サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

153.落し紙

 先日「クソマル」の事を書いていてなんとなく気になったことがあった。トイレットペーパーの事である。毎日何気なく使っているが、確か昭和48年頃の第一次石油ショックの時、トイレットペーパーが店頭から姿を消して一時大騒ぎになった事があった。後で冷静になって考えてみると「な〜んだ馬鹿馬鹿しい」と思うのであるが、あの時は真剣だった。

 なんと言っても毎日の事だから深刻である。内のカミさんなど手当たり次第に売っている店を覗き込んで、とどのつまりは通常のものよりはるかに小さいパックまで買いあさっていたような気がする。
 尤も、この状況は都会だけの事で、田舎はそれ程深刻にも受け止めてはいなかったようで、その理由はトイレの形式にあったようである。この頃には都会での水洗化は進み、何所の家庭でもほぼ水洗トイレとなっていたが、田舎の場合はまだそこまでは整備されていなかったようである。

 水洗トイレの場合は、当然使う紙も何でもよいということにはならない。うっかり流れにくい紙を使おうものなら致命的なダメージを蒙る事になる。それに引き換え、田舎のポッタン便所はおおらかなもので、最悪ダンボールのようなものでも何とかなったのではないかと思っている。

 考えてみると私が実社会に出た昭和30年代でも、会社の独身寮の便所は汲み取り式だった。したがってこの頃はロール式のトイレットペーパーなどなかったし、トイレットペーパーと言う言葉さえ使われていなかったような気がする。粗悪なちり紙がおいてあったがすぐになくなり、「お〜い、隣、紙をなげてくれ!」なんて声が毎朝のように聞かされた。そのたびに、何枚かのちり紙がトイレの上から投げ入れられたが、時により古新聞が上からバサッと落ちてくることもあった。

 ところで、トイレで使うちり紙を昔は「落し紙」と言っていたが、即ち用を足した後、そのまま便壺に落とす事からこの名前が付いたからだろうが、糞尿が農作物の肥料として使われていた頃は、それ程、後は野となれ山となれと言うものではなかった。

 この落し紙は東京の浅草辺りで再生されていて、別名浅草紙とも呼ばれていたらしいが、それは都会での話で私が育った信州の山奥では、落し紙一つでもそれ程潤沢ではなく、専ら古新聞のお世話になった。
 この新聞紙と言う奴、糞尿と一緒になっても簡単に溶けないので、ややもすると下肥として蒔いた糞尿に中にまだ文字さえはっきり読めるような紙が残り、肥溜めを覗きながら昔の記事を読んだなんてアホな事もできた。

 したがって、便所の中には適当な大きさにきった新聞紙を入れる箱のほかに、使用済みの紙を入れる箱がおいてあり、払拭した後はこの箱に入れて、後日燃やすのである。尤も、この事は最近の山小屋でも環境保全のため行われていてさほど珍しいことではないかもしれない。

 私が疑問に思ったのは、洋紙が出現した明治以降はそれでも良かったが、古来紙というのは貴重品で、尻拭きぐらいに簡単に使える代物ではなかったはずである。然らば、この紙を尻拭きに使われ始めたのは何時頃のことかと、考えたら名に気になり、早速インターネットで調べてみた。そうしたら、あるは、あるは、この手の詰まらない(?)ことを真剣に調べている暇人が驚くほどある。

 それによればなんと江戸時代からということであるが、これでは私はかなり早すぎると思うし、かなり限定された階級の人だと思っている。何故なら、物の本によると浅草紙300枚ほどでも、1ヶ月の長屋の店賃と同じだったと言うから、それ程貴重なものをみすみす排泄後の尻拭きなどに使えるわけがない。

 然らば何を使っていたか、それが問題である。子供の頃、食糧事情が悪かったためか、学校帰りや野良仕事に出たとき妙に便意をもようすことがあった。そんな時、のこのこと藪陰に行って排泄するのであるが、今風のトイレットペーパーなど持っているはずがない。あらかじめ回りで用が足せるような大きめな葉っぱを用意して行うわけで、私は専ら蕗の葉っぱのお世話になった。

 ところが、この葉っぱと言う奴ははなはだ弱く、しかも吸収性が悪い。結果はどうなるかと言う事は想像にお任せする事にして深くは考えない。

 ただ、多少の肌触りの悪さは別にしても、用が足せるほどの葉っぱがあればよい。昭和30年代の初めでも、駅のトイレに駆け込んで、間一髪間に合ったが、いざ出る段階になって紙らしき物は何も身につけていなく、泣き泣き小額の紙幣を使ったという話はよく聞いた話である。

 それでは紙のない時代にはどうしたかと言えば、藁縄を張っておいて、それを跨いで、一歩前進というようなことは子供の頃でも聞いた事があるが、実際にお目にかかったことはない。
 これも一見合理的なような気がするが、この藁縄を何本張るというのか疑問が残る。家族全員ということになると、厠中が縄ばかりになり、落ち着いて用を足した気分にならないし、1本と言う事になると、後から来た人はどうなるのか、またその位置はどうなるのか気になるところである。

 これは物の本で知ったことであるが、事の真偽は別にして砂漠の有る国の人は砂漠の砂を使うらしい。これは一見合理的なような気がする。灼熱の太陽で焼かれて完全消毒された砂で尻を拭くなんてこの上なく衛生的である。

 ただ、日本では川でも海でも雑菌がうようよ、それに砂漠の砂は払えばきれいに落ちるが日本では汚しているのか拭いているのかわからないし、さんとなくサンドペーパーで尻を拭いているような感じである。

 次に小石を使ったと言うのが紹介されていた。成る程これならばふんだんにあって、しかも衛生的である。ところがこれも使用済みの石はどうするのかと言う事が問題である。若しかして洗って再利用なんて事も無いだろうから、目の前に使用済みの小石がうずたかく詰まれたなんて想像しただけで、食欲がなくなる。

 更に、木ベラを使ったと言う説があるが、これも小石の場合と同じであって、使用済みのものをどうするかと言う事が問題である。尤も、これは燃やすと言う手は有るが、むしろどう確保するかと言う方が問題かもしれない。

 こう考えると、適当なものが見当たらず、妙に頭の隅に残って悩んでいたところ、NHKの「生活ホットモーニング」と言う番組で、重要なヒントを得る事が出来たのである。

 それは、日本古来の食事を主体とし、体内菌、いわゆる善玉菌を働かせると糞でも屁でも臭くないという事である。そう云われれば、いささか手前味噌ではあるが、発症後徹底的に食習慣を代えたところ、殆どそれらしい匂いがしなくなった。

 戦後食生活が改善し、肉類の摂取量が飛躍的に増大したが、この事が匂いを増し、粘着性を増しているというのである。考えてみると、犬でも猫でも用済み後、尻など拭いていない。我が家の愛犬「ペロ」が健在だった頃、散歩の都度ビニール袋をもって散歩をしていたがトイレットペーパーはもって居なかった。

 結局、結論として、昔の人は脱糞後、尻を拭いていなかった、拭いたとしても手で拭い、然る後に手を洗ったか、はたまた稲藁か小枝の切れ端でほんのちょっと擦ればそれで用が足せたのだという結論に達し、なにかすーッとしたのである。(04.04仏法僧)