サイバー老人ホーム

330.ライフワーク(2)

 「ライフワーク」という言葉がある。国文学者の外山滋比古博士によると、「ライフワークとは、一生をかけてする仕事であり、個人の記念碑的な業績とみなされるような作品や研究」ということである。

 こうなると、我々凡人には、及びもつかない事になる。ところが、同時に、「ライフワークの花を咲かせることはあらゆる人に可能である。この花は晩年になって始めて結実する。そのためには自由時間の使い方を考えなくてはならない。自分の生きがいとなり、人生の豊かさにつながる、能力の備蓄をすることが必要だ。バッテリーは使い切るまえに絶えず充電しなくてはならない。輝かしい、円熟したフィナーレを迎えられるよう、一日一日の生き方を考えてみよう」ということで、がぜん、私の様なぼんくらの暇老人でも、努力の仕様によっては満更でもない事になる。

 更に、「ライフワークとは、それまでバラバラになっていた断片につながりを与えて、ある有機的統一にもたらしてゆくひとつの奇跡、個人の奇跡を行うことにほかならない」とも述べている。

 即ち、お金や、名誉や、地位名声など特定の事業や、学問、更には業績に結び付けたものではなく、それが社会的に認められようが、認められまいが、自分の生きがいになり、人生の豊かさにつながるもので有ればライフワークと云う事が云えるようである。

 実は、私の生涯で、一体何を最も重きを置いてやってきたかと言えば、この「孤老雑言」のどこかで書いたことがある、文筆活動である。これを職業としてやった場合は、文筆家と云うことになるが、私の場合はとてもそこまでは遠く及ばない。

 ただ、この文章を作ると云う事は、私がまだ中学生だった頃、当時、蒋介石と云うニックネームで呼ばれていた国語の竹内先生に、私の作った作文を志賀直哉の文章の様だと褒められた時から始まった。尤も、これが切っ掛けではあったが、子供の頃も、その時の情景や、環境から無性に文章で残して置きたい衝動にかられていた。即ち、その時の感覚を文章にしておきたいという衝動であった。

 ただ、この蒋介石先生の発言以来、心してそれを書きとめておくようになった事は事実である。そう言ったとて、常にメモ帳をポケットに忍ばせてなどと云う気のきいたものではないが、気が向けば書き留めていた。其の最初の取り組みは、高校生の修学旅行で、その旅行記を書きとめた事である。

 こう云うとなんとなく、鉛筆片手に神社参りをしたように感じられるが、それほどでもなく、殆ど記憶していただけである。幸い、私の場合は能力があったわけではないが、記憶力と好奇心は今に至るまで可なり強かった。

この時の修学旅行は、昭和31年の事であり、当時は高校に進学するのも容易では無い時期で、増して修学旅行に行かせてもらえるのど思ってもいなかった時期であった。これは歳をとってから気が付いたことであるが、当時は誰もが貧しかったと思っていたが、我が家の場合は特別であったようである。従って、見分したものを総て記憶し、それを後日旅行記としたためたもので、定年後にその時のメモを見つけ出し冊子にしたところB6版110ページにもなる大作であった。

 実社会に入っても此の性癖は改まらず、事あるごとに書き続けた。その背景には、勤めた歳月だけ、自分なりに理不尽を感じた出来事に遭遇していたからである。

 それが妥当であったかどうか定かではないが、私は、こうしたことを見過ごすことが出来るほど器用な人間ではなかった事が災いしたのである。とりわけ四十代になってから勤めた会社のずさんな経営に対しては目を覆う状態であり・・・・、そう感じていた。

 それを改めるべく新書サイズ310ページの長編小説「空洞」を出版した事が一段と病み付きになった。原稿は、四十代で書き上げたが、果たしてこれを如何様に出版するかという事は皆目見当もつかなかった。

 五十代に入り、某出版社の、「あなたの本を出版しませんか」という新聞広告を見て応募したのであるが、新聞広告には、出版社自ら出版費用を負担する「企画出版」、著者と出版社が出版費用を負担する「共同出版」、更に著者が全額負担する「自主出版」があった。この時は、「共同出版」ということで、出版費用百五十万円を負担した。

 この時、出版社から提示された出版費用は百八十万円で有ったが、そんなには負担できないと云うと、あっさり三十万円を値引きしてくれた。

 ただ、これが常套手段だったかどうか知らないが、この時の本はいわゆるハードカバーであり、その後の経験から、かなり勉強していたのではないかと思っている。

 この時も、かなり迷ったが、これで出版しなかった場合、この先何年にもわたって後悔することになると思い、清水の舞台から飛び降りるような気持で出版したのが関西に移ってから11年目の平成7年の事であった。(12.11.01仏法僧