サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

67.リハビリテーション

 リハビリテーション、いわゆるリハビリという言葉は聞いたことがあったが、せいぜい50肩だか60肩の揉み解し程度であったが、少なくと右半身全体を再構築するためのリハビリをする羽目になるとは考えても見なかった。リハビリとは治療段階を終えた後遺症を持つ人が、医学的、心理学的な指導や機能訓練で機能回復を図り社会復帰を図ることらしい。

 そもそも半身不随というものがどういう感じかと言えばこれがはっきりしない。もちろん神経は通じているから暑さ寒さはわかるし、触った感触はおおよそわかるのである。ところが手足を動かそうとしても頑として動かないのである。ただ一部の関節などは全身の力をこめて動かそうとするとほんのわずか動くのである。あの高校の頃の運動部の腹筋や背筋の運動のようにである。更に、この機能しなくなった手足というものは実に重いのである。あたかも砂袋を体に巻きつけている感じである。

 リハビリによって機能が回復するというのは、反復して運動すると徐々に戻ってくるものと考えていたが、脳の中にその動きに対する新しい回路が作られるということらしい。体の各部を動かす命令は脳から出され、それが神経を伝わって体の部分に伝わるのであるが、この回路というのは一つではないらしい。予備の回路がいくつかあるらしいがそれを呼び起こすのが、脳神経関係のリハビリということである。もっともこれが非マトリックスリ理論ということらしいが、一方で回路は一つというのがマトリックスと理論ということになるが、希望的期待感からしても前者を信じたい。

 ところで、健康時に足や腕にあった筋肉はどうなったかといえば、これがすべて消えてしまうのである。私の場合、足全体の筋肉はかなり鍛えており、腕や胸の筋肉もそこそこに発達していてのであるが、これらの筋肉が罹病後は跡形も無く消えてしまった感じである。実際には消えてはいないのであるが、腕などを触ってみると骨と皮だけであり、筋肉の弾力が無いのである。

 こうした中で不随意の筋肉が最初に動き始めるのである。手足に不随意筋などあるのかと思われるが、これがあるのである。正確には不随意に動く筋肉の動きである。朝起きたとき欠伸をしたり、背伸びをしたときに無意識の中で手足の節々を延びるのがそれである。罹病後朝起きたときに手足の先端に奇妙な動きが伝わっていくのである。ちょうど突然足の裏をくすぐられたような感じである。たとえ不随意の動きであっても、まったく動かなかった手足に動きが感じられることはわずかながら希望の光を感じたときである。ところがこの筋肉の動きがその後のリハビリの中で大きな障害になるのを知ったのは三朝温泉病院に転院してからである。

 私の場合、いわゆるリハビリを始めたのは、入院8日目にベッド脇に5秒間ほど直立したのが実質的リバビリの最初である。そして入院13日目にはじめてリハビリルームでの本格的なリハビリが始まったのである。
 はじめは二本の平行棒の間を棒につかまりながら歩くのであるが、その距離片道2メートルほどであるが、思うように足が上がらなかったり、思ったところに踏み出せない状態で、その上体全体の安定性がまったく無いのである。その歩行が若干距離を増し、次に足が4本ある特殊な杖に変わったのがリハビリ開始18日、更に入院1ヶ月で普通の杖を使っての歩行になったのである。

 この頃になると右足の重みも軽く感じるようになり、足の機能が徐々に回復しつつあるのが実感できるが、残念ながら右手の回復はさっぱりなのである。それにしてもここまでは順調に回復している感じで、2・3ヶ月での退院も夢ではないと感じたのである。ただこれはその後大きな間違いで、この病の後遺症が並大抵ではない事を思い知らされるのである。

 このリハビリと言うのは、理学療法士(Occupational Therapist)という国家資格持った方が、「徒手筋肉訓練」という機能回復に必要な筋肉を反復伸縮して動かす療法である。ここで問題なのは、この療法でも怪我をした場合の機能回復は「めざせ甲子園!」張りにやればよいのだが、脳梗塞の場合のように脳神経系統による場合はそうは簡単には行かないのである。

 このことは三朝温泉病院にリハビリのために転院してから知ったことであるが、およそ人間が動き回るのに使われる筋肉(骨格筋という)は1030もあるといわれているらしい。したがって右半身だけでも500以上ということになり、この筋肉に対する命令系統を再生しなければ完全なリハビリということにはならないが、実際はこのすべてというのは不可能であるため必要最低限の筋肉を再生することにある。ただ、手の動きは足ほど単純でない。手だけで130以上の骨格筋があるといわれている。足の指で人を指すことも指で丸を作ることも無いのである。その複雑に絡み合った筋肉に対する脳からの命令系統をひとつずつつなぎ合わせていくのは並大抵ではないということだろう。

 それと右腕の筋肉の感覚が戻るに従い厄介な問題が持ち上がってきた。夜寝たときに肩の関節がなんとも言えないじっとりとした鈍痛がするのである。聞くところによると回復への過程であるとも言われるが、入院当時、右手について具体的な処置を何もしなかったことへの戒めであったかもしれない。

 更にもう一つ、これも転院後に知ったことであるが、痙性(けいせい又は痙直ともいう)による手足の動きである。痙性とは人間が哺乳類から人類として別れる以前から持っていた原始的な筋肉の動きである。分かりやすく言えば、胎児が母親の胎内にいるときの姿である。両手を胸の前で組み、足を曲げて丸まっている姿で、人間が人類として身につけた高度な手足の動きを取り除くとこの姿になる動きだけが残るらしい。

 理学療法ではこの痙性を調整しながら、人間としての筋肉の動きを回復する事にあるが、これが並大抵ではない。私の場合は人間が古臭いのか、さもなくば臆病なのか人一倍痙性が強いらしい。
 痙性があながち全て悪いと言うことでもないらしいが、入院当時の病院では「目指せ甲子園!」と院内を暇さえあれば歩き回っていたが、転院後聞かされたのは「痙性」だけで歩いていたと言うのである。

 また、これも転院後に知ったことであるが、リハビリにはこの理学療法のほか作業療法(Occupational Therapy)と言語療法(Speech Therapy)があるのである。トンネルを抜けるとそこは健常者だった、という事は無いのである。回復したといっても健常状態の何分の一かであり、日常生活に適応するためにはまだまだ試練は続くのである。いずれにしても機能回復するためには、本人の意欲と体力、そしてやり抜く意思力に加え、療法士の経験と技量によって左右されることになるが、実質的な「地獄のリハビリ」はこれから始まったのである。(01.09三朝温泉病院にて仏法僧)