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298.公事御仕置き7

 一方、現在の傷害罪に当たる、「人に疵付け候者治療代 疵の多少に依らず町人百姓は 銀一枚」と軽い。この銀一枚とは、寛永時代に定めた御定相場の銀四十三匁の事で、「武家の家計簿」の磯田道史さんによると、銀一匁はおよそ四千円、したがって、十七万二千円であり、当時はかなりの高額だったことになる。

 また、当時は、身分の低いものが、武士に対して不届きがあった場合、切り捨て御免などと云われているが、「足軽体に候得ども、軽き町人、百姓の身として法外の雑言等不届きの仕方、止むを得ず事、切り殺し候者、吟味の上紛れ無きに於いては、 構い無し」となっている。幕末には、武家の雑用をこなす若党などと云う武士モドキがおり、身分を偽ったこれら雑民を江戸町民はこれを三一侍と呼んで目の敵にしていた。

 「五人組御仕置帳」の中には、「御家中様方は申すに及ばず、惣て御奉公人と見かけ候はヾ、馬より下り、かぶりものを外し、無礼仕り間敷候。尤も郷中へ御出で成られ候節、御役人方へ我儘の儀少しも申し上げ間敷候、諸事御指図伺い申すべく候」と書かれているのもあり、在方でも身分の差は歴然としていたのだろう

 そして、「家焼失の時、親焼死候を捨て置き逃げ出し候者、 死罪」となっていて、家が火事の場合に、親が家の中に残っている場合は、焼け死んでも助け出さなければならなかったということになる。

 総じて、年長者を含めて、身分の高いものは優遇されている感があるけど、逆に、そう云う人であるからこそ身分も高くなり、さもなければ人の上に立つ人間にはなれなかったということである。
ところで、日本は酔っぱらい対して寛容な国だと云われている。「まあ、酒の上でのことだから」などの話しが罷り通り、よくよくのことでなければ「水に流し」と云うことになる。

 第七十七条に、「酒狂い人御仕置の事」と云うのがある。その第一項に「酒狂いにて人を殺し候者、 下手人。但し、殺され候者の主人並びに親類など下手人ごめん願申し出候とも取り上げ間敷き事」」とある。

 さすがに、人殺しになった場合は、「まあ、酒の上でのことだから」と云っても容赦はなかったということである。

 但し、「酒狂いにて人を手追いさせ候者、疵付けられ候者平癒次第治療代差し出させ申すべく事」と、酒に甘いこの国の本領発揮と云うところである。

 然らば、この治療費はいくらかと云えば、「疵の多少に依らず、中小姓体(足軽以下)に候はヾ  銀二枚(約三十五万万円)、徒士は 金一両(三十万円)、足軽中元 銀一枚(十七万五千円)、軽き町人百姓は、右に准じ療治台代相渡させ申すべく事」となっているが、身分により治療代が異なるとはいかなる所存であろうか。

 それでは、「療治代出し難きもの」はどうしたかと云えば、「刀脇差相渡させ申し付くべく事」となっている。江戸時代、武士は常日頃、凶器を腰に差していたことになり、酒を飲んで口論になれば、すぐにも刀を振り回しての立ち回りになったのだろう。

 それにしても、刀は武士の魂と云われていたとしても、「金がないから、これを持って行け」と刀を差しだされて、すんなり納まったことだろうか。

 第九十四条に、「帯刀致し候百姓町人御仕置の事」と云うのがあり、「自分と帯刀し罷り在り候百姓町人、 刀脇差共取り上げ、軽追放」となっていて、前掲「家財道具」の百姓与左衛門はこの規定に触れたのかもしれない。

 ところで、映画や芝居で、取り方が犯人の似顔絵を見せて、「こういう顔に心当たりはないか」と尋ねるシーンがあるが、第八十一条は、「人相書きを以てお尋ねになるべく者の事」である。

 その中身は、「@公儀へ対し候重き謀計、A主殺し、B親殺し、C関所破り、である。したがって、通常の人殺しや、盗人の場合は、人相書き等は回されないのである。但し、いったん人相書きが出されると、天下の大罪であり、日本全国津々浦々に回される。

 天保八四年二月、大坂町奉行所元与力大塩平八郎とその一派が、町奉行所の不正に抗議し世に云う、「大塩平八郎の乱」を引き起こしたが、この時逃亡した大塩平八郎以下六人の人相書きが、我が故郷に残っている。

 この中で、渡辺良左衛門と云う男の人相書きは次の通りである。

「渡辺良左衛門
一、年頃四十一二才
一、顔色青白き方
一、せい低き方
一、眼出目二皮にて大き成り方(二重出目)
一、歯出候方(出っぱ)
一、月代(さかやき)常体
一、言(げん)舌(ぜつ)常体
一、額際ぬき之有り
一、疱瘡の跡之有り
一、其の節の着用分からず」

 この男、かなり特徴のある顔立ちで、この程度になればその人相も想像できるが、いずれにしても、このような人相書きが全国に配布されたということである。(10.11仏法僧)