サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

161.大いなる単調3

 台風の余波か雨はさほどではないが、なり強い風の中を早めのスタートとなった。クッチャロ湖は宿からの夕日と白鳥の渡来が売り物になっていて同じ標高上にあるので、草原か低い潅木に囲まれているかと想像していたが、意外にも深い森に囲まれた静かな湖である。

 海岸通りに出ると直ぐに大いなる単調が始まる。右手に広大な牧草地、左手に防風林が広がり海ははるか向こうである。土地というと所有という概念が付きまとうが、北海道の場合この広大な原野に所有ということが当てはまるのであろうか。

 ところどころに僅かな窪地に背の低い樹木に身を隠すようにたつ廃屋を見ると、此処にかつてどのような生活が展開していたのか想像すると、人間の行為のむなしさを感ずる。
 通りに面した民家はいずれも小さい窓と鎧戸を不機嫌そうに固く閉じ、人影は見えず、自然の厳しさがうかがい知れる。

 やがて宗谷街道は海岸に沿って走ることになり、強風で波がかなり逆巻いている。途中「道の駅さるふつ公園」にて小休止、海岸の見晴台に行こうとしたが茫茫たる強風が吹きつけ飛ばされそうになったので断念する。

 「流氷とけて 春風吹いて ハマナス揺(ゆ)れる 宗谷の岬」と歌われているので、宗谷岬は断崖絶壁に立つ最北端と地を想像していたが、意外にも狭い平地にあった。ここでも強風が吹きつけ、気温13度ということだが体感温度はかなり低い。ただ、とうとう最北端に立ったという感慨はあり、人気の観光スポットとなっている。

 宗谷湾に入ると波も風も急に静かになる。稚内市内に入り早めの給油をして街中を抜けたとたんにノシャップ岬があった。展望台に立つと頂上のほうは厚い雲に覆われた利尻島の裾の部分だけ見える。

 岬を周ると間もなく道道106号線に入りサロベツ原野が始まる。ここから天塩までのサロベツ原野は何よりも圧巻であった。
 北海道の道路はどこに行ってもほぼ同じようだが商業看板はもとより、道路標識もほとんどない。取り分け運転を規制するような標識は見たことがない。勿論だからといって違反運転をしようということではないが、ほぼ自分の意思だけで走り回る快感は何物にも代えがたいものがある。

 この時期、蝦夷キスゲとハマナスの花が道の両側を飾り、海岸線は意外に離れていてその間は草原が広がり、その中を気が遠くなるような直線道路がどこまでも続くのである。
 車中で時々「ひゃ〜」と感嘆の声を上げながら快適に走り抜け、途中サロベツ原生花園に立ち寄り、このサロベツ原野の土層の標本を見てその生成過程の悠久の時間に思いを馳せる。

 天売国道からかつてニシンの大漁に沸いたオロロンラインに入り、「道の駅おびら鰊番屋」で遅い昼食をとる。
「海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー」
 取り分け寂れた風情はないが、かつて「赤い筒袖の やん衆」が騒いだ番屋は今じゃあ観光客でにぎわっていたが、ただ消え去りしものへの哀感は残っていた。

 留萌からは深川に出て今夜の宿の支笏湖に向かって道央自動車道を一路南下するが、此処でも北海道の大きさをいやというほど思い知らされる。

 千歳ICを出て給油をしそこなって次のスタンドと思ったのが間違いだった。道路標示を見るとここから支笏湖までまだ30キロもあり、その間スタンドはおろか人家さえない。
この間、両側は白樺やエゾ松の樹林帯が延々と続くのである。今になって思うと30キロというのは我が家から大阪の中心に行くよりも遠く、腰を浮かせるような気分で運転し、支笏湖に辿り着いてGSを見たとき、命が救われた思いであったが、すでに店員は見当たらず閉店。燃料のゲージはだいぶ前から警報を出していて宿までひやひやの思いでやっと辿り着いた。(06.22仏法僧)