サイバー老人ホーム

254.お〜い、お茶!2

 それでは、妻は自分の夫をどう呼んだかと言うと、「卑しめて宿六または宿」と言ったと言う事だが、これも他人に対して言う場合であって、妻が夫に対して「ねえ、宿六」とは呼ばないだろう。

 そこで、この疑問を解消するために、江戸時代の口語体で書かれた本を捜すと、それは、男女の情交を描いた春本又は艶本と呼ばれた本にあった。

 早速インターネットの古本屋を探した所、「祝言色女男思(しゅうげんいろなおし)」と言う本が見つかった。もっとも、単に疑問解消だけで探したとはいいがたいが、その本、初代歌川豊国の門人で、文化、天保期に活躍した歌川国虎という天才肌の絵師によって画かれたものである。

 ただ、この絵師、生涯、独身を通したと言う事であるが、豊国門下でも屈指の怠け者であったらしい。風景画を得意としたらしいが、人物画なども可なり達者な絵と言えよう。

 この本に、当時の様々な男女の情交の様子が、可なりえげつなく画かれている。この絵の中に、夫々の解説文が書かれているが、この作者が高雁亭莖立と言う事で、かなり思わせぶりの名前となっている。

 私の高校時代にも誰かが持寄った物を隠れて読みまわした「エロ本」と呼ばれたものと同様に、およそ文学的などとは縁遠い物である。

 その解説文は、すべて口語体でかかれていて、多分お互いに真剣に取り組んでいるときであり、可なり正鵠を得た表現ではなかったかと勝手にも持っている。

 それでは、もっとも尋常な夫婦の場合、女は夫に向って「おまえさん又はおめえ」といい、男は女房に向って「きさまァ又はてめえ」である。少々荒っぽい言葉遣いとなっているが、江戸と言う土地柄と、この本の読者層を配慮したものであったかも知れない。

 一方、女房とそこに通う間男と言う場面になると、ともに「おめえ」と呼び合い、但し、これを見つけた亭主は女房に向って「うぬ」となっている。

 以前、映画か何かで見た事がある、花魁(おいらん)が客を相手にした場合、自分の事は「あちき」、相手の事は「ぬしさん」と呼んでいたように記憶している。この本の場合、花魁と新造のなじみと言う設定になっていて、花魁は相手を「ぬし」、男は「おめえ」となっているが「おいらん」とも呼んでいる。

 この新造とは、一般的には武家の妻女や、町家の上流商家の妻女を指していたが、近世、遊里で姉女郎の後見つきで客をとり始めた若い遊女の事と言うことである。したがって、この場合は、花魁の後見であるが、同時に商売上のライバルと言う事になる。そのライバルの客を花魁が掠めたと言う事で、発覚すれば大事に成ると言う設定である。

 結局、昔から夫婦は互いに呼び合う場合に、「あんた」「お前」あたりが妥当な所だが、そう呼ぶのが定着するまでは、私と同じような心の葛藤があったのかもしてない。

 これを文書にする場合は比較的はっきりしていて、貴人や目上の者に対しては「様」であり、「殿」と言うのは「昔は高松殿等皇居に言う。それより人臣にも尊称して某殿と言う。今は士民共に殿をもってこれを称すべきなり。今は下賎はかへって殿と称し、貴人を様と言うに似たり」

 更に、「殿、様とも書する時、真・行・草の字体をもって上中下輩八、九階を分けて、また口に言うとき専ら様をさん、殿をどんと口称すること民間のみ」ということで、成るほど殿の略字は様々の表示方法があるようで、我が祖先たちの田吾作どんも、正確には田吾作殿であったと言う事である。

 斯くの如く、夫婦だけでこの有様である。これに、父母、祖父母、伯父、伯母、子供、更に、これらから本人を呼ぶ場合、それも巨戸から小戸至る迄様々の呼び方があり、その呼び方によって相手の身分を言い当てていたと言うから大変である。

 ちなみに、幼児が自分の父親を呼ぶ場合、江戸ではおとっつあん、小民の子はちゃん、京阪ではおとっさん、小民はととさん、成長しておやじさま、と言うことである。

 また、母親に対しては、江戸ではおっかさん、小民の子おっかあ、成長して御袋、京阪ではかあさん、小民はかかさん、成長しておかあさま、小民はははじゃと呼んでいたと言う事である。

 現役の頃、福島県の片田舎に単身赴任したときがあった。この地方(浜通り)では、自分の祖父母を目の前でジッチィ、バッパァと呼んでいるのに仰天した事がある。これはこれで、この地方にとっては尊敬の念をこめた呼び方であったのだろう。

 それに引き換え、今で言うなら小戸の我が家において、親子の間だけでこの混乱、まことに情けないと、つらつら考えさせられが、「お〜い、お茶!」で我が女房をこき使う事が出来るとは、まずもって瞑すべしと考えるべきと思う次第である。(08.12仏法僧)