから感じた事であるが、我が地域にある年寄りばかりの碁会所に週一で通っているが、何故か抜群に調子が良く、とうとう二段クラスの人とも対等に戦えるようになったと気を良くしていた。

 ところが、これをよくよく考えて見ると、これは囲碁が上達したのではなく、お互いの老人ボケの程度の差ではないかと気が付いたのである。

 何故そうだと考えるかというと、私の場合、今から13年ほど前に脳梗塞を患い、右半身まひの障害者になった。これも、この「雑言」に度々載せているが、この再発を防止するために、発症原因だった高血糖を抑えるために、悪しき食習慣であった飲酒と、過食の食生活を徹底的に制限してきたのである。その結果、並の年寄りよりボケ程度が控えめであったと勝手に解釈している。

 尤も、この中には私の思い過ごしもある様で、現在のところ、私が最も尊敬する作家宮田輝さんの作品「水のかたち」の中に高血糖を防止するには糖質の高い食品はとらない事だと書かれていて、京都の某病院長の書かれた本も出されている。なるほどと思い、忠実に実行していたら、その後テレビで、某製糖会社のCMで糖質は頭脳を高める効果があるという事で、少々私の思い過ごしもあったようである。後日、現在の主治医に確認したところ、「そのとうりだ」という事であった。

 尤も、衰えは記憶力ばかりではなく、75の峠を越えてから性力は勿論、聴力、視力、食欲、歩行力と体全体のすべての機能が衰えてきたようである。これはなにも、私だけの事ではなく、テレビなどでお目にかかる同年代の方々が総じて同じ状態に置かれているようで、総じてこの年頃になると老け込むのが早いようである。

 そこでふと思いついたことがある。今年の四月に、近所の友人達と恒例になっている「青春18きっぷ伊良子岬・伊勢神宮の旅」に出かけたが、この時、私の歩行能力が極端に退化していることに仰天した。

 実は、この事はうすうす気が付いていたが、実際の歩行能力の驚くべき退化が、「薹が立つ」最大の理由であったことに気が付いた。歩行と云うのは、人間の基礎的動作であり、これが欠けると人間としての全ての活動能力が失われていくようである。

 何故そうなったかというと、13年前に右半身麻痺の障害者になり、その後、様々な形でリハビリに取り組んできたこともご承知の通りである。ただ、このリハビリと云うのは医師なり、理学療法士からの指導で動かなくなった運動神経を、さも運動神経が命じたかのように動かすことによって運動神経を復活させることにある。従って歩行などでは足の振り出しから、着地まですべての動作を指示道理に行うことで、歩行速度などには全く思考の外にあったのである。

 それともう一つ、私は現役時代も取り分け特別に運動をしてきたわけではないが、50代に入り現在の関西に越してきて、最初に手を付けたのが、今は亡き愛犬「ペロ」との出会いである。この日を境に、一日二回、各1キロほどの散歩を15年間続けてきた。

 その結果、50代の後半には、北アルプスなどに単独登山できるまでに体力が向上し、病後、13年間に渡りリハビリを続けられたのは、この時蓄えられた体力があったからである。その体力の蓄えを最近になって使い果たしたことが、「薹が立った」原因の一つだったと思っている。

 その後、公道をごく当たり前に歩くというのは全く考慮の中に入っておらず、この状態を13年も続けているうちに基礎的歩行能力が壊滅状態になっていたという事に気が付いたのである。

 そこで、この正当性を裏付ける為に今年の3月から家の近くの公道で、この実践的体験を開始し、土日と雨天の日を除き、毎日午前中は歩き続けているのである。

 その結果、日々の全ての生活テンポが極めて規則なったと思っていること、問題の記憶力の復活はさほどでもないが、少なくとも、常日頃、物を考えようとする意欲は弱冠ではあるが戻って来たような気がする。

 それを表明するほど明確なものはおないが、文章を書くというのは、私の残された唯一の楽しみであるが、いつの頃からか、これが苦痛になり掛けていた。それが最近になって再び書く楽しみが出て来たような気がしている。

 人間、生きて行くためには、美食や、楽しい事も必要だが、体の新陳代謝同様に基礎的な運動と云うのが絶対に必要であり、それを続ける限り老人ボケはないのではなかろうかと最近思い、これからの余生、ここに記載した内容を神様が、「もういいよ」とお声をかけていただけるまで続けていこうと決意した次第である。

 ところで、余談だが、「薹」と云う字は、上段は草冠に「吉」、下段は「冖冠(ワかんむり)に「至」と書かれた当て字を重ねた文字で、本来は「はますげ」とか、「かさすげ」など葉を用いて笠を作る植物という事である。他に野菜類の花をつける茎の伸び出たものという事で、いずれにしても煮ても焼いても食えないというという意味だろうか。

 それにしても、草冠に「古」ならば苦いとか、苦しいという字で、「吉」ならば悪い意味ではあるまい。更に、「冖冠」は覆いをかけた状態を示し、その下の「至」は物の成り立ちを示している。

 いずれにしても我が日本人の祖先が造った文字だろうが、文字の造りから見ても、「薹が立った」というのはあながち凶事ではなく目出度い事を指しているのではないかと勝手に解釈して悦に入っている次第である。(04・07・15仏法僧)