サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

52.孫

 大泉逸郎さんの「孫」という演歌が大ヒットした。久々のミリオンセラーということで、多少著作権のごたごたもあったようだが結構なことである。この歌詞が「何でこんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物」という極めて単純なものである。

 我が家でも昨年の10月で3人目の孫が生まれ、大泉さんならずともそう思うのである。いずれも外孫であるが、外であれ内であれ、孫の可愛さには変わりがない。外孫であるだけに日々の成長がわかってうれしいものである。孫というものはその成長に然したる責任もないから余計に可愛いのかもしれない。

 確かに可愛いのだが・・・、その可愛さも孫の都合など考えずに、一方的に愛情を注げられる年齢と時間までということになると思っている。勝手なもので,我が家でも来て4時間が限界のような気がする。それを超えると可愛さより疲労の限界を超えてしまうのである。ならば、来なければよいかというとそうではない。2週間も見ないとそろそろ孫の面影が目の前をちらちらし始めるのである。

 何も孫と一緒に動き回るわけではないが、あのハイテンションの声と動きを見ているだけで疲れてしまうのである。何せ、生後まもない赤ん坊の頭上を弾丸のように走り回るのである。こちらが気にするほど本人達は際どいことをしているとは感じておらず、母親のほうもいたって鷹揚である。

 見ているこちらはきがきではないから時々「コラッ」と一喝する。この一喝が二喝になり三喝になるから孫にしてみるとうるさい「じじい」だと思っているのかもしれない。母親である娘に言わせると「家にいるときより叱られる」らしい。今のところ露骨に「糞爺」とは言わないが、これは時間の問題だとは内心覚悟はしている。
 もっともはじめの頃は効き目もあり、母親のところにへばりついて、しょげた風も見えたが最近はけらけらと笑って物陰に隠れる程度になってしまった。

 よく孫達が電話をかけてくるが家内が出たときは会話が続くが、私が出ると電話の向こうで「爺ちゃん・・・」といって暫く絶句するのである。多分、(しまった、変なのが出てしもうた)と思っているのかもしれない。なんとなく緊張している雰囲気が伝わってくるのである。あまり会話も弾まずに、すぐに「婆ちゃんに代わって」とくるから参ってしまう。

 最近、娘が孫達を叱るのに「お巡りさんに連れて行ってもらうからね!」というのを耳にした。私の小さい頃はお巡りさんは威厳のある人の象徴でであり、卒業式などにも村の駐在さんが立ち会ったものであるが、いまどきお巡りさんが怖い対象なのか少し奇妙でもある。もっとも最近のお巡りさんは悪いことをするお巡りさんもいるから大人にとっても怖いことになるのかもしれない。
 それにしても孫を叱るときにお巡りさんの代わりに「爺ちゃんのところへ連れて行くからね!」などと言われないようにほどほどにしておこうと思っている。
 もっともこのくらいの歳で,爺婆といっしょに背中を丸めてコタツに入っているようだとそちらのほうを心配したほうがよいのかもしれない。

 ところで最近二番目の孫が始めて一人で「お泊り」にきた。この孫、ただ今二歳半であるがなかなか腹の据わった孫である。やや受け口であるために時々下唇を噛み、慢性的に裂傷を負うために昨年暮れに縫合手術をしなければならなくなったのである。それを聞いたときに想像しただけでいいようのない胸の痛みを感じたのである。ところが病院に行くと「ホニョ(名前)泣かない」といって自ら診察台に上がったというから少々出来すぎの話である。
 これには後日談があり、縫合した糸が抜糸前に一本なくなっているのである。この孫、生まれたときは未熟児一歩手前であったが、その後何ヶ月間は一日100グラムずつ体重が増加して、今では平均よりはるかに上回っている。少々食い意地も張っており、知らぬ間に縫合の糸を食べてしまったらしい。

 さて、「お泊り」に来たといっても迎えに行ったのであるが、車に乗り込むと意外に静かで無言で乗っているのである。それでも時々私の顔を見上げてニコッと笑うのである。この笑いが何の意味であるか分からないが、多分、緊張と喜びが交錯していたのかもしれない。

 家に着いてみるとこれまたいつもの悪ガキぶりはどこへやら、実によい子であるのである。ちょうど家内が出かけて留守であったので、二人だけで過ごす羽目になったが、てこずることなどほとんどないのである。私の部屋に来て「エンタネット」等と言うところはIT時代の子供ということになるが、唯一困ったのは途中で「エンゴジュチュ」と言い出したことである。
 何回聞いても「エンゴジュチュ」であり、あまり聞き返すと下を向いてだんだん声が小さくなるのである。ここで泣かれては一大事と頭の中でじっと考えているうちに「分かった。りんごジュースか!?」と聞くと、こっくりとうなずいたのである。
 実に土中から貴重な遺物を発見したような心境であったのである。その夜はいっしょに風呂に入り、久しぶりに「川の字」で寝たのであるが、寝相以外は極めてよい子で上機嫌で、まさに「宝物」あったのである。

 翌日、母親に連れられて、上の孫と下の孫が到着するや否やいつもの「悪ガキ」に逆戻りし、家中を寸暇を惜しんで走り回り、引き散らかすのである。どうやら「敵」は二人集まって合体すると特別のパワーを発散するのかもしれない。
                                孫  婿も来て夕食をともにした後、間断なく吹き荒れたこの豆台風が、勝ち誇ったように意気揚揚と引き上げた後は、残された爺婆はしばし放心状態に陥るのでのである。

 思えば今年の夏には三番目の孫も戦力に加わり、三つの豆台風が合体して「パーフェクトストーム」の変化したときはどのように喜んでよいものやら今から戦々恐々たる心境である。(01.02仏法僧)