サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

134.蝉しぐれ

 我が家から二軒先に児童公園がある。幅15メートル余り、長さ5・60メートルで、その先は起伏の大きい自然林になっている。片側が道路の土手で、もう一方は石垣に沿ってフェンスが張られ、それに沿って何本かの八重桜が植えられているごく当たり前の児童公園である。勿論、児童公園だから滑り台やシーソー、ブランコなどの若干の遊具もあるが、普段は全く子供の姿は見えない。

 我が町青葉台は今から35年程前に出来た「新興住宅地」だったが、出来た当時としたらこの付近では珍しい上下水道完備のモダンな住宅地であったらしい。したがって当時の入居者はそこそこの中堅クラスの方が多かったらしく、それなりに子供の数も多かったのかもしれない。

 私がここに転居したのはあの「愛しのタイガースが」最後に優勝した時だから18年前と言う事になる。その頃でも子供の数もそこそこに目に付き、毎年町内での盆踊りには大勢の子供達の姿があった。あれから18年過ぎて、子供の姿をめっきり見かけなくなった。

 それとともにこの住宅を誰言うでもなく、青葉台ならず枯葉台と呼ばれているらしい。取分け我が家の並びの「隣組」十九戸のうち十代以下の子供のいる家はったの一軒、しかも通りを隔てた向かい側十一戸のうち、ご主人をなくされた家が六軒ということで、誰かが「後家通り」と言う名前がついているとかいないとかの話である。

 その話はさておいて、いずれにせよ高度成長時代に出来た新興住宅地と言うのは日本中何所へいっても大同小異であるらしい。いずれにせよ子供のいない世界と言うのは寂しいものであるが、この児童公園、一年を通じて私にとって得難いトレーニング場なのである。今ではこの誰もいない公園に私の歩いた跡だけが残っている。

 春は道路下の土手に植えられた雪柳で幕をあける。文字通り雪かと見まごう程の真っ白な花と、その花越しに鮮やかな緑が芽生え、これから始まる華やかの季節の幕開けで、心も浮き立つのである。

 続いて森の中の山桜が楚々たる花を開く頃、石垣沿いの八重桜が咲き出し、誰もいない公園は爛漫の春を迎える。そのあとはさつきの植え込みが色とりどりの花をつけ、更に誰かが植えた紫陽花も淡い水色の花をつけ、やがて夏を迎えるのである。

 毎日のようにこの公園を歩いていると、様々な変化を否応なく目にし、人は年々歳々変わるが自然は毎年変わる事もなく繰り返される。取分け、人の変わりようには目を見張るものがある。この前まで、ランドセルを背負って毎日公園の側の道を通っていた女の子が、いつのまにか華やかな女性に変身して颯爽と闊歩している。

 この誰もいない公園で、いつも顔を合わせるのはすぐご近所の婆さんである。この婆さん、私より一回りほど年が離れているようだが、いささか健忘の傾向にあるようで、その差は定かではない。健忘と痴呆とはどう違うか知らないが、私も近頃は健忘の傾向が強まってきたようで人の事をいっている場合でもないかもしれない。

 この婆さん、何年か前までは田舎で農業をしながら一人暮らしをしていたが、最近になって近くに住む娘さんご夫婦に引き取られてきたのである。初めの頃は知り合いもなく、かといって家に引き篭っていても始まらないため、近所を独りで歩き回っていたが、やがて公園を歩き回っている私に遠慮しいしい話し掛けてきた。

 その話し言葉たるや押しも押されない生粋の広島弁である。勿論これが悪いと言っているのではない。ただ分からないところが多いのには参った。それに健忘が加わるから、余計に話が混乱してくる。しきりに誰かの事を話しているが、聞いた事のない名前がぽんぽんと出てくる。
 私もそれほどご近所の人の名前を知っているわけではないので、適当に相槌を打っているが、どうやら田舎にいたときの人と取り違えているようである。

 先日も頻りと「姉がうるさいことを言って」と言うので「姉さんは何所にいますの」と聞くと、「あそこにおるじゃけん」と娘さんの家を指差す。どうやらこの婆さん、娘さんと姉さんを取り違えているらしいが、万事がこの調子で、最近は私が行くのを待ち構えているようで、道で会っても私の顔を見ると嬉しそうに手を上げるようになった。

 いささか浮世離れした会話を楽しみに私も相も変わらず公園通いをしているのであるが、この間、夏も間もなく終わろうとしているある日、乳母車を押した母親に連れられて捕虫網を持った男の子が公園に遊びに来た。今年は例年になく残暑が厳しかったが、近くの森からもまた八重桜の木からも激しい蝉しぐれが降りそそいでいた。

 男の子は森に入ったところで蝉の姿を探しているが中々見つからない。ここでまたお節介好きの悪い癖が出て「ボク、こっちにおるでえ」と声をかける。すぐさま忍び足で走ってきて桜の木の枝に止まっていた蝉を見事に捕まえたのである。

 思わず「巧い、やったあ」というと、「なんや、油蝉や」といささか不満そうな事を言う。虫籠には何も入っていないので男の子の顔を覗き込むと、小鼻を膨らませほほに汗をたらしながら息を弾ませて、明らかに興奮しているようである。

 思えば私が始めて蝉を捕まえたのも同じくらいの年頃だったのだろうか。家の近くに一本だけ生えていた太い欅の木の幹で鳴いていた蝉にそっと近づき、伸び上がるようにして覚束ない手で抑えたら偶然にも蝉は小さな手の中にあったのである。

 蝉にとったら迷惑な話であったかもしれないが、この男の子にとっては生き物のいとおしさを学ぶ貴重な経験になったのかもしれない。母親に連れられて公園を出てゆく後姿は誇らしく、殊のほか嬉しそうであった。

 蝉しぐれの時期はあっという間に過ぎ、今は咲き残りの花芙蓉が夏の名残をとどめ、萩の花が咲き始め、公園はまた誰もいない秋を迎えている。やがて、ピラカンサスの実が赤く色づくころこの枯葉台は冬を迎えるのである。(03.09仏法僧)