サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

21.バスタオル

 私はバスタオルに妙なこだわりがある。別にバスタオルを集めたり、特別な使い方をしているわけではない。何故かいとおしいのである。物を大切にするのはもともと戦前戦後の物不足の中で生きた人間にとっては当たり前のことであるが、それとも違ったこだわりである。

 戦後の貧乏生活で身に染み付いた習性であるといえばそれまでであるが、その他の物に対するこだわりとも少し違うようだ。
風呂に入った後で体を拭く場合も、何枚か置いてあるうちから出来るだけ古いもので、しかも毎回出来るだけ平均に使うのである。勿論、多少洗い晒したほうが使いやすいということもあるが、それだけではない。それではバスタオルがないのかといえばそうではない。いまどき香典返しといえば相場はバスタオルに決まっており、納戸を見れば死ぬまで使っても使い切れないくらい積み重ねられている。要は粗末に使えないのである。

 一方、家族はどうかといえば時々孫達を伴ってくる娘たちはそんな親父の心など露知らず、これ見よがしに使いまくっている。家内は家内で気に入って大事に使っていたバスタオルがいつのまにか犬のペロの敷布に成り下がっていたりする。これは普通のタオルの場合も同じである。今朝顔を拭いていたタオルが今見るとペロの足拭きに変わっていたりして情けなくなる。

 なぜこうなったかとよくよく考えてみるがよく分からない。ただ我々が子供の頃はタオルというのは余りなかったと記憶している。だいたい木綿の手拭で、それも商店の名入りの手拭が多かった。当時の田舎では貰い風呂という風習があり、風呂を沸かしたときに近所同士で使いあうのである。それはそれで子供心にも楽しかった。冬の夜道で濡れた手拭を振り回すとあっという間に棒のように凍ってしまうのを面白がったりしたものである。

 バスタオルが一般に使われるようになったのは昭和20年代の後半か、30年代に入ってからではないかと思う。それまでは外国映画の中での憧れの世界のもので、田舎の星空の見えるような風呂場(小屋)で煙に巻かれながら桶風呂に入っていたものにとって、これは文化生活の象徴のように感じていたのかも知れない。

 日本で普及するようになったのは、私が親元を離れて独りで生活するようになってからではないかと思う。風呂上りに乾いたバスタオルを使うことの心地よさは格別で、部屋でもいつもバスタオルを襟首に巻きつけていたような気がする。それにダークグレーを主体とした衣服をいつもまとっていたものとしてあの華やかな柄や色彩は心を浮き立たせるものがあった。

 ただこのバスタオル、洗濯は意外にし難かった記憶がある。もともと水気を吸い取るためであるから、水の切れが悪く、風通しが悪いとなかなか乾かずに、しかも洗い方が悪いとすぐにカビが生えた。今のように脱水や乾燥機が完備した時代ではなく、盥の中で手で洗う時代であり、独身者にとって洗濯は最も苦手なことであり、その時の思いがいつとはなしにバスタオルを大切に扱う習性がついてしまったのかもしれない。

 思えば情けない習性ではある。しかし、日本人は本来物を大切にする国民であり、物を捨てないのが国民性だったと思う。あらゆる物への思い入れがあった。それはどんなものでも作り出すことと、得る事の困難さ、そしてその物の因って立つ理由(必要性)があり、このプロセスを身にしみて感じていたからである。

 今では経済効率を第一に考え、どんな物でも価値を作り出すプロセスなど考えなくとも、金さえ出せば簡単に手に入り、しかもそれを手に入れるためのお金を稼ぐこともたやすくなった。 この経済効率を極限的に高めることは、不労所得すれすれで収入を得ることになり、その結果、お金を稼ぐプロセスも無視する世の中になり、我が60余年の人生と比較してみても気の遠くなるような5,000万円もの他人の大金を、自らの体を使って1円も稼いだことのないクソガキが、湯水のように使ってしまったり、本来は人の生命を助けるために創り出した風邪薬で人を殺め、保険金を詐取しようとする鬼畜の住む世の中になってしまった。怒りを通り越して、この国に絶望を感じる。

 たかがバスタオルではないかと思うかもしれない。されどバスタオルなのである。豊かさを求めるより、貧しさの中から学ぶ価値を考えることのほうが今は大切なときかもしれない。(00.4仏法僧)