サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

151.卵子寿命

 読売新聞夕刊の連載小説「トリアングル」が終わってしまった。この作者は、あの可憐な人気歌人の俵万智さんである。とは言うものも万智さんの作品はいままでに、新聞などに掲載されているものを横目で眺めた程度で、じっくりと味わった事はなかった。

 ただ、歌人というものは私如きの雑文と違って、言葉を選び、煌くような情景を唄うものと思っていた。俵万智さんにとって今回の連載小説は、初めてということで、あの可憐な歌人がどのような物語を展開するのか、興味と期待をもって、楽しみにしていたのである。

 結果は期待通りで、久しぶりに面白い小説を呼んだような気がする。物語は薫里という若手のキャリヤウーマンの交友関係を著したものであるが、あからさまに言えば男女関係ということになり、あの可憐な俵万智さんからは想像できないような過激な性描写などあって、むしろ度肝を抜かれたというのが適当かもしれない。

 主人公の薫里には、過去に付き合っていた「あいつ」と言う男性があり、思い出したくもない理不尽な別れがあったようである。この破局があったためか、薫里はその後、Mという男性と付き合うようになるが、このMはいわゆる不倫であって妻子のある男性である。薫里にとっては「あいつ」との事があって、一切のしがらみを切り離したようなMは父であり、上司であり、夫であり、恋人であり、相談相手であり、理想の男性を集約したような存在である。
「さりげなく家族のことは省かれて語られてゆく君の一日」
 ところが行きつけの酒場で、いわゆる風太郎のような圭ちゃんと知り合い、深い交わりを持つことになる。薫里はだからと言って、Mの家庭に入り込んだり、圭ちゃんとの結婚など毛頭考えていなかったが、圭ちゃんとの交際が深まるに従い、圭ちゃんは見かけによらず常識的な男女のあり方を求めるようになり、結局分かれることになる。
「別れ話を抱えて君に会いにゆくこんな日も吾は「晴れ女」なり」
 と言う設定だが、随所に万智さんの歌をちりばめ、交わされる会話がいかにも今風で軽快である。薫里の口癖の人から言われた事に「そっかあ」と頷く様は、納得したわけではないがとりあえずわかったと言う事か、私の年齢ではもう聞くこともなくなった表現で、いかにも新鮮に耳に心地よく響く。

 この小説が連載中の昨年暮れに、突然、万智さんの出産の報を知らされただけに、この作品は万智さんの自伝的私小説かと思うのである。
 そう言えば、歌人が作る歌にフィクションがあるのかどうか知らないが、万智さんの歌には、こうした男女の葛藤を描いた歌が多く、ゲスの勘繰りをすれば、俵万智さんという方は見かけによらず恋多き女性なのかもしれない。
「きつくきつく我の鋳型をとるように君は最後の抱擁をする」
 ところで、この小説の最終章で、薫里がMとの会話の中で、女性の卵子の寿命について語るくだりがある。薫里のよると、女性の卵子の寿命は40歳だそうである。それ以後は良質な卵子が作られることはなくなると言う事である。
「うん、でも、やっぱり四十年ぐらいがいいとこで、後はあんまりいい卵子が残っていないことも多いんだって」
「そうなんだ」で、なにか話たいことあるんだね?という目を、Mがこちらに向ける。
「うーんと、あの、その、私もあと五年ぐらいのうちに、きちゃうんだな」
「卵子の期限?」
・・・・・・・・(中略)
少しの沈黙のあと、Mが言った。
「子ども、欲しいと思っている?」
・・・・・・・・(中略)」
 この事は私も初耳で、チャップリンの例もあり、男性の精子のように年齢によって、徐々に少なくなるとは思っていたが、女性の卵子が40歳そこそこでなくなるものとは思っていなかった。

 そう言えば、子供の頃、父が卵を生まなくなったニワトリを締めて、料理しているのを見たことがある。その内臓の中に、ピンポン球くらいの卵と、徐々に小さくなった卵が並んだ卵胞があった。 これを見たとき、自分で可愛がってきたニワトリが殺された事の無念さもあって「もう少し待てば生んだのに」と父親に抗議した事があった。
「玄関で軽くキスをしたあと、「大事なことだから、よく考えて」と言ったのは、卵子というか、子供の事だろう。」
 この小説は「いつかMの子供を産みたい」ということで終わったが、万智さんの子供が誰の子供かなどという野暮な詮索は別にして、これが最近の独身時女性の標準的な考え方とも思えないが、当らずとも遠からじということかもしれない。

 この日本という国は、古来、誰もが結婚して家庭を築く皆婚制度の基に成り立ってきたが、今、私などの世代の知らないところで、この国の拠って立つ基本的な制度が徐々に消滅しようとしているのかもしれない。
「お互いの心を放し飼いにして暮らせばたまに寂しい自由」
 ただ、父親とは何であるか、そして父親を知らない子供の将来について、私がMであったなら、薫里に対してどう応えたか、今もって答えるすべを知らない。(03.03仏法僧)

注:括弧内は俵万智さんの作品の引用させていただきました。