サイバー老人ホーム

222.我が「昭和33年」9

 確かに、昭和30年代は文化的にはそれほど発展した時代ではなかったかもしれない。当時、子供の好むものは、「巨人、大鵬、卵焼き」などといわれ、子供以外でもスポーツ界を彩ったのは紛れも無く、ミスタージャイアンツの長島さんや、世界のホームラン王、王選手などが華々しく飛翔し、大相撲では横綱大鵬が無類の強さを誇った時代であった。

 ただ、昭和33年当時は栃若時代であり、大鵬が大きく羽ばたいたのは昭和35年以降だった。現在の大相撲の国際化は勿論歓迎するところだが、ただ当時の力士は、今の富栄養化によるデブの集まりではなく、個性豊かな力士が多かった。

 一方、音楽では、戦後の歌姫美空ひばりさんは別格として、歌謡界では春日八郎さんや三橋美智也さんが全盛を極めた頃で、「故郷演歌」などと呼ばれた数々の名曲を事あるごとに口にしていた。

 ただ、音楽のジャンルについては、ジャズ・クラシック・ラテン・流行歌に分けられる程度で、今のような多様性はなかった。川柳に、「飲めばすぐ順に歌わす日本人」であって、「献杯献杯唾をなめ唾をなめ」飲み交わしていた。

 昭和30年までに義務教育を終わっている日本人は、基本的に音楽に関する知識は無かったのではないかと思っている。私が小学校に上がった頃は、小学唱歌と言う教科書の楽曲を、先生が弾くピアノに合わせて歌うだけで、多少音楽的教育について学ぶと言うのは、中学に入ってからであった。

 音楽が、今の様に多様化して、若者であれば殆どの人が何らかの楽器を演奏できるようになったのは、戦後生まれ、すなわち「団塊世代」からではなかろうか。

 現在、この国の中には、明らかに「演歌世代」と「ニューミュージック世代」に分かれており、その境界は昭和40年ではなかったかと思っている。

 日本では過去にも、「藩政奉還」や「廃仏毀釈」のどの国家的な方向が転換されると一斉に古いものが放棄される傾向がある。これによって幾多の城郭や、寺院仏像など文化遺産が廃棄されている。

 音楽の世界でも、かつては婦女子や風流人の大切な習い事であった、邦楽と言うジャンルが、西洋音楽の普及とともに衰退し、今では貴重な独自文化としてその命脈を保っているが、やがては演歌もその道を歩くのではないかと心配している。

 日本の、アニメ、映画、歌舞伎、能、津軽三味線などの伝統芸能や、大相撲などはいずれも海外公演を成功させているが、「昭和33年」には、これら「日本の新しい文化が、海外で非常に評価されている事を、多くの日本人が知らないで居る」と書かれている。

 この程度の事は世界に疎い私なども承知しているが、なるほどこれらの伝統文化を海外にもたらせたのは、団塊世代以下の人たちかもしれないが、これらを受け継いできたのは、各時代の先人達で、そのことにより大きな意義があるのである。

 「昭和33年」には、「体の発育が年々向上していたが、男女とも体の変調に達するにはまだ至らず、異性を意識するようになるのは六年生くらいからだった。そういう意味では、当時の子供は今より無邪気だったろうが、子供の世界は今よりずっとワイルドで、おとなの管理が行き届かず、ガキ大将を核とする子供の自治が幅を利かせ、純粋な力が幅を利かせ、純粋な力が支配する世界であった。」と言うことらしい。

 「昭和33年」の著者がちょうどこの頃であり、本人が言われるのだから間違いはなかろう。ただ、我々が子供だった頃のように、飢える心配はなくなっていたのだろう。

 この頃から、日本は高学歴社会に突入したから、良い学校を目指しての受験競争や、良い学校を狙って「越境入学」をするなど、教育を巡って様々な問題が生じた。取り分け教師の質を巡る日教組と、文部省との軋轢が様々な障害を生み、現在の子供の教育についての問題の導火線に連なっていると思っている。

 同時に、テレビの普及から、徐々に子供社会のあり方が変わり、遊びも集団によるものからテレビやゲーム機による個々の遊びへ変化して行ったのもこの頃ではなかろうか。

 それによって、今の子供達の性への関心を助長し、世界に名だたる「性開放国家」になったと言うなら、何のための進歩であり、教育であったか分からない。

 「団塊世代の典型的カップルは、モーレツ社員の夫と、教育熱心な専業主婦の妻からなる」が、「団塊世代はその後もとやかく批判されているが、多くは無事におとなとなり、社会を支える一員となった。高度成長期の後半部分を支え、バブル経済ではしくじったが、日本はいまだに豊かな先進国としている」と書かれている。

 何も先進国になったのは団塊世代だけの功績ではない。勤勉な国民が、たゆまず努力してきた結果であるが、同時に過去に置き忘れて来た日本のよさも忘れてはならない。

 「そして現代の若者世代批判の矛先が、親である「団塊世代」にも向けられ、団塊世代は、子育て失敗世代とも言われる。ますますむかつくではないか」

 「冗談ではない、親が子供達の人生選択に際して、適切なアドバイスをしていた時代があったことがあったか」

 子に対する適切なアドバイスとはどういうものか分からないが、確かに、子供の人生選択に適切なアドバイスなどしていなかったかもしれない。また、アドバイスしたからと行って、親の思うとおり子が進むなどと言う事も考えられない。

 昔から、子供と言うのは、一人前に育て上げることが親の役目であり、そこから自分の人生を切り開らくのは子供の責任だと思っていた。

 それを、「モーレツ社員の夫と、教育熱心な専業主婦の妻」が、我が子の適性もわきまえず、異常な干渉したことが、現在の、ニートやフリーターを生んだ根源があったのではなかろうかと勝手に思っている。

 もっとも、「価値観の多様化する中で、たとえ経済が好転しても、自らの意思でフリーターやニート的生活を続ける若者は居るだろう。自分の生き方に拘りを持つ若者が増えたのは、自由な生き方を受容する、余裕のある世の中になった証拠だ」と言われてしまったら、開いた口も塞がらない。

 おそらく、わが国最初のニートでは無いかと思われる「良寛」が、これを聞いたらどのように応えるのだろうか。(09.06仏法僧)