サイバー老人ホーム‐青葉台熟年物語

76.退 化

 だいぶ以前のことになるが、電車の吊り下げ広告に「日本初のスプレー式栄養剤」というのを見かけた。日本の「食文化」もここまで来たか、とあきれる以上に暗澹たる思いになったのである。そもそも栄養というのは食物から摂取するのがごく当たり前であり、戦後の食糧事情の悪いときならいざ知らず、今の日本のように何でも揃っていて、しかも飢える恐怖より食わされる恐怖の方が多い国で、常識的な食生活をしていれば栄養過多はあっても栄養不良など考えられないのである。

 学者の言われるにはここ20年間で日本人の脂肪の摂取量は3倍に増えているとのことである。それと砂糖の消費量なども戦前に比べ8倍にも増えているらしい。昔は慶弔の引出物には砂糖が良く使われたが、今では特売品の目玉商品になっている。
某テレビ番組で「デブで何が悪い」というのがあったが、何もデブが悪いと言うことではない。美醜等どうでもよいのであるが、デブであること自体が病気であると言うことが問題なのである。

 人の病気と言うのを突き詰めていくとインスリン抵抗性というものに収斂するとある講演会で聞いた。病気にはばい菌などによる外部環境要因と、自分の生活態度による生活習慣要因、それに遺伝要因に分かれて、外部環境要因は医学の発達でほとんど克服できたと言うことである。いま問題となっている病気は、生活習慣要因であると言うことである。この生活習慣要因によるものが、かつては成人病と称されたが、成人以外でもなることから生活習慣病ということになったらしい。

 病気に対するインスリン抵抗性を弱める要因は遺伝要因と生活習慣要因であるが、このうち遺伝要因は本人の努力ではどうにもならない。問題は生活習慣要因に影響を及ぼすものが過食、運動不足、動物脂肪過多、塩分過多、飲み過ぎと言うことであり、なんとなく自分がかつてやってきたことの全てのような気がしないでもない。この中で運動不足以外は全て食べ物が影響していることになり、生活習慣病を別に食原病とも言われる所以かもしれない。

 そもそも人間と言う動物は太古の昔、海から陸に上がった生物が進化したもので、体内の水分や塩分は逃さないような構造になっているため、余計な塩分が加わると不調になる生物らしい。更に、永い間、食糧不足の中で他の生物と食べ物を競い合ってきたため、脂肪を体内に保とうとする性質があり、こう言う構造を身につけた生物の中のエリートである人間が他の生物を押しのけて生き残ってきたと言うことである。
 ところが最近の人間は味覚という頭の判断で食物を選ぶようになり、その結果脂肪分の豊富な食べ物が多くなったのである。そして生存上必要の無い過剰な脂肪は、益々デブを作ることになったのである。

 それでは塩分、脂肪、糖類を減らせばよいではないかと言うのであるが、これがなかなか巧くいかないところに最近の食文化の悩みがあるのである。本来食物と言うのは食材そのものを丸ごと食べるものであったが、これが文明の発達の恩恵と言えるかどうか分からないが、食材を食べやすいもの、味の良いものと部分的に食するように加工度が加わり、更にこれに手を加えて調理しやすく食べやすい加工食品に変わったのである。
 この加工度を高めることによって最大の問題は食物の中からカルシュームが流出してしまうことだとされている。

 最近はこれだけでは収まらずに砂糖、バター、チーズ、油等のように化学成分だけ抽出して食べるようになった。そのため食物に本来含まれているビタミンやミネラル、植物繊維などが失われることになったのである。

 そこで、今度は不足分を補うために各種の栄養剤や栄養食品が出現し、聞くところによると子供用のドリンク剤が結構な売れ行きで、世の中に健康食品とか栄養剤と名のつくものは5,000とも8,000とも言われているらしい。加えて各種のインスタント食品、スナック菓子類と今の若者達は生れ落ちたときからさほど口の機能を使わなくても食べることには苦労はいらないことになったのである。

 口を使わないついでにとうとうスプレー式栄養剤が出現したのであろうが、こうなると食文化と言う文明の発展は、人間の最も基本となる食機能を退化させるためにあるのではないかと思っている。

 最近の若者たちの顔を眺めると顎の発達が極めて貧弱になったと言われている。勿論、最近は小顔が流行っているということであるが、はやり廃りで顔が大きくなったり、小さくなるはずがない。押し並べて下あごが貧弱なのである。徳川家15代の将軍の顎を測定すると始めの頃の将軍と終りの頃の将軍では明らかに顎の大きさが違うと言う。それは徳川260年の間の変化であるが、今の日本での変化は戦後60年間でのことである。

 単に顎の退化だけならまだ良いが、よく噛むことが脳の発達を促すと言われており、この華奢な体で一体この国の将来を托せるかと思うといささか頼りないとまた余計な心配をするのである。

 とまあ、ここまでは脳梗塞と言う生活習慣病にかかる前に考えたことである。今となっては余計な心配をするより自分の頭のハエを追えといわれそうであるが、私の生活習慣で神様の戒める部分は別にすると、食事と運動には人一倍気を使ってきたつもりである。尤も、戦後の食糧難の中を生きてきた我々世代の体質と言うのはそう言う土台の上に成り立っているのかも知れない。

 今年になって兄から某「Mキグループ」の「健康食品」とやらを送ってきたのである。一緒に送られてきた資料を見聞すると、人間の心身を健康に保つには46種類の栄養素が相互に関連しあって成り立っているらしい。厚生省の指針でも毎日30種類の食材を食べろと言うことで、これで医食同源と言われると、今までの食習慣の延長では再発は避けられないことになる。

 こうなったら、我が余命をこの「健康食品」に賭けて見ようと、病院の薬も止めにし、ミイラ取りがミイラになることにした。それにつけてもこの時代、健康に一生を生きると言うのは難しく、戦前のように「人生50年」として健康に短命に生き抜くほうが良いのか、病みながら長命を生き長らえるのが良いのか困った時代になったものである。(02.03仏法僧)