サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

87.最新治療2

 脳梗塞の場合、梗塞によって壊死した脳細胞は元には戻らない。これによって起きる体の麻痺が重大で、本人は勿論家族をも巻き込んで、生活の全てにわたり深刻な影響を及ぼすことになる。但し、脳細胞と言うのは使われていない細胞がたくさんあり、リハビリを通じ新しい命令系統を作り出すものらしいし、そう信じてリハビリに励んでいる。問題は再発である。この病気が再発した場合に、再度、意欲を持って回復に取り組める自信はない。

 後遺症は時間をかけて回復させるしかないが、肉体的精神的に健康に維持できて、再発が予防できれば半分は直ったと同じだと考えて、この病気を引き起こした生活習慣を改めることが先決であると考えている。ところが考えてみると長年に身についた生活習慣を間違っていると思って生活している人はあまりいないのではないかと思うのである。私の場合、この病気にかかったときはあまりにも突然で、全く自覚症状もなかったことから自分の反省はさておいて、一時は神の差配をうらんだりしたのである。

 更に自分の症状を軽く見るか重く見るかによって大きく異なる。あたかも病院に来るのが趣味のような人がいる。こう言う人はえてして健康管理の努力をしないで、病院に任せっ切りの人である。

 一方、健康のためなら死んでも良いようなタイプで、様々な健康管理をやっているが、問題は自己の過信から医学的なことを信じないか軽視する人である。そのどちらがよいと言うことではないが、私の場合はどうやら後者に属したのかもしれない。

 ここで健康と何かと考えてみた。取り分け肉体的健康とは、人間は細胞で出来ており、その細胞が正常であれば健康と言うことになる。然らばどのような状態が正常かといえば新陳代謝が正常に行われていることであると勝手に思っている。何をもって正常かといえば起居動作が正常ということで平たく言えば、食欲、睡眠、排泄、体温、血圧等が正常であることだと考えている。そのためには、身体の鍛錬というのも大切だが、最も基本となるのは血液である。

 血液検査というのは中高年であればおそらく誰でもしていることと思うが、大方は判定基準の範囲に入っていれば問題ないと考えるが、問題は入っていても検査結果が上限であるか下限であるか、更にその項目と時間的変化がどのように推移しているかである。
 往々にして「ちょっと高め」とか「ちょっと低め」だが、まあまあと自分なりに良い方に解釈していないかである。それが時間的にその方向に変化しているとか、長期間、その状態にあると言うことは明らかに病気であると判断するべきと考えるのが実感である。

 わが国では、大概の会社で品質管理の手法を取り入れているが、品質管理をしている家庭はあまり聞いたことがない。品質管理とはデータにより品質を判断し、データで品質を維持することであるが、人間の健康を最も的確に把握しているデータは血液である。 血液のデータを時系列的に管理していれば健康は管理でき、病気にもかからない最新治療法だと考えた。ところが血液検査を毎日やるわけには行かない。但し、血圧、体温、尿糖、体重などは毎日はかれる。これらは代用特性といって血液検査の代用になる。更に顔色、爪・皮膚の状態、尿の色など目視で自分の健康状態を把握できるものはいくらでもあるが、肝心なことは不快感(不定愁訴)が無いことが大切である。

 更に品質管理では、要因分析と言って、不良を作った要因を分析し再発を予防するのであるが、健康管理も同じである。それでは、私の脳梗塞を発症する要因は、血糖値の高いことが血管を弱めることにつながり、同時に血液中のこれストロールや中性脂肪による高脂血症が、梗塞を起こす塊(フィブリン)を生じ、精神的、肉体的ストレスにより脳梗塞を発症させたのだと解釈している。

 然らば、血糖値や高脂血症をどのように抑えるかと言えば、危機的状態を抑えるためには薬による治療も必要であるが、長期的には食生活の管理と適度な運動以外にない。
 問題はこの食習慣をどのように改めるかである。最近は「いわしの頭も信心から」ではないが、テレビや雑誌、はたまたダイレクトメールも含めて、日本中が「健康食品」の洪水に溢れ返っている。私もフィブリンを溶かす効能があると言う栗本慎一郎氏の著書を読んで、「ミミズ」の健康食品を半年間に亘って飲んでいるが、私の場合は栗本氏の本の売れ行きほどに劇的な効果があったと言う自覚はない。

 最近昼の「ワイドショウ」で「みのもんたさん」の番組で様々な健康食品を取り上げているが、高名な学者が推奨していることでもあり、よいと言われるものは全て取り上げればよいと考えているが、問題は永続性にある。聞くところによると人間の細胞は60兆あり、これが時々刻々新陳代謝を行っており、全ての細胞が置き換わるのには最低3ヶ月を要するらしい。この間は勿論その後もそれらの健康食品を継続して摂取できるかが問題である。

 結局、巷に数ある健康食品の中で、まず論理的説明が納得できることが第一条件であり、それが永続的に入手可能であること、更に経済的に負担可能であるものであることが必要と考えた。

 この中で、経済的というのが問題で、健康はお金では買えないと言われるが、最後はやはりお金と言うことになる。この健康食品、それほど安いものではないが、人間と言うものはおかしなもので、習慣的になっている不摂生に払うお金には、あまり気にならないのであるが、習慣から外れるものは無闇に気になるものである。かつて、この程度の出費は一晩のうちに消え去り、その結果脳梗塞と言う生活習慣病になったというのに、自分の健康にためと言うことであるが抵抗のあるものである。

 結局、渋る家内も説き伏せて、兄からの勧めもあり「Mキグループ」の健康食品を選んだのである。問題は、この健康食品を採る(食べる)ようになってどのような変化があったかである。
 冒頭に言った、壊死した脳細胞は生き返ることはない。したがって、麻痺した右半身が劇的に回復することはないと初めから思っていた。然らば何が変わったかであるが、血液である。
 勿論60余年に亘って作り上げたこの体質が一朝一夕に改まるわけは無い。それよりも「健全な精神は健全な肉体に宿る」の喩えではないが、現状を克服しようとする気力の充実が自覚できるのが何よりも嬉しい。結局、生活習慣病の「最新治療」は生活習慣を改める以外に無いことを知った。(02.06仏法僧)