サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

190.パラサイトシングル

 先日、読売新聞の「家族」という特集記事を見ていたら面白い事が書いてあった。それによると老後の蓄えとして一億円を持っていた裕福な御婦人が生活保護を申し出たというのである。

 調べてみると、定職を持たない娘と暮らしているうちに、この生活資金が一千万に減ってしまったというのである。娘は職についても直ぐにやめてしまい、やめると勉強のために海外留学したり、国内旅行をして暮らしているというのである。

 誠にもって羨ましい身分であるといいたいのだが、それによって一億円もの生活資金を使い果たしたというのであればその親にしても娘にしても、頭の中をカチ割って覗いてみたい心境である。

 同様に、パラサイトシングルと言う言葉があるらしい。調べてみると、今から八年程前からあるらしいが、「住居や家事を親に依存し、親と同居する独身者」ということらしい。そう云われれば私の身の回りにもこの類の男女をよく目にする。

 このパラサイトとは何か光り輝く事かと思っていたら、寄生虫のことらしい。本物の寄生虫はあまりお目にかからなくなったが、寄生させる方の人間がパラサイトになったということになり、いかにも奇妙な現象である。何故そうなったのかはよく分からないが、「晩婚化・少子化との関連や,その消費行動が注目されている」ということらしいが、いずれにしても親の過保護が為せるところかも知れない。

 昔から、定職につくということは男子一生の事業であり、定職を持つと言うことは、そこから実質的な人生が始まることであった。勿論、定職といっても様々で、職業の貴賎を言っているのではない。自分にあった仕事で、生計を立てるということは、人間が成長していく上で欠くべからざるもので、我々の子供の頃にも同じような事を言われていた。

 我々が実社会に入った頃も、決して就職状況が良かったわけではない。高校進学率が50パーセントにも満たなかった時代に、中学を卒業して就職する生徒たちは大方は個人商店の店員か、女子であれば紡績工場に女工だった。当時、集団就職列車と言うのがあり、中学を終わった子供達が、就職にために集団で上京してくる列車である。

 中学卒業と言うのは僅か14〜5歳のりんごのような真っ赤なほっぺをした子供達が引率の人に遅れまいと必死に走り回っている光景を良く目にした。それでも子供達の顔に、恐怖感や寂しさなどは微塵も無かったような気がする。

 最近、中学校時代の同級会などに出ても、寧ろあの当時中学を卒業した友人達の方が堂々としている。ある友人は店の主として、またある友人は大工の棟梁として、それぞれの重みのある人生を生き、また、女生徒はそれぞれに幸せな結婚生活を送り、立派に子供を育て上げている。

 それよりもう少し前の時代には、女の子の場合、小学校を終わっただけで、子守りや家事手伝いの奉公にあがったといわれていて、今の子供達を見て想像できるだろうか。人間と言うものは豊かさとともに退歩してゆくもかもしれない。

 勿論、全てが順調な人生を送ったわけではない。昔、無宿人といって定職を持たないものも居たようだが、この場合多くは佐渡金山などに送られたといわれている。

 我々が実社会に入った頃も、全てが定職についたわけではない。寧ろ就業規則の基づいた長期雇用契約を結んで雇用されるのは少ない方で、多くは日雇いと言う雇用形態で、いわゆる終身雇用ではなかった。

 当時、アルバイトと言うのは、学生のための就労形態で、実社会に出たものに対するものではなかった。昭和40年代に入り、高度経済成長の続く中で、先ず最初に中卒の集団就職列車が姿を消した。次が大企業を中心にあった養成工制度が無くなった。

 続いて、高卒現業社員が出現し、季節工が出現し、バイト全盛時代を迎える。ただし、ここまでは労働の目的と言うものが明確であったような気がする。学生のアルバイトは厳しい家計の中から進学させてくれた両親の負担を少しでも軽くしようと言う純な気持ちであったような気がする。また両親を支えて家業の農業を引き継ぐ中で、少しでも生活のレベルを上げたいというはっきりとした目標があったような気がする。

 ところが、フリーターといわれるものが出現する時代になって、労働の目的が大きく変わってきたのではないかと思っている。フリーターとは、「定職に就かず,アルバイトで生計を立てる人。就労意識の変化により、働き方のひとつとして定着」となっている。

 かつて、就労することが人生と考えていたものが、仕事の中身よりは単に生活費を得るためという事に変化し、生活費さえあれば敢えて仕事には拘らないと言う考えが定着してしまったのだろうか。だからと言って、立身出世を就労の目的などと言っているわけではない。

 それでも、フリーターといえども就労しようと言う意欲があるうちは良いが、やがてニートという人間の尊厳すら感じられない得体の知れない人間が現れてきた。このニートとは、「職業にも学業にも職業訓練にも就いてない(就こうとしない)人のこと」と言う事だが、およそ生物の中で、この状態に適応する生物が居るのだろうかと首を傾げたくなる。

 意思があるかどうか分からないが、およそ微生物であっても生存と繁殖のために、最適な条件を捜し求めているのではないかと思っている。
 そしてその極め付きがパラサイトシングルである。多分、その親も過去において生きるための努力もしなくとも生きることが出来た幸運に恵まれたのかもしれない。

 人生と言うのは、喜びもあり悲しみもあり、苦しみもあり楽しみもあり、様々なものが入り交じって人生であり、それを一つ一つ乗り越えて行く所に人生の楽しみがある。押し並べて見て±0であればそれで良いのであって、そこまで生きただけで儲け物ということになるのかもしれない。

 今更貧しく成れといっても始まらないが、間もなく高齢社会を迎える中で、この夥しい罰当りの寄生虫どもがはびこる社会を想像すると身震いする思いである。(05.05仏法僧)