サイバー老人ホーム

330.ライフワーク(2)

 私は、子供の頃から現在に至る迄、死ぬほど苦しんだ事はない。それだけ家庭的にも、仕事の面でも恵まれていたかというとそうではない。本当の苦しみと云うのを感じられなかったのかもしれない。

 ただ、高校時代に、いたずら半分に不正乗車したのが発覚し、退学になるかもしれないと考え、夜も眠れずに悩み苦しんだことがあった。この事があってから、いかなる事であっても、邪まな心は断じて持つまいと心に誓った事は事実である。

 この邪まな心とは、芥川賞作家宮本輝さんの「水のかたち」によると、「人をいじめる。人を苦しめる。人を悲しませる」ということで、一言加えるなら「欲をかく」ということだと思っている。

 私が最初に勤めた会社は、戦前から日本を代表するような会社で、居並ぶ社員はきら星のように光り輝く経歴や、人脈を持った人たちで、私の様などこの馬の骨か分からない様な人間は凡そ見当たらない程であった。この時考えた事は、これ等の人達に互して生きて行くには、実務ではだれにも負けないようにする以外に道はないと感じたのである。

 しかし、その後、いくつかの理由はあったかもしれないが、基本的にはたった一度の人生を其のまま過ごす空しさを感じ、やがて退職することになるが、同じようなことを三度繰り返したことになる。

 私は、現役時代に、与えられた仕事は全て受けて立つ覚悟で臨んだ積りであった。ところが、ただ一度、命令を拒否した事がある。それは五十代の半ばころ、有る下請け企業が、経営が成り立たなくなったので何とかして欲しいと申し入れてきたことがあった。

 当時の社長からすぐに調べて報告してくれと云う依頼があった。早速、その会社の出向き、総ての書類を調べた結果、所用資金から見ても計画的運営をして行ったら返済できない金額でもなく、採算的にも問題はない事が分かった。

 そこで、社長にその旨報告すると、「そんな生ぬるい事ではだめだ。すぐに金型を引き上げて来い」という事であった。その下請け企業は、金型を必要とする業種で、その金型は当社から支給しているという形態を取っていた。私は、これに対して、「私にはそれは出来ません」と即座に応えた。その背景には、やった結果、罪悪感を感じる様な事は決してやるべきではないと云う私に信念からであった。

 企業と云うのは、洋の東西に限らず、総て、家内工業からスタートし、やがて成長し、やがて大企業に発展する。とは言え、それまでの間に夥しい企業がうごめいていて、これ等が規模や、内容など応じ徐々に成長して行くものである。

 ところが、企業によっては、生まれた時から変わらない企業がある。古くは徒弟制度とも云われ、今では家内工業などと呼ばれるそこに働く全ての社員は公私の別を含めて経営者の考え方が総ての行動の規範としている企業がある。いわゆる世にいう所のワンマン経営というものである。
 
 それが決して悪い事ではなく、取り分け決断が速いから、うまく回転したらこれほど効率の良い会社はない。但し、独走があった場合は、それに随う社員は公私の別など関わりなく従うことになる。

 会社の仕事と云うのは、前例があり、又経験者がいて、それらに随って新たな担当者が徐々に仕事をおぼえて行くものだが、私の場合は、何故か総て自力で調べて、実施するものが多かった。同じ事をしていながらなぜそうなったかと言えば、企業とは日進月歩進化しているもので、ワンマン経営では、日々改革して行く度合いが早かったのかもしれない。

従って、手掛けた仕事は全て楽しかったし、そこに働いている人たちとの交わりも全て楽しかった。人には、自然人と、法人と云うのがある事は誰でも知っているが、自然人で根っから悪人と云うのはめったにいないのではなかろうか。それに反して、法人のもとに働く人間は常に変化する。

 従って、私が使えた会社と云うものは、総て厳しかった。得意になって喜ぶような事もなかったが、苦しめられたという意識もなかった。ただ、理不尽な思いと云うのは大型ダンプカー一台もあり、嫌というほどさせられた。

 ただ、これに対して、黙って従ったかというとそうではない。すかさず、自説を唱え反論し、とどのつまりは、投げ出して、会社まで辞めてしまうという事が一再成らず三度も続いたのである。

 然らば、理はどちらに有ったかというと、少なからず本人である私に理があったと思っているが、今考えると、それが正しかったかどうかなどと云うのは、現実にその会社が存在している限り論ずる迄もない。しかし、何れにせよ、会社の仕事をライフワークなどと考えて事は一度もなかった。

 こうした経歴を経て、私の性格を根本から改めようと考えたのが現役を過ぎてからであった。然らば、一体どのように改めたいと考えたのは、総てに逆らわず、一切の拘りをなくすと云う事であった。いわゆる、仏教で云う所の無の境地に入りたいと思ったのである。ただ、こう云っても、私の様な邪念の塊の様な凡人が、高僧の領域である無の境地などに入れるわけもない。

 そこで思いつたのが、自分の心に浮かんだ全ての邪念を洗いざらいさらけ出し、総ての事を洗い直す事であった。

 人間と云うのは、うぬぼれ、嫉妬し、他人を嫉み、自分の廻りからいい人だと思われたいと云う気持ち常に持ち続けていると云われているが、こうしたものをすべて吐き出し、空白の自分を作りたかったのである。

 それではどうやって吐きだすかというと、自分の中に芽生えた邪念(雑念)をすべて文章に記して、公開の目に晒す事だと考えたのであった。

 斯くして、私が、本格的に書くことに熱中し出したのは、定年退職して、勤め人としての仕事から解放されてからである。(12.11.15仏法僧)