サイバー老人ホーム‐青葉台熟年物語

75.SF作家那珂良二2

 『私と那珂先生との係わり合いというのは、非常に短く、非常に浅いものであります。お恥ずかしい限りなのですが、私が「那珂良二」という作家の名前を知ったのは昨年(平成12年)の夏ごろのことでした。それで現在のところ読破した単行本は『非武装艦隊』だけですし、所有している著作物も微々たるものです。本来の私の役割というのは、会津信吾、末永昭二の両先輩の探求活動をサポートすることでした。

 HPに遺影を掲載し、独断と偏見の解説を無理やりくっつけ・・・、掲示板では、情報募集の美名の下に、妙な雑談をしたり・・・、確かに真面目な部分もありましたが、諦めの部分の方が大きかったので、とても、このような出会いが出来るとは思ってもみませんでした。これはある意味で奇跡なのかもしれません。あるいは、那珂先生からの啓示なのかもしれません。

 我々の活動というのは、「他の人が調べてもわからなかったことを調べる」という、根本において無理のあることなので、どうしても想像力(推理力はあまり重要ではありません)が中心となっています。断片的な資料を組み合わせ、新資料が発見できれば、それを都合よく解釈してゆく。そんな不確かな作業の集積体ではありますが、資料不足の困難にもめげず、それなりに那珂先生の御生涯をイメージすることが出来ました。

 御長男の岡澤氏より送られてくる数々の資料には、我々の想像を裏付けるような事実が多数ございました。しかし、それは作家としての「那珂良二」であって、一家の夫であり、子供たちの父親であり、また一人の人間としての「岡澤三能」さんの姿まで見えませんでした。ですが幸いにも、今回それらを想像すら及ばなかった新事実に接することが出来ました。これは間違いなく、快挙だと思います。それと同時に、「何でこういう作品が残らなかったのだろう?」という疑問も高まるばかりで・・・。

 私の意見としては、那珂作品が戦後、全くその姿を消してしまったのは、やはり著作権継承者(つまり御子息様達)との連絡が途絶えてしまったことだろうと思うのです。出版元の奥川書房/釣之研究社における著作権管理の不手際(たぶん戦争による惨禍が原因と思われます)、これが致命的原因でした・・・。

 おそらく、戦前の著作物で、那珂先生のようなケースの作品がまだまだあると思います。このようなケースで復刻をする場合、出版社は巻末に、「著作権継承者の方はお申し出ください」と記するか、あるいは文化庁に著作料の供託を行って、何とか著作権継承者不明の作品を、世の中に出してきました。

 しかし、今は21世紀。那珂先生のご長男である岡澤博之氏が、パソコンを購入してから5日目、たまたま、インターネットの検索サイトに、父上のペンネームである「那珂良二」を入力したところ、偶然にも、私のサイトがヒットしたとのこと。やっぱりインターネットですね!確かに、「那珂良二」で検索して、出てくる個人サイトは、うちだけです。

 それは、初めて『非武装艦隊』の記事を掲載してから、9ヶ月目のことでした。人間、やっぱり夢を捨てちゃあいけませんね。こういう正規の出版活動ではないところから、新しいメディアが生まれているようで、私はそのことにも感激しました。

 那珂良二先生、ご長男の岡澤博之さんを始め那珂先生のご遺族の皆さん、会津信吾さん、末永昭二さん、そして那珂作品を世に送り出してくれた、奥川書房さん、釣之研究社さん、皆さん、本当にどうもありがとうございました。

 今は多忙なので、多くのことは約束できませんが、那珂作品の復刻を何とかして実現したいと、本気で思っています!』(02.02黒崎義久)

『那珂良二先生、プライベート・フォトアルバム』
http://dc-powers.hoops.ne.jp/ykhp/gallery13.html