サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

165.大いなる単調7

 気持ちの良い快晴の朝である。朝食前に宿に隣接するキャンプ場と遊歩道を散歩する。北海道特有の新鮮な緑と木製チップを敷き詰めて舗装された小道が心地よい。

 今日が北海道での最終日であり、富良野を目指して9時前に宿を出発する。旭川まではは石狩川に沿った大雪国道を進むが、このあたり北海道では珍しい水田地帯が広がる。途中から一部完成した旭川紋別自動車道により一気に旭川に入る。

 旭川市内では例によって連携の悪い信号に多少難渋するが、ここから富良野を目指して237号線をひた走るが、期待していた花の季節の端境期か、それらしきもの残念ながら見かけなかった。もっとも花が目的のすべてのということではないから、緩やかな起伏の農村地帯を走るのはそれははそれで楽しい。

 宿を出るとき聞いたところによると旭川までは1時間、それから富良野までは3時間と聞かされていたが、意外に早く12時前には富良野についた。
 富良野で早めの給油をした際、苫小牧までの道順などを聞いてみると苫小牧には富良野国道といわれる237号線で2時間余りの行程とのことである。それで行くと7時50分の出港時間にはかなり早めについてしまうことになる。

 それならばもう少し余裕を持ってもう少し観てまわるところもあったようだが今となっては仕方がない。麓郷(ろくごう)の森に「北の国から」の「遺跡」を訪ねる。
 この麓郷の森とはご存知田中邦衛さんのあたり役「北の国から」の舞台になったところである。遺跡は勿論あのドラマ「北の国から」の中で使われた家であるが、かなりの観光客が集まっていた。

 「北の国から」は倉本総さんの制作で田中邦衛さんの他、吉岡隆秀君や中嶋朋子さんなどが出演し、22年前から続いていたテレビドラマである。

 ストーリーとしてはどちらかといえば主人公の五郎とその息子も娘ともサクセスストーリーとは云い難く、どちらかといえば暗い内容である。ただ、始まった当時も長引く不況の中、私自身も北国に単身赴任で悪戦苦闘していた時代でテーマ曲とともに心に残るドラマであった。

 北海道を舞台にしたテレビドラマや映画、更には小説などでは何故かこうした暗いイメージの作品が多いが、この大らかな自然から見てあのような暗いイメージなど微塵も感じられない。
 確かにかつては炭鉱閉山などの経済的打撃や本土との経済的遅れなども指摘される時代もあったが、この大らかな自然の中で果たして暗さをイメージするような物語がなぜ生まれるかも疑問に感じるほど周りの自然は明るい。

 これは「北へ」という響きからなんとなく暗いイメージに結びつける本州人の身勝手な想像の世界の産物ということかもしれない。
 北海道を舞台としたドキュメンタリーなどではむしろ力強さが目に付き、最近見たNHKのにんげんドキュメント羊と育つ兄弟物語「大地と空知」では弱さや暗さなどは微塵もなく、寧ろ力強さに溢れている。

 暗さや悲しみを得意とする演歌の世界でも北海道出身の北島三郎さんや細川たかしさんなどむしろ超がつく元気に溢れている。こののびやかな大自然の中では陰湿な事など起こりうる余地などないのではないかとさえ思った。

 それでも駐車場にはかなりの台数の自動車が停まっていて、何にもなかったこの郷に創作の世界が貴重なものを残してくれた事は間違いない。帰りにあのテーマ曲が何故か何時までも心に残りしんみりとした気分になった。

 見学を終わったあとは日高国道の237号線をどこまでも日高山地を南下するだけである。この辺り信州の山道を髣髴とさせる落葉松の林などもある起伏の多い道をどこまでも進み、途中周りの自然とは不釣合いなほど立派な「道の駅しむかっぷ自然体感」で時間調整の休憩を取る。

 門別で3日前に通ったサラブレッド街道に再び合流し、ここから一路苫小牧と思っていたのが大きな間違いだった。苫小牧には富良野で教えられた2時間より大幅に時間超過したがそれでも5時前には到着したのである。

 考えてみると北海道にきて自慢の寿司を食べていないことに気付き、どこかで寿司でも食べて腹ごしらえしてから乗船しようと思い、その前にフェリーターミナルの位置だけでも確認しておこうと思いフェリ−ターミナルに行って見た。

 係員に聞いてみると「もっと向こうの端だ!」という返事、指差された方向に車を進めるが、どこを見てもコンテナーなどが並べられているだけで、フェリー乗り場らしきものは見当たらない。合点がいかないので更に聞いてみると「もっと向こうの外れだ!」ということである。

 仕方なく地図を出して調べてみて始めて間違っていたことに気が付いた。新日本海フェリーといっても日本海の寄港地の船はこのフェリ−ターミナルから25キロも西に行った厚真と言うところで、すなわち先ほど通過した道を逆戻りすることになる。

 ただ、北海道の人にとっては25キロという距離はほんの「向こうだ」だったのかもしれないが、私の感覚とはかなりかけ離れていたことになる。

 結局、富良野のGSで聞いたことは正しかったのであるが、3日前に苫小牧港の前の大通りを通ったときに見た「フェリーターミナル」の標識を早飲み込みしたことが間違いの元であった。

 さいわいまだ時間が有ったので急いで逆戻り、苫小牧に美味しい寿司屋があったのかどうかは分からないが、寿司は食べ損なったが、船内で夕食が取れるということでひとまずほっとした。

 夕食は明日はのんびりできるということでお酒を少々余分に頂き、9時過ぎには就寝し、朝5時前まで熟睡した。もっともこの1週間、カロリーコントロールは無視した感じで、帰ってから軽量したところその影響はてきめんであった。

 翌朝、男鹿半島にかかったところで目が覚めた。気になる天気であるが、雨ではなさそうだが曇りである。ところが秋田港に入港する頃には薄日がさしてきて見通しが利くようになって来た。
 秋田港に入港したところで朝からアルコールありの「豪華」な朝食とする。
朝食後後部デッキに回って、デッキの上から荷物や車両の積み下ろしをあかずに眺めて、そろそろ出港というときになって空が晴れてきた。

 そのままデッキに残り3時間あまり心行くまで360度、どこを向いても一直線の大いなる単調を楽しみ、ちょっぴりクルージング気分を味わう。

 続いて新潟港には午後3時頃に入港、再び後部デッキに出て荷役作業を眺める。工事現場やこうした荷役作業というのは奇妙に見ていて飽きないものである。出港に際して船会社の作業員が一列に並んで手を振るのを眺めるとしばらく忘れていた別離の感傷に浸る気分になる。

 翌朝まだ薄暗い午前4時半に敦賀に入港し、北陸自動車道を通って午前8時には無事帰着した。この間、道内の走行距離2200キロ余り、家を出てから締めて2500キロの旅である。
 今回は、線と線の旅であったが、次回はもう少し範囲を縮めて面を楽しむ旅にしたい。それにしてもこの大いなる単調を十分に堪能しまた少し可能性を引き戻したようである。(06.29仏法僧)