サイバー老人ホーム

352.笹の花

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、一日が過ぎるのが驚くほど速く今年ももう二分の一が終わろうとしている。よわい喜寿を越えると時間の経過が驚くほど速くなるもので、まるで、あの世への旅立ちをせかせられているような気がする。これも時の経過で止むを得ない事であるが、いささか寂しさを感じる今日この頃である。

 そう云えば、この原稿を書き始めたのは5月の中頃であったが、今年は何故か夏来ると云う感じは一度もなく、我が家では五月いっぱい炬燵のお世話になった。これも寄る年波の為せる業かと思っていたら、NHK天気予報の美人のお姉さんが、「暑熱順化」が出来なくなったのではないかと教えてくれた。

 日本には昔から入梅と云う代表的な季節の変化がある。この入梅と云うのは、日本の南岸付近に北側から張り出したオホーツク海高気圧団という寒冷な空気と、南から押し上がる小笠原高気圧団が互いにぶつかり合い梅雨前線となり連日曇りの日が続き雨を降らす、という事は小学生頃から教えられていた。

 ところで、最近のNHKの天気予報によると、今年は梅雨が長いらしくそのためか西日本以北は冷夏であるらしい。その理由として、今年はエルニーニョ現象が活発になる見込みだという事であり、また一つ難しい現象が加わった。

 このエルニーニョ現象については時々聞かされるが、正直のところ詳しい事は知らない。そこで、早速、Goo辞書を牽いてみると、そもそも、このエルニーニョとは幼児キリストの事で「赤道付近のペルー沖から中部太平洋にかけて、数年に一度、海水温が平年より高くなる現象で、発生海域のみならず、世界的な異常気象の原因となる」という事らしい。

 更に解説として、「この海域は通常、貿易風が暖水を西に移動させ、深海から冷たい涌昇があることで同緯度の他の海域より水温が低い。ところが貿易風が異常に弱まることで、暖水の移動や湧昇が抑制され、この現象が発生する。狭い海域のみで生じるエルニーニョより広範囲で甚大な影響を及ぼす」と、はて、これで何故幼児キリストを含めて分かったような、分からんような理由でいずれにしても今年は冷夏であるらしく、異常気象が続いている。

 日本には、これ以外に昔から「山背」と呼ばれる自然現象もある。これもGoo辞書によると、「夏季に北日本の太平洋側、特に三陸地方に吹く冷湿な北東風、又はオホーツク海高気圧から吹き出す風で、長く続くと冷害の原因となる」という事で、過去にも何回か深刻な凶作を引き起こした元凶として百姓に怖れられてきた。

 幸いであったかどうか分からないが、私の今までの人生で凶作による脅威を感じた事はそれほどなかったが、むしろ戦前戦後を通じて全国的な食糧不足にはいやと云うほど苦しめられた。

 近頃は、貿易風はさて置いて、貿易の自由化が進み、食糧不足より、むしろこの飽食の時代を如何に乗り越えるかが大きな問題である。とは言え、現在どれほどの人が農業で生計を立てているかそれすらも分からないが、いずれにせよ、天候不順は農業にとって痛手であることに間も違いがない。

 そういう状況の中でもう一つ不吉な現象を発見したのである。これは文字通り「発見」であり、未だに如何なるマスコミであっても公表された形跡はどこにもない。

 と云うと、いかさま大げさに聞こえるが、実は標題の「笹の花」を見つけたのである。な〜んだそんなものと云うなかれ、昔から笹が花を咲かせるのは八十年から百二十年に一度と云われていて、この「笹の花」が咲いたら大凶作になると云われているのである。私もこの話は何度も聞かされているが、実物を見たのは齢七十七の喜寿を迎えて初めてである。

 然らば、どこで見つけたかと云うと、我が街西宮市青葉台の第四公園のサツキの植え込みの中に見つけたのである。

 な〜んだバカバカシイ、と云わんで貰いたい。なるほど、我が街はもとより、この生瀬地区には今では一坪の水田も見当たらないが、されど、この話は「笹の花」を見つけた土地だけの問題ではなく、全国的に影響を及ぼすことであり(多分)、うかうかできない話である。

 本来ならすぐにでもNHKのベテラン気象予報士の南さんに電話で知らせるべきであるが、残念ながら一面識もなく、薄汚い年寄りがしゃしゃり出ても気分を悪くさせるだけだから遠慮しておく。但し、これだけの大発見を放置するつもりは毛頭ない。そこで暇に任せてつぶさに観察することにした。

 そもそも、何でサツキの植え込みに笹が生えているのかという事は別にして、「笹の花」をつぶさに観察すると、丈はサツキの植え込みから顔を出すほどのものもあるが、公園の土手に生えた15センチ程度のものまですべて開花していて、言い伝えによる全ての笹が一斉に開花するという事を裏付けている。尤も、我が街以外にも咲いているかどうかは、私の体では確かめようもないので定かではない。

 花茎は笹の節から通常の枝と共に何本か出ていて、その先端に二三本に枝分かれして穂が出ている。穂の形状は、カホン科(稲科)の植物の一つであるカラス麦の穂にほぼ同一である。5月の下旬頃からやや細長い実が付き、指先で取り出してみると、麦同様のデンプン質の実であり、小麦の半分ほどの実であり、成熟すると十分に食せられると考えられる。

 と、まあこんな具合で、興奮した割には大した内容ではないかもしれないが、何故ここまで興奮したかと云えば、何と云っても80〜120年に一度の開花であり、これが私の生きている間にお目にかかれるとは全く思っていなかったからである。

 更に、二年前の平成24年にわが故郷開村以来の歴史を物語として纏めた「山鳴り」を自費出版したが、その中に「笹の花」にまつわることも書いておいた。この時はまだ私自身は「笹の花」を見た事も無く、作家田辺聖子さんの「姥ざかり花の旅笠」と、インターネットから拾った写真から想像したものである。

 内容は、天明大飢饉を引き起こした浅間山の大爆発を前に「笹の花」が咲き、これが稔って出来た笹麦を集めて飢えをしのいだという設定である。田辺聖子さんの「姥ざかり・・・」には同時期山形県最上地方(羽州最上郡)で書かれた古文書から次のように書かれていると記されている。

「凶作の年、土質の軽い笹叢(むら)に突如花が咲き、実が付く事、百三年に一度の事なり。然るに笹は枯れ申し、飢饉の前兆也。但し、この度の寅(天明二年)の凶作に八十一日間に百二十俵の笹麦収穫と為し、飢饉にこれを糧として二・三年を過ごしつ、この笹麦の御蔭で二・三年凌ぎ申し候」と書かれているのを一部使わせて頂いたのである。

 ところが、6月に入るとわずか「八十一日間」はおろか。僅か1週間ばかりで、しかも穂は触れただけで大部分は落ちてしまった。仕方がないので拾い集めてきたのが写真の図である。これをつぶさに観察すると、形状は麦の粒より細長くおおよそ14ミリ程もある。

 ただ太さは麦よりも細く直径で3ミリ程度である。従って、小麦と同程度の容量はあるので、十分にコメの代用にはなりそうである。更に、麦と同じように実を二分するように細い縦線が入っていて、白みがかった黄褐色である。笹や竹と云うのは、純粋なる樹木とは異なり、稲科に属している植物という事は初めて知った。

 と、まあこんな具合だが、勿論我が街の公園に咲いている「笹の花」程度では猫の餌にもならないが、間もなく訪れる飽食の時代の大凶作、はて、どのように凌いで良いか今から思案している次第である。(14.05.15仏法僧)