サイバー老人ホームー青葉台熟年ホーム

160.大いなる単調2

 聊かきざな言い方になるが、小樽には淡い朝モヤの中に定刻4時に到着した。朝の明けるのが遅い関西では日の長い夏日でも午前4時はまだ眠りの中である。ゲートが開いて船外に出たときには夜はすっかり開け放たれて、高速道路に乗って見るともう日はかなり高く上っていた。

 北海道では夕日を売り物にする所はいくつかあるが、朝日の事は聞いた事がないと思っていたが、北海道の人にとっては日の昇る時間というのは生活時間ではないのかもしれない。

 まだ人の起き出さない高速道路を突っ走って瞬く間に札幌の市外を突き抜ける。此処にも又大いなる単調があった。道路はまっすぐに北に伸び、行き交う車もさして飛ばしているわけでもないのに追い越してゆく車もほとんどない。一定のスピードと同じ車線をただひたすら走るだけである。

 6時には砂川のサービスエリアに到着した。ここ以外には朝食をとるところがなさそうなので食堂の開店が7時ということで丸々1時間の時間待ちをしなければならない。

 結局開店と同時に店に飛び込んで憧れのラーメンを夫婦で食べることにした。食後再びスタートしたが高速道路は和寒(わっさむ)からさらに士別まで延びていた。この延びた区間が凄まじい単調さである。
 勿論何度も言うようだがこの単調ということに嫌気がさしたわけではなく視界の中には目を凝らして見なければならないものが何も無いというのは寧ろ快感である。

 北海道の地名は子供の頃から有名な力士の四股名で覚えたものがあるが、名寄なども戦前からの力士で名寄岩という名大関の名前で知った。名寄岩は片手で回しを持っただけで相手を吊り出したと言われる怪力の持ち主で、怒り金時といわれた大好きな力士だった。

 この名寄を過ぎて音威子府(おんいねっぷ)で40号線から分かれて275号線に入り、一路クッチャロ湖を目指す。275号線は主に山間部を走るが、山間部といってもカーブをまがる時にも体がもっていかれるようなことはない。275号線に入っていよいよ車の影を見る事も少なくなり、北海道特有の輝くような木々の緑の中をひた走る。

 途中、中頓別の手前で「道の駅ビンネシリ」に立ち寄る。この旅行で「道の駅」が重要な休憩地になるが、このビンネシリの到着したのが10時ということで、このまま走ったらクッチャロ湖のある浜頓別には午前中に着く事になり、ここでしばらく時間調整をすることにした。

 ただ、この「道の駅ビンネシリ」は立派なオートキャンプ場やコテージはあるが、みやげ物などの売店はほんの気持ち程度である。それもその筈、通る車も無いから置いても無駄ということか。土地が折りたためれば持って帰りたいようなところである。

 このビンネシリについて事務所の可愛いお嬢さんに聞いたところ近くのビンネシリ(敏音知)山から取った名前で、意味は強い男という意味だそうである。

 そろそろ昼飯の時間になるので、次の中頓別から歌登町を経て枝幸(えさし)港に出ることにして道道120号線に入ったのである。牧畜を主体とした農道を生々しい堆肥の匂いなどをかぎながら快調に飛ばしていたのである。
ところが、ところがである。「アレレレ・・・・」突然道は通行止めになっているのである。それも臨時的なものではなく恒久的な遮断機が道を塞いでいるのである。

 さてはどこかで道を間違えたかと思い、今度は慎重に引き返したのであるが、結局中頓別に戻ったが、それらしきものは見当たらなかった。行き止まりであれば他の道を行けばよいという北海道の人のおおらかな気風によるものかと諦めて、再び浜頓別を目指す事にした。

 浜頓別には12時過ぎに通過したが、これから枝幸港先の「道の駅マリーンアイランド岡島」まで昼飯を食べに行くことにした。ただ、この道の駅、浜頓別から真っ直ぐに南西に伸びた宗谷国道(238号線)をなんと60キロも下る事になる。

 勿論浜頓別には食堂などもあったと思うが、折角ここまできたのだからということで足を伸ばしたのだが、走り出して間もなくオホーツクの海が見え始め、所々にハマナスの可憐な花なども見られ気分良く飛ばしていたが、考えてみると往復120キロもかけて昼飯を食べに行くというのは始めてである。
 もっともこの間にそれらしき人家も無いのだからここ以外に行きようはないということである。

 道の駅に着いた時には2時近くになっていて、夕食の事を考えて再びラーメンにした。もっとも今度のラーメンはすこぶる美味しかった。ここで孫のお土産などを買い、再びもとの道を引き返し、クッチャロ湖畔の宿についたのは4時ということで、今日一日は12時間活動しっぱなしということになり、さすがに少し疲れて、早めに床に着く。
 テレビを見るとどうやら台風6号は私たちの後をつけるように舞鶴に抜けてこちらに向かっているらしい。明日は台風に向かって進む事になるが平穏を願いたいものである。(06.21仏法僧)