サイバー老人ホーム

295.公事御仕置き4

 日本語と云うのは、意味をあらわす表意文字であり、これらの借金や、借地、質入れ等に付き、証文が何より大切であり、これらの証文には、名主等による裏書きが必要であった。したがって、各地におびただしい量の証文や、覚書が、現在に残る古文書となって残っている。

 今の時代、子供や老人を除いた大部分の人は何らかの雇用関係を結んでいると思うが、江戸時代これらの人は奉公人であり、この奉公人に関しては極めて厳しい規定がある(別掲「年季奉公」参照)。

 当時、奉公人を雇う場合は、必ず請け人と云う保証人が必要であり、請け人のない人間を雇うことはできなかった。

 第四十二条に「奉公人請け人御仕置の事」と云う条項があり、三十二項の内、雇い主にかかわるのは、「奉公人給金滞り  十日限り請け人へ済まし方申し付くべし」と云う項目、一項だけで、あとはすべて請け人に関する規定である。

 同様に、奉公人については、「欠け落ち奉公人御仕置の事」と云う条項があり、今の時代のように、午前に雇って、午後からいなくなるなってとんでもないことであった。

 その中で、「手元にこれ有り候品を、風と取逃げ致し者、金子は十両より以上は、死罪」と云う厳しさである。ここで、「風と」は、「風と共に去りぬ」ではなく、ふと出来心でと云うことで、「御定書」の随所に出てくる。

 江戸時代、各村や町に「宗門人別改帳」と云う、今でいう戸籍台帳のようなものがあり、村(町)役人は、住民の一人一人について、その続柄・性別・宗旨等が毎年書き改められ、代官所(領主)に提出されていた(別掲「離縁状」参照)。

 「他の者指し置き候当人、並びに置き候者共所払、名主重過料、組頭過料」となっていて、無断で他所者を置くなどと云うことはできなかった。

 「五人組御仕置帳」には、「毎年宗門改め帳三月迄の内差出すべく、若し御法度の宗門の者之有りは早速申し出べく、切支丹宗門の儀、御高札の旨相守り、宗門帳の通り人別入念に相改めべく宗門帳済候後、召抱え候下人抔高請状別紙取り置くべきの事」となっている。従って、他村に嫁ぐ場合は、相手庄屋に「人別送り状」と云う書類を指し出すことになる。

 それでも、村人や、奉公人などは無断で村を離れる場合がある。これを「欠け落ち」といい、この場合、名主はその旨を届け出ないと、処罰せれることになる。そのことを規定したものが、「欠け落ち者の儀に付き御仕置の事」と云う条項がある。

 欠け落ちがあった場合、名主は、まず代官所に届け出て、「宗門人別帳」にその旨記載した札を付ける。あまり評判の良くない者の事を、「札付き」と云うが、ここからきていて、欠け落ちした場合、「三十日に限り尋ね申し付く、三切り(九十日)日延べの上尋ね出ず候はヾ、過料。但し、取逃げ致し候者は、六切り(半年)日延べ尋ね申し付くべき事。」

 すなわち、欠け落ち者が出た場合、半年にわたって、追跡調査しなければいけないことになっていた。それでも見つからなかった場合は、「宗門人別帳」から除かれ、「帳外」となり、以後は無宿者と云うことになる。

 続いて、第四十五条に、「捨て子の儀に付き御仕置の事」と云うのがある。
「金子添え捨て子を貰い、その子を捨て候者」、即ち、金だけ取って、子を捨てるという不届き者は、「引き回しの上獄門」と厳しい。さらに、「切り殺し、絞殺し候に於いては、引き回しの上磔」、捨てる方も捨てる方だが、拾う方も拾う方と云うことになる。

 「捨子之有りを内証にて隣町へ又候(またぞろ)捨て候儀顕わに於いては家主・五人組過料、名主江戸払い、但し吟味の上名主・五人組・家主存ぜずに紛れ之無く候はヾ構えなし」となっている。

 一方、「五人組御仕置帳」には、「捨子仕るべからず、若し他所の者捨て置き候は、村中にて養育致し早速注進すべき事」ということで、むしろ近頃の方が子供の人権を損なうような事が起きているのではなかろうか。

 江戸時代、現代と比べて最も劣悪な制度は女性の人権を無視した様々な制度であろう。
 以下、女性に関する規定が続く。その第一に、「養娘遊女奉公に出し候者の事」と云う条項がある。
「軽きもの養娘(ようにょう)遊女奉公に出し候者、実方より訴え出候とも取り上げず」となっている。

 いわゆる、身分の軽きものから、養女として迎えた娘を遊女に出しても、実の親から訴え出ても取り上げないということで、いかにも女性の人権を無視した所業と云うことになる。

 しかも、「卑賤の者へ養子に遣わし候は、実家にも其の心得これ有るべく事に候間、証文の有り候とも取り上げず」ということで、親もそれは承知のこととしている。
更に続く、「隠れ売女御仕置の事」、隠れ売女と云うのは、隠れ買春の事で、さしずめ、最近の風俗店等はこれに該当するのだろうか。

 その第一項に、「隠れ売女致し候者、身上に応じて過料の上、百日手鎖にて所へ預け置き、隔日封印改め」となっている。この「所へ預け」のところとは、如何なる所であろうか。

 その先は、どうなったかと云うと、「三ヵ年の内、新吉原町へ取遣わし、死骸は取捨て申す間敷候」と如何にも遊女の先を見越したような事が書かれている。

 時代小説作家佐藤雅美さんの「縮尻鏡三郎」によると、吉原の置屋に入札の上引き渡し、落札した金は奉行所の運営費に回したと云う凡そ人権も何もあったものではない。

 ただ、隠れ売女をさせた場合、名主・五人組・地主・家主・請け人それぞれ分に応じ過料・手鎖などの科となるが、中には「御扶持人・御用達町人・拝領屋敷 右同断」となっていて、単に百姓町民だけでなく武士の間でも行われた事がうかがわれる。

 中には、「商い者も出し置き、渡世致し候者の妻、同心せざるに売女に出し候者、 死罪。但し、飢え渇きの者、夫婦申し合わせ売女致させ候迄にて、盗みなどの悪事これ無き候はヾ、究明に及ばず事」と云うことで、夜鷹等はこの但し書きにより多くは免罪符になっていたのだろう。(10.10仏法僧)