サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

31.股旅演歌

 最近、氷川キヨシ君という若い歌手が歌っている「箱根八里の半次郎」という演歌が流行っているらしい。実際にはやっているかどうかはそういう場所に出る機会がめっきりなくなった今となっては定かではないが、ラジオなんかの歌番組で取り上げる回数が多いのは流行っていると言う事だろうと思っている。

 聞いてみると澄んだ高音で、聞いていて気持ちの良くなる歌である。 しかもこの「箱根八里」だけではなく、40年前に流行った橋幸夫さんの「潮来笠」なども一緒に歌われているらしい。 ところで、この時期に股旅物が流行っていることをどう解釈してよいのか考えてみた。

 そもそも今の人に股旅って何なのか分かるのだろうかとおもい、暇に任せて辞書を引いてみると「ばくち打ちなどが旅をして歩くこと」となっていてあまりいいものではない。昔風に云えば無宿者がばくちなどで食い扶持を稼ぎながら旅から旅に渡り歩いているものを云うらしい。これを現代風に分かりやすく言えば渥美清さんの「ふうてんの寅さん」ということになる。

 こうした時代錯誤もはなはだしいものが何故今になって人気が出てきたのかと推測すると、今の世の中の閉塞感からの脱却の願望があるのではないかと勝手に思っている。
 家にいては食中毒、環境汚染、果ては家庭崩壊、外に行けばリストラだ、合理化だと人より企業を大事にすることばかり、学校へ行けば偏差値だ、学校崩壊だと騒ぎまくり、挙句の果てはわけのわからない殺人事件まで発生し、肝心要の政府はあほな政治家が汚職だ、賄賂だ、失言だと国民そっちのけの論争を繰り返し、役人は自分の立場を守ることに汲々としている。
 鶴田浩二さんではないが、「今の世の中どっちをむいても真っ暗闇でござんす」と言うことになる。

 こうしたことを考えると「半次郎さん」ばかりか誰でも自分の身に纏わりついた一切をかなぐり捨ててふらりと一人旅にでも出たいと感じるのは当然であり、誰でも一度は胸の中に描いた憧れであるのかもしれない。それも時間や道順までがんじがらめのパック旅行や団体旅行ではなく、気の向くまま、足の向くまま、明日のことなど一切を忘れ時間の流れのままに身を置く一人旅をしてみたい、なんて願望は誰でも持っているもので、これが今の世相の中でより強い願望となって、股旅演歌の流行になったのだろうと思っている。

 戦後間もなく様々な股旅演歌が流行ったことがあり、私が流行歌を覚えたのはこの頃であった。これは敗戦という国全体の虚脱感の中で、軍歌一色の戦時色が一掃され、青空に突き抜けるような股旅演歌やマドロス物は子供心にも心地よい開放感があった。
 その後、昭和30年代に入り橋幸夫さんの「潮来笠」が大流行した。この時期も戦後の不景気や社会不安の影響を引きずった閉塞状態の時代であった。そしてこの歌の流行とともに、日本の大躍進が始まったように感じている。

 今誰もが抜け出しようのない閉塞感の中で、音楽的な是非など理屈はどうでも良いのである。少しでも人々の心が開いてくるのであれば、大いに「股旅演歌」を歌って、旅にでも出ようではないか。
 それも目の色を変えて買い物漁りしたり、うまけりゃなんでも有りとばかりに大食い、馬鹿飲みの旅は駄目である。質素にその土地の風土と人々との出会いに触れたとき、日本人が失ったものと、今求められているものがきっとある。(00.7仏法僧)