サイバー老人ホーム

253.お〜い、お茶!1

 何年か前に「お〜い、お茶!」と言うテレビコマーシャルが流行った事がある。この「お〜い」と言うのは当然自分の女房の事である。

 ところで、私にとって人生最大の失敗は、家族の私自身に対する呼び方である。

 先ず過ちの始まりは、家内との新婚生活を始めたときから始まる。それまで、即ち恋人同士の頃は、臆面もなく家内の名前をさん付けで呼んでいた。ただ、双方共、相手をさん付けではあるが、姓だけであり名前は余り呼んだ事もない。

 結婚後もしばらくその習慣が続き、私が出かける時に家内が窓から顔を出し、「○○さ〜ん、忘れ物」などと他人行儀に言っていたが、ついぞ、あなた、お前などと艶っぽい呼び方で呼ばれる事も呼ぶ事もなかった。

 ここまではよくある話だが、子供が生まれてから、漸くこの他人行儀から開放されるかと思っていた。ところが、そこで選択したのが、パパ、ママである。爾来、親子ともその呼称は変わらず今日に至っている。

 問題は、娘に孫が生まれてから生じたのである。事もあろうに、我が娘家族は孫たちに自分の親をトウチャン、カアチャンと呼ばせるにいたってハタと困った。

 時々娘家族と一緒に出かけたり、夫々の家に集まったりすると、三世代の中で夫々の呼称が入り乱れ、混乱をきたす事になったのである。

 最近は、年寄は年寄なりに、ジイチャン、バアチャンに落ち着き始めたが、家の周りでは時により昔の呼称が飛び出し、その都度ぞっとしている。

 日本人はえてして、自分の家内や、夫の呼称に悩まされているのではなかろうか。年配の御夫婦が臆面もなく本名にさん付けで呼び合っているのを見ると、それだけでも安定した育ちの良い家庭を想像させられうらやましくなる。

 ところで、私の子供の頃は、自分の両親を、とうやん、かあやん、と呼んでいた。今考えるといかにも家族愛に包まれた呼び方と思うが、中学生頃にはなんとも恥ずかしかった。

 我が故郷では、大人になるとオトッサ、オッカサと変わっていたように思うが、子供がこの呼び方に変えるのも可なりの抵抗があった。

 ところで、江戸時代の人々が自分の夫や、妻は勿論、それぞれの関わりのある人をどのように呼んでいたかと言うと、可なり複雑である。

 これも、例の江戸時代雑学者川喜多守貞の「守貞満稿」の四之巻「人事」の条に詳細に書かれている。

 まず、もっともえらい所の将軍様の場合、大河ドラマ「篤姫」では、「公方様」となっているが、家定本人の目の前では「上様」となっている。一方、将軍様の方は篤姫に対し、「御台、そなた」、時には「そち」使い分けているようだが、その基準は何であるか分からない。

 また、十五台将軍家茂の場合、奥方は御存知皇女和宮であり、「宮様」と呼んでいて、宮尾富子さんの原作にもそのように書かれている。天下のNHKであり、このくらいの時代考証が間違うはずもないだろうからこれが真実かもしれない。

 それでは廻りはなんと呼んでいたかと言うと、将軍は上様であり、その奥方は御台様となっている。これはあくまで将軍ないしは御台所に拝謁出来る数少ない人の場合であって、幕臣同士の場合はどうであったかと言うと、時代検証に長けた時代小説作家佐藤雅美さんによると、檀那と呼ばれていたらしい。

 これに対し、「守貞満稿」によると、「士民、臣僚、奴婢よりその主人を指して檀那(梵語)と言う、陪臣の武家は皆必ずその主人を檀那、己が主君に有らざるも、常に扶助をうくる人を指し檀那」と呼んでいたと言う事である。

 それでは、これよりもう少し下がった所で大名はどのように呼んでいたかとなると、「篤姫」の義父島津斉彬は正室に向っては「そなた」、他人に対しては「奥」であったらしい。

 それでは大名の家臣は主をどのように呼んでいたかとなると、「万石以下以上とも幕府直参の武家は、主人を称して殿様」と呼んでいたと言う事で、一般に知られた「殿様」と言う呼称は幕臣に許されたものであって、幕府から見たら陪臣である大名の家臣は「守貞満稿」の檀那と呼んでいたのであろうか。

 それではこれらの奥方はどのように呼んでいたかと言うと、作家佐藤雅美さんの作品によると、奉行所与力の女房は奥様、同心の女房は御新造である。この場合、与力は士であり、同心は卒、即ち足軽と言う事になる。

 「守貞満稿」によると、「京阪の士民、奴婢より戸主の妻を称して、大小戸とも奥様と言う。関西の民俗、妻を称して御方と言うなり。守貞言う、今世関西にも御方と称す国を聞かず。東国はおかみさま、京阪はおくさま、おいえさま、尾州(尾張)はごつさま、御新造に略なり」と書かれている。ただ、我が故郷では、私の子供の頃でも、お方は家の内外で頻繁に使われていた。

 また、「大阪の市民、主人の妻を巨戸および巫女医者等は、京民と同じく奥様と称し、中以下専らお家さまと言う。新婦を御寮人と言う。江戸武家および巨戸は、主人の妻を御新造と称す。けだし、幕府の臣は奥様と称し、陪臣は御新造と言う。中民以下は御かみ様と称す」となっている。

 ところで、このクラスよりずうっと下がった我が祖先などになると、自分の妻を呼ぶ場合は、他人に対しては女房、または「小戸の夫はかかあ」ないしは「卑しめて山ノ神」などと呼んでいたと言う事である。

 ただ、これはあくまで、自分の女房を他人に言う場合であって、本人が自分の妻、または夫をどのように読んでいたかと言うと、口語でもある事からあまり明確ではない。

 なお、小戸とは、家の小さい、即ち長屋住まいと言う事になるが、自分の妻に向って「おい、かかあ」と呼んだかどうか疑問のあるところである。

 うっかり「かかあ」などと呼ぼうものならたたき出されるが落ちで、せめて「お」をつけて「おっかあ」と呼ぶのがせいぜいではなかったろうか。(08.12仏法僧)