サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

49.人情しぐれ町


 NHKの時代劇シリーズで「藤沢周平の人情しぐれ町」が始まった。「藤沢周平の」と断っているところがなんとなく「藤沢もどき」の感がしないでもない。以前同じく藤沢周平さんの「よろずや平四郎活人剣」というのがあり、高嶋政伸さんの主演ということで楽しみにしていたが、全く期待が裏切られたのである。
 高嶋さんの演技がまずかったということではないが、ただめったやたらに騒々しいだけで藤沢作品のイメージからは程遠いもので、見るほどに藤沢さんの作品に持つイメージを壊されることになり、途中から見ることをやめにしたのである。

 この作品、神名平四郎という武家の次男坊が家を出て、よろず揉め事相談を生り合いにしながら奇妙な友人二人との交友を通じ町道場を開くまでの物語であるが、その間にかつては婿養子になるはずであった許婚の早苗という女性とのすれ違いもあるのである。
 このドラマで何が不満であったかといえば、一つには武士というものが描かれていなかったのである。藤沢さんの作品では常に武士というのは物静かで控えめに描かれている。

 そもそも武士というのは常に人を殺めることができる凶器を手挟んでいるのであり、その分、自制の精神が必要であると勝手に思っているのである。それがあのようにがやがやと騒々しかったら危なくて近寄ることもできない。藤沢さんの作品では脇役には多少騒がしいのがいないわけではないが、常に武士としての節度を持って描かれており、決して大声でわめきたてるようなことは無い。

 もう一つの不満は女性(ヒロイン)の描き方であったのである。かの早苗という女性は、縁戚筋の不始末によりお家取り潰しになったとはいえ、れっきとした武家の娘であったのである。そうした女性を藤沢さんなら決して一時であろうとも悪女に仕立てることは無い。もし藤沢さんが生きておられたらきっと同じことを言われたのではないかと思っている。

 藤沢作品の何よりの魅力は女性の描き方にある。武家の女性は端正に慎ましやかで、それでいて毅然とした魅力があり、商家の女性はたおやかで、控えめで、それいて人を飽かさない魅力がある。一方、市井の女性たちは開けっぴろげで、世話好きで情にもろいくせにしたたかで、かつて日本のどこにでも見かけた女性の姿が生き生きと描かれている。

 およそ藤沢作品の中で究極の悪女というのが描かれているような場面を見たことが無い。わずかに「海鳴り」と言う作品で、主人公の紙問屋の主、小野屋新兵衛の女房おたき位である。これでも今風で見ればごくあたりまえの女であり、嫌悪を感じるほどではない。そうした中で前回のドラマの早苗の役どころはあまりにも藤沢作品にはそぐわないものであり、絶対に許せないのである。

 よく藤沢周平さんと対比される作家で、山本周五郎さんが上げられるが、情景描写など似通った場面設定であり、筆法にも共通したものがあるような気がするが、これについて藤沢周平さんが自ら否定していた記事を読んだことがある。私如きが大人気作家の作風についてとやかく言う資格は無いが、山本周五郎さんの特色は、えぐるように書き込む登場人物の心理描写にあるが、藤沢周平さんの場合は情景描写によって登場人物の心理状態や意図を表しているような気がする。勿論そのどちらが良くってどちらが悪いということではないが、文章を通じて登場人物の心理状態を判断するのに、あまりに作者の意図が入り込むとなんとなく疲れてくる。

 その点、藤沢作品は情景描写から読者に登場人物の心理状態や行動様式を判断させることから極めて飲み込みやすく、読後に安堵感みたいなものがあるのである。ただこうした描き方は極めて難しく、藤沢さんを「小説の名人」と言わせる所以であると勝手に思っている。

 しからばどのような描写かといえば、一口に言ってモノトーンなのである。かつて映画の巨匠、黒沢明監督が拘りつづけた白黒画面の世界なのである。藤沢作品を読んで明確に色彩を意識した場面はあまり無い。強いてあげるならば、「蝉しぐれ」という作品で、切腹して果てた父の亡骸を荷車に積んで蝉時雨の降りそそぐ坂道を登る幼い主人公に真夏の太陽が照りつける場面だけである。このモノトーンの世界が余計に味わい深いしっとりとした作風になっていてたまらないのである。

 ただ困ったことに藤沢作品にのめりこんでからほかの作家の作品が読めなくなってしまったことである。常に藤沢さんとの比較で見るようになってしまったのである。その後、藤沢さんの作風に似た作家などの現れてはいるが、どうしても藤沢さんのイメージを追い求めることになり、心から満足する形にならないのである。今は亡くなってしまった藤沢さんを追い求めても仕方が無く、同じ作品を二度三度と読み返すのであるが、それでもあきることが無い。

 ところで今度の「人情しぐれ町」であるが、この作品の原題は「本所しぐれ町物語」であり、藤沢さんの作品の中でも風変わりの作品である。どのように変わっているかといえば、主人公が無いのである。強いて言えば「本所しぐれ町」という町が主人公であり、そこに住む人々の生活を描いたものであるが、江戸情緒というか、かつての日本のどこにでもあった風景のなかで様々な人の織り成す綾が情感豊に描かれている。

 第一回の作品は萩原健一さん、第二回は大滝修二さんという芸達者な方の主演であったが、ほぼ合格点であり、今後大いに期待できそうである。ただ、藤沢作品というのは俳優にとってはやりにくい作品なのかもしれない。口数も少なく、動きも少なく、周りの情景だけで演技をすることであり、俳優の本来の仕事とはかけ離れているのかもしれない。
 その点、藤沢作品にのめりこむきっかけとなった仲代達也さんの「三屋清左衛門残日録」は素晴らしかった。思えば私のこの「残日録」もいつまで続けられることやら・・・。(01.01仏法僧)