サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

163.大いなる単調5

 今日も曇り空の朝を迎える。朝食前に宿の回りの草原をしばらく散歩する。空気が新鮮でうまい。今日は今までの内で一番余裕のある行程なので落ち着いた気分で朝食を済ませ、釧路湿原展望台に向かう。何も道路標識もないまっすぐな道をやや不安に思うくらいの距離を走ってようやく到着する。

 展望台屋上から見て釧路湿原の大きさを改めてうかがい知ることができるが、この位置は釧路湿原のほんの外れの一角であり、本当の湿原の広さはその中に入ってみなければ分からないのかもしれない。

 鶴居村から宿で教えてもらった1093号線という大きな番号の道道で阿寒湖に向かう予定でかなり走ったつもりがだいぶ手前の横道からまりも国道に出たためかなり距離をロスする。一見信州の道を思い出すような唐松の多い曲がりくねった道を走り、途中野生の鹿二頭に出会いそれなりの収穫があった。

 阿寒川に沿ったまりも街道をひたすら北上し、阿寒湖には昼前に到着、阿寒湖は箱根芦ノ湖湖畔の印象であり、有名なまりもは遊覧船でチウルイ島のまりも展示観察センターに渡らなければならないということで断念、小休止の後摩周湖に向かう。

 阿寒湖を出て間もなくこの時期まだ雪渓が残っており、知らず知らずのうちにかなりの高度まで来ていたことになる。

 正午頃摩周湖に到着、うっそうとした森林に覆われた摩周湖を想像していたが、意外に明るい雰囲気で展望台から神秘の湖を堪能する。水は裏磐梯五色沼のような濃いローヤルブルーの神秘的な色彩をしている。

 レストハウスで北海道のもう一つの憧れでもあったアイスクリームを食べながら摩周湖の四季を写したビデオを見る。やはり北海道は釧路湿原も同じだが、点で見ても仕方なく、線と面に合わせ時間ま重ねて見なければ本当の姿は見ることはできそうもない。

 帰り際に急にガスが巻いてきてにわか雨に会い、思わぬ霧の摩周湖を見ることになる。
此処から摩周国道を北上して小清水町に向かう。例によって畑作地帯の大いなる単調の中をひた走る。

 小清水町からコースを真西に取り知床国道で斜里町を目指すことになるが、この斜里町までの知床国道がすごい。緩やかな起伏の農園の中をどこまでも真一文字の道が続いていていかにも北海道らしい風景である。周りには麦畑やピート畑などの農園の中に、明るい色彩の民家が点在する穏やかな農村風景が続く。間もなく麦秋も始まり、ジャガイモ畑の白い花とピート畑の緑の美しいコントラスが目を楽しませることだろう。

 この知床国道は知床半島に入ってからのオホーツクの海もまた圧巻だった。今まで晴れた日がなかったから余計印象が強かったのかもしれないが進行方向左側に横一文字に底抜けに明るいの海が広がっている。

 途中でウコンシコン滝を見て、ウトロには2時半に到着したがチェックインまでに間があるのでそのまま知床五胡まで足を伸ばす。五胡近くになって物欲しそうに近寄ってきたキタキツネに出会う。更に近くに何頭かのエゾ鹿の姿を見かける。今日は朝から動物との縁のある日になった。

「知床五湖は熊が出るから一湖だけしか見れない」とすまなさそうに言う駐車場の管理人の言葉通り展望台のはるか向こうに湖らしきものがほんのちょっぴり顔を覗かせていたが、此処まで来て広大な湖を期待していたわけではなく、この大きな半島の中に入って全体を見渡そうとしても無理な話で、知床半島のここまで来たと言う事が誰もが目的だったような気がする。
「知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば
遥か国後に 白夜は明ける」
 勿論、ウトロは反対側でありここから国後など望むべくもないが、知床には何故か懐かしさの響きがある。もしかしたら我々日本人のルーツが千島列島を渡って最初に到着したであろうこの地に対する回帰のDNAみたいなものが日本人の血にはあるのかもしれない。
 夕食時、予期せぬ夕日の残照を見ることができて「夕日をあたる家」というこの宿に泊まった面目を保つことができた。(06.24仏法僧)