サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

63.参った!

 いやあ、参った!実に心底参ったのである。何が参ったかと言って、このサイトをご覧になっているcosumosuさんに言われるまでもなくあの「裏切り新庄」が私の予想をまた裏切ったのである。「唯一救いとなるのは観客のいないマイナーリーグのベンチの片隅で、誰にも注目されることもなく、ひっそりと彼のあこがれていた「静かな野球」に打ち込めるということではなかろうか。」どころの話ではない。

 連日のようにニュース番組で取り上げられ、あの松井選手の活躍の様子を聞かない日があっても新庄の話題が載らない日がないのである。これも関西地区のローカルなニュースと言うのならいざ知らず、NHKの全国ニュースで取り上げられるのだから参った。

 4月までは「まあ、たまにはこう言うこともあらあな」とたかをくくっていたのである。この頃までは我がタイガースとどちらを早く諦めの心境に至るかと考えていたのである。5月に入り「だろうな」と思われるような成績が続いたが、ここのところ、またまた調子を盛り返し、瞬間風速かどうか知らないが打率3割を超えるまでに至ったのである。例えそれが瞬間風速であったとしてもなんと言ったって事は大リーグでのことである。

 成績がよいと口まで滑らかになるというのか。ちょっと日本では聞いたこともないような発言がぽんぽん飛び出し、こちらも舌好調である。それがまた話題になっている。
 それにしても何故こうなったのか考えるにしばし呆然たる面持ちである。あの「裏切り新庄」が何故こうまで変身したのかじっくりと考えてみた。出身元のタイガースの野村某いわく、「彼は大リーグに向いている」と言うこともあるが、そんな単純なもので大リーグと言う実力の世界に通用するものではない。

 ところがその秘密が分かったのである。某週刊誌に「新庄は何も考えていない」という記事が載っていたが、本当は彼は何も考えていないのではなく、もともと何も考えられないのである。何故か、それはご両親も言われたとおり、彼は宇宙人だからである。ただ日本にいたときはご両親と言う媒体を通して日本人として育てられ、日本の教育を受けていたから仮の姿とは言え日本人として振舞わらなければならなかったのである。

 あの新庄の「馬鹿っぽさ」は異邦人としての彼の姿であり、本当は「アホ」ではなくて彼そのものだったのである。彼は自分の本当の姿を見せまいとして必死に隠していたのである。それでも時により出てくるあの「馬鹿っぽさ」が宇宙人としての真の彼の姿であると言うことをわれわれは見破られなかったのである。従って宇宙人である新庄にとっては日本人の感覚や野球理論などはじめから分からなかったのである。

 人間、いや宇宙人も多分そうであると思うのであるが、あまりに自分を抑えると思考も行動も真の力は発揮できないものである。この程度のことは誰でも多少は経験している。日本におけるプロ野球でも一時は管理野球と言うのが全盛であり、その旗頭が野村某であったのである。宇宙人である新庄にとってはもともと日本語ですらまともに分からないのであるから、これに小うるさい精神論をからめた管理野球など分かるはずがないのである。

 それがアメリカに渡って何故急に花開いたかと言えば、彼はなにも考えなくて良くなったからである。もともと日本語も良く分からない宇宙人が、生活したこともない国の言葉など知るはずがない。知らなければ傍から何を言われようが、自分で何を言おうが関係ない。毎日目にして耳にするのは意味不明な言語であり、分からなければはじめから考えなくてすむのである。

 斯くして宇宙人新庄は他人の意見に左右されることもなく、自分の考えだけで野球に打ち込むことになったのである。あの派手なリストバンドにとどまらず、アンダーシャツまで自分で決める、あの自由さが欲しかったのである。多少アンパンにマヨネーズを塗ったような得体の知れない気色悪さはあるが、もともと宇宙人であるから日本人離れした体力はあったのである。

 しからばあの大リーガー達はどうなんだといえば、大リーグにおける監督やコーチングスタッフの役目は選手達が気分よくプレーできる環境を作ってやることが最大の仕事と聞く。確かにテレビ観戦しているとこれらのスタッフの表情が試合の状況により一喜一憂するわけでもなく、負けても勝っても淡々としている。従って選手達も結果がどうであれ、そのときのプレーに専念しているのがいかにも爽やかに感ずるのである。

 それに引き換え日本のプロ野球での監督の表情は明らかに試合の状況によって喜怒哀楽の表情がはっきりしていて、選手は常に監督の顔色を見てプレーをすることになる。テレビで見ているとブツクサ口を動かしているところを見るとたぶん選手にも聞こえよがしに小声でぶーたれていると思うのである。失敗した選手は誰よりも責任を感じており、こんな状況で選手が気持ち良くのびのびとプレーに専念できるはずがない。

 加えて観客の馬鹿騒ぎである。選手を声援しているのか萎縮させているのか分からない。分かっていることはあの絶え間ない馬鹿騒ぎで選手が気分よくプレーに打ち込めるはずがないことと一体彼らは球場に何を見にきているのかということである。アメリカにおける観客の態度を見て、イチローや新庄という大リーグでも通用する素晴らしい選手が出現してきたのであるから、観客の態度ももう少し向上しても良いのではないかと思うのである。

 これもテレビ観戦からの判断であるが、アメリカの観客は日本の観客ほど勝負にこだわっておらず、選手個々のプレーを楽しんでいる感じで心地よい。選手はそれに応えて最高のプレーをすることに全力を挙げていて、無意味なプレーを排除している。かつては日本人の中に脈々と流れていた武士道精神を今は大リーガーの中に見ることが出来、一層爽やかさを感じるのである。

 それに引き換え野球に限らず日本のプロスポーツの陰湿さは一体何なんだろうと思うのである。もっとも金に任せて有名選手をかき集め、オリンピックなどのナショナルイベントにも耳を貸そうとしないような球団があるようでは武士道など夢のまた夢かもしれない。

 新庄は宇宙人ながらこうした日本のプロ野球に見切りをつけて、薄給も省みず男のロマンを追い求めたと言うことであり、最近の若者では珍しい華のある男の生き方である。ここに謹んで前言を取り消すものである。
 序でながら、あのタイガースとやら、勝敗は弱い方が負けるのは仕方がないとしても、個々のプレーに感動もしないようなチームは「当分に間」忘れることにした。それにしてもあの「裏切り新庄」ほんまに宇宙人とちゃうやろうか。(01.06仏法僧)