サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

184.負け犬

 女優の杉田かおるさんが先月結婚し、負け犬から勝ち組に転進したそうである。結婚相手というのが、近頃のにわか成金ではなく、日産コンツェルンの創始者鮎川一族の御曹司というのだから間違いなく玉の輿であり、勝ち組であり、なんとも羨ましくお目出度いことである。

 ただ、彼女が負け犬であったということにはいささか疑問を感じている。彼女が芸能界にデビューしたのが子役時代というから、現在40歳の彼女にしてみれば芸能界に20年以上も活躍していたことになる。

 あの出入りの激しい業界で、20年以上も活躍していたということであれば、負け犬ということにはなるまい。私自身、彼女を意識したのは、もう25年以上前のテレビドラマ「金八先生」で、中学生が妊娠するという衝撃的な役割を演じた時からである。
 余談ながら、あの番組以降、中学生の性に関する考えの免罪符になった様な気がする罪作りな番組であったと思っている。

 その後も彼女は、様々な作品に出演していたようだが、最近はもっぱらバラエティ番組で独特のあくの強さを発揮して活躍していたようである。彼女の場合、いわゆるアイドル的な美人というわけではなく、やや陰を感じる美人であり、このことが、身内の金銭問題や、交友関係の乱脈振りが、彼女の存在感を際立たせていたのかもしれない。

 それにしても、長い間第一線を保ち続けていたわけで、自他共に認めている負け犬とは少し違うのではないかと思っている。おそらく、「金八先生」に出演していた大勢の少年少女の中ではむしろ勝ち組であったのかもしれない。

 ところで、我々男の場合の勝ち組とはいかなるものだろうか。財を成し、名を残したものは間違いなく勝ち組だろうが、こうなると、私などは間違いなく負け犬という事になる。

 ただ、私の意識の中には負け犬という意識は微塵も無い。然らば勝ち組かといえば勿論、否である。およそ世の中で、自分を勝ち組とも、負け犬とも意識している人間はどれほどいるだろうか。マスコミがこぞって取り上げるほどはいないのではあるまいか。

 ただ、杉田かおるさんの旦那が、いかなる人か知らないが、人は生まれながらにして、その人の人生はかなり決っており、昔のような立身出世物語は余り期待できなくなっているのかもしれない。こうなると、水飲み百姓の四男坊など、初めから勝負は付いていたことになる。

 しかし、翻ってみると、貧しさを不幸と思った時もないし、負け犬と思ったことなど一度も無かった。実社会に入って、間もなく、学歴社会の洗礼を受けることになり、加えて門閥、学閥、閨閥、派閥などあらゆる旧弊の壁にぶち当たり、弾き飛ばされることになる。ただ、この時も、駈け犬とは思わなかった。

 「そんなものに頼らなくとも実力で生きて見せる」と粋がって飛び出し、存分に能力を発揮したつもりである。ただ、世の体制に背を向けるというのは如何にも格好は良いが、いかんせん経済的には苦しかった。「武士は喰わねど高楊枝」などと嘯いてみたが、「腹がへっては軍にならず」なのである。

 結局、人生の節々で、浮き沈みはあったが、総じて、自分らしさは押し通したような気がするが、こう粋がるところが問題であって、杉田かおるさんとあまり変わりは無ことになる。人生の勝ち組か、負け犬かの境目は、如何にして世の中の体制に寄り添って生きてゆくかということかもしれない。

 ただ、この体制に寄り添ってというところが問題で、世の中、なんらの抵抗無しに順応できる人間と、出来ない人間があるようで、かつて、安保闘争に代表される大衆闘争というのがあったが、体制側が推し進めるものにはすべて抵抗するという構図である。

 私がまだ若かりし頃、「アカ(社会主義思想)は骨になっても赤い」などといわれたが、このことは日本人の中に民族的DNAとして受け継がれてきたもので、支配階級と被支配階級の中で長い間に醸成され、一朝一夕に変わるものではないと勝手に思っている。

 ところが、戦後60余年の中で、少なくとも今の若者の中からはこのDNAは消えてしまったのではあるまいか。その最先端を行っていたはずの労組などは、むしろ今では無用の長物となっているのではなかろうか。僅かにマスコミの中に、体制に抗う姿は形を変えて生き残っており、取り分け四大新聞の中で朝日が際立っているようで、こうなれば寧ろ民意とかけ離れているような気もする。

 今の時代、経済生活の枠組みの中では、如何にして体制側に身を寄せられるかということが、勝ち組の要件だろうが、精神生活に重きを置く老人にとっては、このことは余り意味が無い。

 そうなると、老人にとって勝ち組と負け組みの境界は何処にあるかといえば、感性ではないかと思っている。この感性とは、「認識の上で、外界の刺激に応じて、知覚・感覚を生ずる感覚器官の感受能力を」と言う事だが、分かりやすく言えば、周りの状況に如何にどこまで反応し続けるかということである。

 人は何のために生きるかと言えば、豊になることもその一つかもしれない。また、名を成すこともそうかもしれないが、いわゆる一生かかって、自分をいかに高めるかということのような気がする。
 高めるということは、人それぞれに異なり、人それぞれの高さがあってよいわけで、自分が求めた一番高いところに到達した時に、人は誰でも勝ち組になったと感じるのではなかろうか。

 その昔、越後の僧良寛は、禅師号を得るわけでもなく、一介の乞食僧として小さな庵でその生涯を送るが、今も尚、人々の心に、高僧をも凌ぐ敬慕の念を抱かせるのは、富でも名誉でもない、良寛の求めた人間の高さであったろうと思っている。(05.02仏法僧)