サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

95.海ノ口温泉「鹿の湯」1

 私の「お気に入り」のサイトで、「ダンさんとカミさんのフルムーン温泉」というのがある。素敵な奥さんと旦那なさんが運営するサイトで、信州近隣の温泉を紹介するコンテンツであるが、清冽な泉のような紀行文と時々見え隠れする混浴風景も魅力でお気に入りに加えている。

 管理人のカミさんに刺激されて紀行文を書いてみることにしたが、果たして適当な場所が思いつかない。最近は体の都合もあっておいそれと温泉めぐりも出来ないが、以前は温泉大好き人間で、かなりの「めっけもの」まで歩いているが、大酒と馬鹿騒ぎの思い出はあるが、肝心の紀行を書けるまでの記憶は残念ながらない。

 明治の文豪島崎藤村の作品に「千曲川のスケッチ」というのがある。明治32年に信州小諸の小諸義塾に国語教師で赴任し、7年間にわたり教鞭をとったとき、近くを流れる千曲川の上流から犀川と合流して信濃川に変わる下流の様々の風物をスケッチしたものである。形は藤村の若き日の庇護者吉村忠道の長男で当時中学生だった吉村樹(しげる)宛てた手紙の形になっている。

 藤村はこれを書いていた頃、「懐に和とじの帳面をさげ、腰に矢立をさし」て外出し、目に止まった風物を熱心に書きとめていたらしい。時には絵を画くときに使うイーゼルを置いて「日に日に新しい自然から学ぶ心を養おうとしたのである。」

 この本は単なる紀行文ということでなく、「若菜集」に見られる大明治の美文調から平易な話し言葉の言文一致への流れへ明治文学界の変換点に書かれたもので、「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」と求めて信州の片田舎に移った時の作品でいわば藤村のターニングポイント的な作品である。

 この中でいくつかの温泉のことがかかれている。取り分け小諸の象徴である懐古園(小諸城址)横の坂を下ったところにある中棚鉱泉は有名である。この他に別所、鹿沢、菱野温泉などを紹介しているが、この本のどこかで海の口の温泉宿を紹介しているのを思い出し、何年か前の夏に一人で訪ねたことがある。

 海ノ口というのは小諸から山梨県の小淵沢に通じているJR小海線(八ヶ岳高原線)の文字どおり八ヶ岳高原の入り口にある駅である。この海の口には駅裏にある温泉宿と目当ての「鹿の湯」がある。「鹿の湯」は駅を出るとすぐ目の前を走っている国道141号線を千曲川の上流に向かって進むことになるが、この辺りでは千曲川は見えない。

 しばらく行くと左手に海の口城址方面を示す看板があるが、この城はかの武田信玄が初陣で勝利をあげて城ということ言うことになっているが、小高い山の頂きに石垣跡があるだけで戦国時代の城の面影などない。

 更に進んで小海線の無人踏切を越した辺りから千曲川はぐっと近づいてきてしばらくは国道とほぼ並行して流れている。この辺りの千曲川は比較的穏やかで、小海周辺で見られた巨大な石は影をひそめている。
 この大石はかつてこの近くに天然のダム湖があり、それが決壊して佐久平全域に大洪水を引き起こした痕跡である。この湖からこの辺りには海のつく地名が幾つか残っている。尤も、この石も最近は土木工事など撤去されて川の風景も大きく様変わりしている。

 さて、ここからほんの少し上流に沿って進むと右手に「鹿の湯」の看板があるが、ほんのお義理程度のもので気をつけていないと見過ごしてしまう。ここで国道141号と分かれて100メートルほど入ったところが行き止まりであり、何所ぞの民家に入り込んだかの錯覚を起こすような建物が海ノ口温泉「鹿の湯」である。

 建物はお義理にもきれいとはいえないし、鴬張りの暗い廊下を渡って部屋に通されるが、最近の観光旅館になれている人にはかなり戸惑うかもしれない。時計の針がかなり逆回転した風景がそこにあるのである。部屋の入り口は格子戸で仕切られていて、更に客室はふすまで仕切られているが、あまり鍵らしい鍵はない。更に部屋の中に金庫などというものもなく恐ろしく不用心である。

 部屋にはテレビはあるが、冷蔵庫などもなければクーラーなどもない。窓を開けると左手に、今入ってきた道と、あまり手入れしたこともないような庭がすぐ目の前にあり、右手はすぐに自然のままの山肌である。即ち八ヶ岳高原はここから始まっているその付け根なのである。

 早速浴衣に着替えて一風呂浴びることにした。風呂場は思ったより広くてきれいであるといいたいところだが、実は近年改装してタイル張りの風呂に変わったが私が訪ねた頃は古色蒼然たる木製の湯船で、お義理にもきれいとは言いがたかったのである。(02.08仏法僧)


参考・「ダンさんとカミさんのふるむーん温泉」:http://www1.odn.ne.jp/dansantokamisan/index.htm