サイバー老人ホームー青葉台熟年ホーム

117.マルガリータ

 いつぞや電車の中の吊り下げ広告に、「もてる親父のマルガリータ」ということが書いてあった。この「もてる親父」というのは分かるが、「マルガリータ」というのが分からない。

 多分、新しいファッションか、服飾品だろうと思ったが、今更どうあがいてみてももてるはずはない。ただ、そうは思っても、なにかを身につけただけでもてるというなら、そこは意地を張らずに素直に受け入れても良いのではないかと年甲斐もなく思ったのである。

 それにしても「マルガリータ」なるものがどんなものであるか知らずに、デパートに行って、「マルガリータをください」などといって恥をかいてもと思い、早速、家に帰って辞書で調べてみることにした。

 ただ、そうは言っても、言葉の感じから言って、スペイン語かイタリア語のようであるが、こうなるとお手上げである。凡そ外国語というのは英語のほか、ほんの形だけドイツ語を聞きかじっただけで、その他は辞書もない。

 ところが良くしたもので、最近はもっぱらNET辞書を使うことにしていて、これだとかなり新しい時事用語でも出てくる。早速、「マルガリータ」を調べてみた。すると、さすがNET辞書、ちゃんと出てくるのではないか。

 それによるよ、マルガリータとは、「テキーラ-ベースのカクテルの一。リキュールとライムまたはレモンのジュースを加え、スノー-スタイルにしたカクテル-グラスに注ぐ」と言うのである。

 ここではたと困った。何でカクテルが「もてる親父」と関係があるのか。親父と言うからには、少し古びてはいるが私にも資格がないとは言えない。もっとも、肝心の「もてる」と言うことになるとまったく自信がない。
 身の丈も160センチそこそこで、当然のことながら足もそれ相応に短い。しかも限りなく禿げに近い薄汚い爺さんが、バーかなんかに入っていって、「マルガリータ!」なんて粋がって注文したところで、「まあ、すてき!」なんて思う女性は間違ってもいるはずがない。

 最近の雑誌はくだらないことを書きやがる」といささか憮然たる面持ちであったのである。考えてみると大人になりかけていた小生意気な頃はトリスバー全盛で、街にはいたるところに安っぽいバーが軒を連ねていた。

 当時はまだ面と向かって女性に話しかけるほどの勇気もなく、場末の安バーで隣に座った女性に胸をときめかして頃で、もてたいと言う願望は人一番強かったかもしれない。取り分け独身寮時代は、それぞれにもてることを競い合ったようで、それなりの武勇談もあったようである。

 その当時、スクリュードライバーと言うカクテルがあり、先輩から「これは女殺しというカクテルだ」と教えられ、よせばよいのに女給に奢ってやり、勘定だけは高かったが、効果のほうはさっぱりだった。

 その後、所帯を持ってからは、遊ぶ目的は、如何に安く済ませるかと言うことに主体が移り、歳とともに「もてる」と言う言葉は頭の中から消えていった。もっとも、こちらがどう思うが、この時期、親父などと言うものは軽蔑の対照ではあっても、もてる筈がないと思っていた。

 それがここに来て、「もてる親父のマルガリータ」と言うことで、世の中、しばらく飲み屋にも行かないうちに一体どのように変わったというのだろうか。これでまた要らざる心配をせねばならないと思ったが、「親父」と「マルガリータ」と「もてる」の相関関係が分からないでは話にならないと思って諦めていた。

 ところがである。ところが、最近になってある関西系民放の午前中のバラエティ番組で、この「マルガリータ」が出てきたのである。ただ、番組の途中で見始めたので話の前後の関係は分からないが、どうやら「マルガリータ」とはスペイン語でもなんでもなくて日本語らしいのである。

 すなわち「マルガリータ」とは、「丸刈り」、すなわち坊主頭のことらしいのである。そういえば吊り下げ広告に、丸刈りでひげを生やした外国人が写っていたような気がするが、ファッション雑誌と言うことで、はなから衣服のことと早合点していた。

 それにしても罪作りの広告である。これで「マルガリータ下さい」などと言わなかったのがせめてもの幸い、とんだ恥をかくところであった。

 そんなことであれば、こっちは三年前に入院した時から「マルガリータ」で、そのことはこの「雑言」の「坊主頭」にも書いていて、むしろ先駆者である。おまけに、「髭」も生やしているから雑誌の「マルガリータ」を絵にかいたようなもので、しかも紛れもない「親父」である。これだけ道具がそろえば「もてて」しかるべきと、誰でも思うのではないかと思うのであるが、凡そ、もてるなどと言うことには縁がない。

 今更人畜無害の境地に入って「もてる」などということに興味はないが、最近、もしかしてなどと言う昔の悪い虫を揺り起こされるような、得体の知れないメールがむやみに送られて来るようになった。

 ただ、基本的にはもてるか、もてないかと言うことは、それに見合うものを持っているか、持っていないかによって決まるようであり、「丸刈り」にした程度でもてるなどと考えないで、「マルガリータ」でも作って、ゆく秋をしんみりと味わったほうがよさそうである。

 もっとも、こっちは「マルガリータ」を通り越して、「マルハゲリータ」のほうが近いのかもしれない。(04.11仏法僧)