サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

96.海ノ口温泉「鹿の湯」2

 ところでこの宿の何所を見ても島崎藤村縁のなどという言葉は見当たらない。それならば何故「千曲川のスケッチ」などを引き合いに出し、こんなところまできたのかということになる。以前この本を読んだとき、ほんの一行ほどこの宿について触れていて、それもあまり芳しい表現ではなかったように記憶している。そこで再度、この本を拾い読みしてみたが、どうしても見当たらない。そこでもう一度じっくり読み直してみたのである。

 この「千曲川のスケッチ」は驚くほど細密な描写になっていて、私が子供の頃にはまだその頃の風景や風俗が随所に残っていて、藤村研究の格好の教材であったはずである。ところが私の高校生の頃は学校でもそれほど取り上げられたこともなく、ごく例外を除いて「藤村縁の」などという看板は記憶にない。その理由はなぜかと考えてみると、あまりにも細密な描写であったために、捉え方によってはかなり辛らつな表現に見られるからではないかと思う。

 作中「一ぜんめし」という一節がある。小諸の「鹿島神社の横手に、一ぜんめし、御休処、揚羽屋」というのがある。この店、私の高校時代にもあり、カツ丼というのを生まれて初めて食べたのもこの店で、部活の帰りによく支那そば(ラーメン)を食べたのもこの店である。ところがこの当時、この店が藤村縁の店などとは露ほども知らず、店にもそれらしき看板なども見当たらなかったのである。尤もこの看板が藤村が自ら書いたものと「千曲川のスケッチ」には書かれているから皮肉である。

 その理由は「揚羽屋では豆腐を作るから、服装(なりふり)かまわず働く内儀(かみ)さんが良く荷を担いで、襦袢の袖で汗を拭き拭き町を売って歩く」となっている。これ自体は悪い表現ではないが、今風に言えば若干羞恥の気持ちが働いたのではないかと勝手の思っている。

 島崎藤村はもともと馬込宿の本陣の主を父祖に持つ家柄である。本陣といえば苗字帯刀を許されたれっきとした家柄であり、こうした家に育った藤村には当時身分制度が色濃く残っている時期であり、上から眺める習性が自ずと備わっていたのかもしれない。 そうした目で当時の百姓や町人の生活ぶりを詳細に描写しようとした場合、身分差の習性が出てきたのではないかとこれも勝手に思っている。

 更に、藤村が国語教師で赴任した小諸義塾は明治の代表的教育者である木村熊二の私塾として明治26年に設立されたが、僅か13年で閉校になっている。その理由は時の政府の産業立国の奨励の影響もあったと思うが、スポンサーである町の有力者から、商業学校(我が母校)を設立したいという要請で、閉校の已む無きに至ったのである。

 このときの熊二の怒りはものすごく、町の有力者の先見の明のなさを痛烈に批判した書簡が残っている。今でこそ藤村は町の貴重な文化遺産であるが、私が高校生頃は当時の生き残りの関係者もいて、今ほど積極的に取り上げる気風がなかったのは小諸義塾閉校の感情的しこりが尾を引いていたのではないかと思っている。

 ところで、問題の海ノ口温泉の記述であるが、最終章「その12」の中の「北山の狼、その他」の中に出ていたのである。「私は海の口村の怪しげな温泉宿で一夜を送ったことがあったが、・・・」とたったこれだけである。これをもって何故この「怪しげな温泉宿」が「鹿の湯」かと言われても確証はない。しかし、駅裏の宿は比較的新しいもので、この「怪しげな温泉宿」に最もマッチするのは「鹿の湯」である。

 実は今から60年余前、私が小学校に上がる前に母親に連れられてこの宿に来たことがある。その当時と今もほとんど変わりがなく、朽ちかけた湯船まで最近まであったのである。
 それならば何故、宿の方で名乗らないかと言えば、信州人の律儀さで、確証のないものは認めないことと、記述の表現方法にあったのではないかと思う。豪壮な馬込宿本陣を見慣れた藤村の目にはそう写ったのかもしれないが、「怪しげな温泉宿」ではいくら文豪縁の宿でも看板としては使いにくかったと思うのである。

 然らばこの「鹿の湯」はどうかといえば、概略は冒頭に述べたとおりであるが、明治はとにかく大正が色濃く残っていて、今時得がたい貴重な宿である。多分藤村が訪れた頃は、信州特有の石を載せた板葺き屋根のごくありふれた建物で、今もその面影を色濃く残し、当時と寸分変わらない自然と、山懐に抱かれた静かな環境は今もそのままである。

 私以外に誰も泊り客のいない部屋の窓を開けて、多分藤村もそうしただろうように、手拭を干したままの手すりに腰掛けてみると、微かに蝉の声だけが遠慮がちに聞こえてくる。
 歌手の森進一さんの曲「襟裳岬」に「何もない春です・・・」という句がある。この「鹿の湯」にも何もない。この何もない世界に身を置く贅沢をしみじみと堪能し、遠く明治・大正ロマンにしばし思いを馳せたのである。(02.08仏法僧)