サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

212.「朧月夜の上州路」

 最近の演歌でまたまたうれしい人が出てきた。「朧月夜の上州路」と言う曲の森山愛子ちゃんである。
 もともとが、音楽的知識については文盲であるから、曲のよしあしとか、歌い方の巧拙など全く分からない。以前、この「雑言」の中で、氷川きよし君の「箱根八里の半次郎(31.股旅演歌)」を取り上げたことがあったが、氷川君はその後めきめき頭角を現し、今では押しも押されぬ演歌界のトップスターにのし上がった。

 こういうところを見ると、私の音楽文盲も全く捨てたものでもないのかもしれない。今度の森山愛子ちゃんは、と言うと、いかにも気安く言うようだが、並み居る美人歌手の多い中で、お義理にも奮いつきたくなるような美人ではない。しからば、ブスかと言えば勿論そうではない。

 余談ながら、私の子供の頃には、天が二物を与えないような歌手もいたが、近頃、神様は不公平になったのか、実に美人が多くなった。取り分け演歌歌手となれば、まさに奮いつきたくなるような美人ぞろいである。

 そうなると、演歌以外はブスかといえばそんなことはない。いささか弁解がましいが、ただ、こっちが見ないだけの話である。

 そんな美人の中で、少し弁護すれば森山愛子ちゃんは、少々範疇を異にした美人と言うことかもしれない。それならばどういう美人かと言えば、いわゆる可愛いのである。したがって、「愛子ちゃん」となったのであるが、この愛子ちゃんが今度出した「おぼろ月夜の上州路」と言うのがなんとも良い。

 演歌と言えば、なんとなく、湿っぽい歌の多い中で、「月も霞んだ故郷の空が、背なで泣いてる・・・」の出しだが、女の氷川君を思わせる高音で透き通った声で、なんとも心地よい。しかも、ほろりとするような哀愁と、郷愁を感じる歌である。

 この森山愛子ちゃんが、出てきた頃から、声のきれいな歌手だと思っていたが、それでいて微塵も暗さを感じさせないのが大いに気に入り、文字通り影ながら大成を期待していた。

 ただ、この愛子ちゃん見るからに小柄で、容姿端麗な同業の多い中で、ひときわ目を引き、それが愛子ちゃんとチャン呼ばわりしたゆえんでもある。ただ、調べてみると、身長158と言うことで、私とそれほど替わりもなく、われわれの時代ではごく当たり前であったのかもしれない。

 この小柄で、いささか範疇を異にした美人の愛子ちゃんが、なんと股旅姿で歌っているのが、「朧月夜の上州路」である。ご存知縞の合羽に三笠姿の渡世人スタイルで颯爽と舞台に出てくるのであるが、渡世人と愛子ちゃんのキャラクターがいかにもアンマッチであり可愛らしく、面白い。

 聞くところによると、このスタイル、愛子ちゃんが自ら選んだそうらしいが、だいぶ昔に、都はるみさんがこのスタイルでやっているのをテレビで見たことがあった。
 このときは都はるみさんは鬘もつけて、正統派の渡世人風情であったが、それはそれで、華麗さがあった。

 しかし、今度の愛子ちゃんの場合は、鬘はつけておらず、地毛のままであるがなんとも言えないあどけなさがあって、思わず口元が緩んでしまう。一つには、都はるみさんの場合は、和服でも洋服でも似合うが、愛子ちゃんの場合はまだそこまでは洗練されていないのか、素朴さと、戸惑いを感じさせる所作がなんとも初々しい。この姿で「聞いて下せぇ、男の情け」とくりゃあ思わずほろりとしてしまう。

 ただ、例によって暇に任せて調べてみると、愛子ちゃんは、今時のキャピキャピの若い姉ちゃんと違って、介護福祉士の免許なども持っており、まじめに自己を磨くこともやってきたようである。
これから浮沈の烈しいこの世界で、愛子ちゃんがどのように成長していくか久しぶりに熱烈なる愛情のまなざしを持って応援していきたいと勝手に思っている。

 とはいえ、音楽文盲の私などが、とやかく言うより1枚でもレコードでも買ってやる方が先決かもしれないが、老い先も短くなって、世の中に一人でもこう言う人がいるということはなんとなく励みになり、もって瞑すべきことだとこれも勝手に思っている。(06.12仏法僧)