サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

116.旬の顔

 当たり前の事をもっともらしくひけらかすのは嫌味である。だから私はそう言うことは取り上げないことにしている。それにしてもこれだけ人間やっていると長年の願望がかないそうだということになると当たり前の事でも、多少嫌味でもついつい口に出したくなるのも人情でと言うものである。思えばこの「雑言」を始めてから丸3年になるが、同じ話題を4回取り上げたと言うのはこの事だけで、ここまで来るといささか嫌味になり、鼻についてくる。

 最初に取り上げたのは3年前になるが、この時はいささか「自棄(やけ)のやんぱち」という状態であった。どう贔屓目に見ても持ち上げる材料がない。それでもあの大監督が来てくれたことから内心はひそかに期待するものがあったのであるが、結果はほぼ予想どおりになった。

 ただ、それだけではあまりに惨めである。そこで救いを個々の選手の個人成績にもとめたのであるが、取り立てて持ち上げる選手もいない。僅かに例年期待はずれだったあの「アホな宇宙人」、何所でどう間違ったか、この年に限って多少は活躍したのであるが、事もあろうにシーズン終了とともに全てのファンの気持ちを裏切って大リーグに行ってしまったのである。

 ところがあの「裏切り新庄」が思わぬ活躍をし、ここでもまた見事に裏切られたことになり、こうなると素直に脱帽「参った」と言うことであるが、あれから2年が経過してみるとかの「裏切り新庄」もほぼ予想した通り、意外と人を見る目は慧眼があったのかもしれないと妙な自己満足をしているのである。

 良いも悪いも裏切られ、その上頼りにしていた大監督が奥方のスキャンダルとやらの関係から辞任してしまうことになり、こうなると失意のどん底、我が病も含めてわが身の悲運を大いに慨嘆したのであるが、ここで颯爽として現れたのが星野王子様である。

 これには喜んだのである。天はまだ我を見捨てていなかったのである。この人も大監督であるが、前の大監督と違って明るいところが何よりよい。前の大監督もID野球なるものを引っさげて名監督であったが、力と感性を表に出してぶつかり合うスポーツの世界に、頭脳や人間性を持ち込むと陰湿になって興味が半減する。

 星野王子様に代わって、チームが一変した。昨年は出だしから快調に飛ばし、例年の勝ち星を大幅に上回ってしまった。こうなると俄然欲目と云うのが出てきて、もしかしたらと思うのであるが、そこは長年の挫折感から隠忍自重して「やばい!」と思ったのであるが、なに、結果は大満足の1年であったのである。

 いまだかつて、経済予測や競馬の予想などあたったためしもないが、この「愛しのタイガース」については不思議にあたるから不思議である。尤も、万年最下位ということは変動幅を上側だけ見ればよいのだからそう言うことになるのも当然かもしれない。

 昔からこのチームには独特の「阪神顔」と言うのがある。古くは藤村、後藤、田淵、掛布、川頭、岡田、中込、そして最近では今岡等々である。どう見ても頭でスポーツをやる顔ではなく、かといってシャカリキに行け進めと云うタイプでもない。
 いわゆる大阪の「ぼちぼちでんな」と言った顔つきである。不思議なことに移籍選手までがこのチームに来ると「阪神顔」になるからこれまた不思議である。よもや今年の金本はそんな事は無いと思っているが、かつて、他のチームで豪腕、強打をほしいままにし、ファイト溢れる名選手だった、石嶺、松永、高橋、大豊、そして昨年の片岡、投手でも山沖などは1回も投げずに退団している。

 それに輪をかけたのが外人の不作である。毎年無い袖を振りながら数だけはたくさん取ったが、役に立ったのは一人も居らず、大方はシーズンの閉幕を待たずに帰国している。まさか外国人までに「ぼちぼちでんな」が浸透したわけではあるまいと思うのである。

 今岡などは、ID野球の大監督にあの顔が嫌われ、二年間は完全に干上げられたが、気持ちの切り替えは出来ても顔までは変えられる訳がないと思っていた。

 ところで、今年の我が「愛しのタイガース」は、あの吉永小百合さんからなんと和田あき子さんに変身したのである。先ずあの今岡選手の顔を見るがよい。間違いなく今までの「阪神顔」から「猛虎顔」になったのである。今岡選手ばかりではない、全ての選手の顔つきが変わってきたのである。
 尤も最近のタイガースの選手はいささか「阪神顔」には似つかわしくない選手も多くなったことも事実である。取り分け今年の伊良部投手などはどう見てもあれは「阪神顔」ではない。

 食べ物に「旬」が有るように、人間にも「旬」が有ると思っている。全てがよいほうに転がり、やることなすことが全てうまくいく時期と言うのは誰にもきっと有るものである。このときは表情まで変わって、いわゆるこれは「旬」の顔である。
 かつて横浜BSの選手がそうであったように今年のタイガースの選手は全員が「旬」を迎えているのではないかと思っている。勿論、毎年何人かの選手が「旬」がいなかったわけではないが、今年のようなことは苦節五十余年の中で記憶にない。

 然らば他のチームはどうかといえば、先ず宿年のライバル「G」、問題外の「外」である。松井と言う「旬」の選手が去った後でどれだけ「旬」を迎えた選手がいるかと言えばせいぜい指2、3本である。後はどちらかと言えば季節はずれか薹(とう)が立ちすぎている。Gがこの程度であれば後はおっつかっつであり、何れも取るに足らずである。

 一番変わったのがチームワークである。例年このチームのごたごたは知る人ぞ知る球界の年中行事であった。これほどすっきりしたのは五十余年の記憶の中にない。これに球界で最も多くの「旬」の選手をそろえ、これで優勝するなと言う方が無理である。

 従って、こんな当たり前の話をしたくも無いのだが、敢えてしなければならないと言うことは最近の世相に有る。暗い話ばかりがやたらと目に付く昨今、せめて五十数年ぶりの美酒の前祝と行こうではないかと思うのである。
 しかし、思えばあのG党の連中、毎年こんな気分でいたのだろうかといささかやっかみ半分に思うのである。(03.03仏法僧)