サイバー老人ホーム−青葉台受勲年物語

39.良 寛3

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい」ご存知夏目漱石の「草枕」冒頭の一節である。
 良寛はちょうどこの逆の「智にも働かず、情にも棹差さず、意地も通さず」自然の流れのままに生きた人であったと思う。ただ、良寛が唯一棹を差したのが、当時の僧の生き方に対する手厳しく批判した「僧伽(そうぎゃ)」と言う長詩ではなかったろうか。解釈に間違いがあるかもしれないが、その概意は次のとおりである。

 「最近の若い僧を見るに、朝から晩までただ喚き立てているだけで、ただ喰わんがために本質を離れたところを走っている感がする。髪を落とすことは三界の愛を断ち、衣を纏うのは俗世との縁を断つことである。無心の境遇に入るのはいいかげんの仕業ではない。
 機を織らなければ何を以って衣とし、耕さざれば何を以って食すか。それなのに昨今の坊主は釈迦の弟子と称しながら、修行することもせず、道を極めることもしようとしない。徒に檀家のお布施をむさぼり、集まって屁理屈をこね、古いしきたりにばかりに拘泥している。たとえ自らが犠牲になろうとも、己の名声を求めてはならない。
 人の一生などと言うものは行き交う旅人のように留まる事もなく、人の命は朝露のようにはかないものである。良い時などもあっという間に消え去り、正法などと言うものもなかなか成就できるものではない。常に精進に勤めなければ、手をこまねいて待っていても悟りなどは得られるものではない。今からよく考えて、今の態度を改め、努力を怠らず、自ら後悔を残すようなことがあってはならない。」

 良寛の日常から考えた場合いささか、場違いのような気がし、ここが水上勉氏の癇に障ったところなのかもしれない。これは当時、檀家制度のもとで、ぬくぬくとお布施をむさぼり、葬式仏教に堕した仏教界に対する痛烈な批判ではなかったかと思う。

 特定の寺の住職でもなく、禅宗の僧としての禅師号を受けたのでもなく、まして一宗一派を開いたわけでもない一人の修行僧良寛が斯くも多くの人々に愛されたのは越後蒲原地方のおおらかな風土とそこに育まれた懐深い人々があったからではあろうが、それ以上に全ての人々に対し一切の偏りのない等距離をおいた良寛の生き方が、あたかも全ての人にあまねく光を差しかける太陽のように人々の心の真中にあったのではないかと思っている。

 全てに偏りのないと言うことは一見頼りないように感じられるが、喜怒哀楽、好き嫌い、美醜、善悪、等々全ての感情に等距離をおくと言うことは並大抵のことでは成し得ないし、そうした良寛との交わりに無上の心地よさが有ったのではないかと思っている。

 人には情緒をつかさどる右脳と、知性をつかさどる左脳があると言われている。このどちらが発達しているから良いと言うものではないが、世の中には、知性(テクノロジ)に優れた人と、情緒(ロマン)に図抜けた人がいる一方で、情緒面では優れているが、テクノを必要とする社会性についてはまったく無知な人がいる。いわゆる「テクノ馬鹿」である。
 勿論その逆も有るが、良寛の場合は、この社会性への適応力がまったく無いいわゆる「テクノ馬鹿」ではなかったかと思っている。

 「良寛1」で取り上げた良寛の死後、褥(布団)の下に隠されていた40両を超える大金もこのお金が惜しくて隠していたのではなく、使い方がわからなかったのであろう。
 勿論、乞食行をする良寛にとって毎日は托鉢をすることによってたり、それ以上のものは必要ではなかったのである。それならばなぜこれほどの大金が手に入ったかと言えば、良寛が好むと好まざるとにかかわらず、当時も今も良寛の書は貴重なもので、誰もが欲しがったものである。

 良寛の書を得るために敢えてお金を使う人もあったことであろう。もし良寛に商才というものがあれば、おそらく40両はおろか莫大な富を蓄えていたかもしれない。それをしなかったのは良寛の人柄と、足りることを知った良寛の生き方ではなかったかと思う。しからば、余ったお金を貧しい人に恵んでやればと言う考えもあるが、それでは乞食行が成り立たなくなるし、無一物の生活を身上とする良寛以上に貧しい人があったと言うのも変な話になる。

 われわれが一生を過ごすのに、生活の基盤を作る世代では社会性、すなわちテクノ人間であるほうが良いのかもしれない。ただ、テクノロジはロマンを実現するための手段であり、テクノロジを極めるのが人生究極の目的ではない。
 良寛の生き方を見るにつけ、情緒(心)豊かに生きるのはそれだけで十分に幸せではないかと思っている。特に老境に至っては、財産やなまじな知性より、情緒豊かなほうが幸福の度合いが大きいように実感する。
 財や名利にこだわるのはコレクタのようなもので、求めれば欲望には際限がない。足りることを知ったときには欲望はなくなり、心の自由さが広がる。この心境を良寛は次のような詩に託している。

     欲無ければ一切足り
     求むる有れば万事窮す
     淡菜も飢えを癒すべく
     納衣(のうえ)聊か身に纏う
     独往して麋鹿(びろく)を伴とし
     高歌して村童に和す
     耳を洗う巌下の水
     意(こころ)に可(よろ)し、嶺上の松

 いささか分不相応の話題であったが、良寛に対する正しい認識を持つことが出来た良き本に出会ってことに感謝し、老境を迎え、財を成すことも名利を立てることも縁が無くなった現在の境遇において、出来うれば最後は良寛の心境に至れればと願う次第である。(00.10仏法僧)