サイバー老人ホーム‐青葉台熟年物語

74.SF作家那珂良二1

 私の父は私が三歳のとき、今なら、多分助かると思う「胆石」で病死しました。没後50年、私には何の思いでも残さず、逝ってしまった父を思い出すことなど皆無でした。それが昨年の夏、思いもよらないところから、私たちきょうだい4人(姉二人、兄、私)は、その父と再会することになったのです。

 私の父は戦前から戦中にかけて「那珂良二」というペンネームで科学小説を書いていました。単行本を何冊か出版し、雑誌にも連載したりとその時代にはそれなりに活躍していたようです。

 戦後、父の小説を主に出版していた出版社の所在が不明になってしまったりで、著作権台帳にも「那珂良二」の名前は乗っていません。その他、戦後、名を残さなかった理由は、父が「那珂良二」のほかいくつかのペンネームを使っていたことにもあるようでした。

昨年の夏、今年67歳になる兄は、パソコンを購入しました。一応、「シルバーパソコン教室」にも通ったし、ワープロは前からやっているし、完璧だと思ったそうです。
 さて、新しいパソコンが来て、インターネットにもつながり、兄が最初にしたことは、「パソコンスクール」で教わった検索でした。身内の名前を始め、いろいろな名前を検索したそうです。そのとき、兄はふっと思い出したのです。父のペンネーム「那珂良二」を・・・・。

 「ある訳がない」と思いながら、検索したところ、何件かの「那珂良二」が見つかりました。始めは同姓同名の別人ではないかと思ったそうですが、父の著作「非武装艦隊」の文字もあってこれは間違いない確信。ところがパソコン初心者の兄は、その後、どうしたらよいかいいのかわからない。兄から私に電話がかかってきました。「インターネットで検索したら那珂良二が見つかった。どうすればいいのかな?」と・・・・。

 「エーッ、那珂良二があった!」私達きょうだいのほかに「那珂良二」の名前を知っている人などもうこの世には存在しないと思っていました。私もすぐに検索してみました。確かにありました。しかもその一件は、「那珂良二」の消息を探しているようです。早速、そのホームページにアクセスしてみました。なんと父は古書マニアの間で、「幻の科学小説家」として研究され、一年程前からこのホームページで消息を捜されていたようです。

 そのホームページによるとSF作家の会津信吾氏(日本SF大賞受賞作家)が『昭和空想科学館』という雑誌に「那珂良二を探せ」という文を掲載されているのもわかりました。私たちのまったく知らない世界で、父の名前が語られていたのです。きょうだい一同、大感激です。そのホームページの管理人の方も、私が始めてメールを差し上げた日(昨年の7月12日)を一生忘れられない日と言ってくださいました。

 その日から、私たちきょうだいの間では、電話やFAX、メールが飛び交いました。私とすぐ上の姉は、父が亡くなったときは、まだ幼くて殆ど記憶がありません。当時、高校生だった長姉と中学生だった兄が、思い出しながら、経歴を纏めました。でも、父親として記憶は、あっても作家「那珂良二」については、会津信吾氏が研究、調べてくださったことのほうが、ずっと詳しく、私たちの知らないことばかりでした。

 私達は、そのサイトの管理人さん、SF作家の会津信吾氏、ほか何人かの方々のおかげで、作家としての「那珂良二」を知ることが出来ました。特に会津氏の研究は、綿密で詳しく「良くぞここまで調べてくださって」という気持ちでいっぱいです。このサイトの管理人さんは、出版関係の仕事をしていて、CDによる古書の復刻版を多数、出版しています。

 父の著書の復刻版も出したかったそうですが、没年月日がわからずあきらめていたのだそうです。没年月日がわからないと出版するのは、難しいそうです。来年あたり、CDで父の著作の復刻版が出るそうです。それから、その管理人さんが、「那珂良二の世界」などをHPの中に作ってくださいました。(その中の一部を管理人黒崎氏の了解を得て、次回掲載させてもらいます。)続く(02.02COSMOSU)