サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

42.犬の尊厳

 11月に入って我が家の「愛犬」ペロの衰えが酷くなった。ペロが痴呆状態に陥って一年以上になるが、最近は犬としてのもっとも誇らしい機能である走ることはおろか、歩くこともおぼつかなくなった。更に、その鋭敏な聴力と嗅覚もほとんど機能しなくなり、間もなくその生涯を終わろうとしている。

 かつて隣家の石垣と我が家のフェンスの間に三角形の隙間があり、そこにある排水枡がペロの定位置で、終日そこから顔をのぞかせて家族の帰りを待っていたのである。そこからペロの姿が見えなくなって2年以上になる。

 最初の異常はペロと私のお決まりの散歩コース、武庫川の河原で現れたのである。普段は私の口笛でどんなに遠くに行っていても一目散に私のところに駆け戻ってきたのであるが、顔が変形するほど強く口笛を吹いても知らん振りなのである。

 これと相前後して嗅覚が鈍ってきたのである。散歩に出ても同じ所を何時までも嗅いでいてさっぱり動こうとしないのである。それまでは少し匂いを嗅いだ後はお決まりの放尿をして、自分の縄張りを誇示するのであるが、この頃からしばらく匂いを嗅いだあとでも放尿をしなくなったのである。当時はまだ家の中に家族と同居しており、外で放尿するか、しないかは大問題だったのである。

 やがて歩行速度も著しく遅くなってきた。ちょっと犬の歩行にはそぐわない速度なのである。「頑張れ、頑張れ」と後ろから声をかけるのであるが、登り坂になると犬の散歩というより大きなヒキガエルを引き連れている感じである。昨年の秋からはお決まりの散歩は断念した。

 もっとも、ペロの足の衰えの一因は私に有り、まだ若かりし「名犬」の頃、一緒に走っていて、近所の犬の声で急に方向転換したため、それに私がつまずいて横転したのである。この時は私のほうがかなり痛い思いをしたと思っていたが、その後、散歩で時々後ろの右足を引きずることもあったが、それほど痛がる様子もなかったのでそのまま放置していたのである。晩年になって獣医に相談したが「今さら」ということでどうにもならなかったがペロの老衰の引き金になっているようである。

 ペロにとっては犬の尊厳を象徴する、走る、聞く、嗅ぐの主要機能が「健常犬」の万分の一程度に減退したのであるから哀れではある。この中で特に聴覚の衰えは犬にとっては致命的であるような気がする。

 そもそも犬の視力というのは「ど近眼」であまりよく見えないと聞いている。その代わり聴力と嗅覚は極めて鋭敏で、物を判断するのはこの二つの機能で行っているのではないかと思っている。

 我が「愛犬ペロ」はこの主要機能を失ったために主を判断することも出来なく、動物の本能だけが剥き出しになり、むやみに噛み付くようになったのである。ペットというのは飼い主の言葉や行動を判断して反応するからペットとしての可愛さや心の癒しになると思っているが、判断の機能を失ったペットは単なる物体に過ぎない。

 その上、昼間は死んだように眠っているのであるが、夜になると不自由な足で徘徊するのである。ただ勝手に徘徊するのであれば「どうぞご自由に」と言うことになるが、なぜか狭いところ狭いところに入り込もうとするのである。あの足でどうしてこんなところに入ったのかと思うような狭いところに入り込むのである。
 これも勝手に入っているだけならよいが、動けなくなると甲高い奇声を発するのである。それも決まって夜中の一時前後であり、酷い時は一晩に二回も三回も同じことを繰り返すのである。ただ、こうした隅に入り込むのは篭る音を頼りに、失った世界を探しているのかと思うと哀れである。

 その都度、もとの寝場所に抱えていって「置いて」おくのであるが、あまりに度が過ぎるとつい頭を小突いたりしたくなるのである。もっともこれが小突きか「どづく」かは微妙なところで、かなり「どづく」に近い小突きであるかもしれない。「可愛そうに」と思われるかもしれないが、毎晩、ようやく寝付いたと思うと奇妙な声で起こされると、怒りが収まるまでしばらく寝付かれず、数度にわたりこれを看過できるほど寛大な人格には出来ていないのが情けない。

 ここ数日前からは唯一残った食欲もなくなった。今までは食欲だけは比較的残っていたのであるが、舌がよく使えないし、また口がよく開かない。従って、食べ物に出っ張りがないと口に入っていかないのである。えさを前にして食べようともしないペロに「この犬、自分で死のうとしているのかしら」などと家内に言われると、どっと悲しみが込み上げてくる。

 結局、家内などが手ですくって食べさせたりするのであるが、歯だけはまだ丈夫なため、見事に噛まれるのである。私もやってみたが人差し指をソーセージか何かと間違えたのか、えぐられるほどに酷く噛まれ、二週間以上たつがまだ指先の感覚が戻っていない。それからはスプーンで食べさせることにした。もっともライオンに指を噛み切られて平然としていた「むつごろう先生」に比べたらかすり傷みたいなものではある。

 スプーンで食べさせることが自然の摂理にかなっているとも思われず、はたしてこれが「犬の尊厳」を保つことになっているのか、いっそ「犬死」をさせてやったほうが良かったのかと思うのであるが、生きる意欲がある限り、どうしても作為的に死なせることなどは出来ないのである。
 それにしてもペロと過ごした16年の歳月の中で、この一年余りは余りにも重いものでありすぎた。(00.11仏法僧)