サイバー老人ホーム

249.「窮民妙薬」2

 「窮民妙薬」に載っている症状は全部で百二十九にも及んでおり、中には食い合わせや、ヒャックリのように病気に加えられない様なものまである。

 これを今風に区分してみると、最も多いのがやはり皮膚科に関わるもので22の症例が載っている。江戸時代、皮膚病は貧富に拘らず最大の悩みであったのだろう。もっともこの傾向は、私の子供だった戦後間もなくに時代でも同じだった。

 前述の「湿瘡」に加え、クラスの中に二・三人は「クサ」と言うオデキが顔や頭に出来ている子供がいた。斯く言う私など、時々膝小僧や、頭にオデキの瘡蓋があり、直ったあとでは其の部分だけ毛が生えず小さな禿として残った。

 これを「銭ハゲ」と称し、今では大方頭髪がなくなり目立たなくなったが、子供の頃の悩みでもあった。

 これも皮膚病とはいえないかもしれないが、「霜焼けの薬、牡蠣殻白焼きにして粉にして髪の油にて溶き付けて吉」と言うのがある。子供の頃、普段でも風呂に入ると言うのはなかなか出来ることでなかった。
 
 そのため特に冬場は霜焼けや、皸(あかぎれ)に悩まされた。この皸とは、寒さのために手足の皮膚が乾燥して角質化してヒビワレたもので、当時は大人でも子供でも手足に皸を抱えていた。

 この治療薬は記載がないが、私の父親などは、「皸の膏薬」などと言って竹皮に包んだ黒い塊を割れ目に押し込み、暖めた火箸で溶かし込んでいた。多分、漆の塊ではなかったろうか。

 次が、食中毒と、害虫や害獣に刺されたことによるもので、河豚などは当然であるが、今では考えられない鰹や諸魚、蟹、生肉なども入っている。多分、貯蔵能力無い時期であり、今で言う賞味期限切れと言うことであろうか。

 もっとも、中には酒毒と言うのがあり、「酒毒には葛の花、夕顔の花陰干しに粉にして湯にて用いて吉」と有り、お悩みの方は試してみたらいかがであろうか。

 ただ、「鼠の小便目に入りたるに猫のよだれをさして吉」というのがある。効能はさておいて、天井裏を走り回っていた鼠が、下で大口開けて寝ていた大口より、蜆のような目を瞑った所めがけて小便を放(ひ)り落とす阪神タイガースの藤川投手のような鼠がいるかと言うほうが滑稽である。

 歯科に関するものも比較的多く、歯を磨く習慣が何時頃定着したか分からないが、当時は歯を磨くのは、木賊と言う草の茎か、柳の小枝を叩き潰してささくれだった先で磨いていたようである。

 したがって、日本人は昔から歯痛に悩まされてきたのだろう。この中で、今でもおなじみの虫歯の治療薬には奇妙なものが多く、治療と言うより痛み止めだったのではなかろうか。

 「焼酎にて口をすすぎ、又含みて吉」、「杉脂又は檜脂」、「胡椒一粒」、「馬の歯粉にして絹に包み」、虫歯の穴に入れたり口に含めば吉と書かれている。更に「螻枯(けら)焼粉にして、絹に包み大豆の大きさにし、痛む所に当てて吉」と書かれている。

 この「螻枯」とは田圃の畔などにいる昆虫で、体長約3センチくらい、体は円柱状で褐色で、前足は硬く幅広く、土を掘るのに適したモグラみたいな昆虫である。

 子供の頃、螻枯を捕まえて「ケラ・ケラお前のキンタマどれくらい」などと指先で擦ると、瞬間に前足を広げた状態で停止し、その事で悪餓鬼どもがからかいあって遊んだものである。

 次に、目に関するものも多く、これらは主に栄養不良からきたものが多かったのではなかろうか。

 小児科関係も多く、小児五癇と言うのは神経過敏から、痙攣などを起こす疾患で、一般的には癇の虫といわれていた。ただ、子供の病気はなんと言っても、小児疱瘡と痘瘡、即ち天然痘である。 「赤牛の歯粉にして持ちゆ」とかかれており、あえて「赤牛」としたところに味噌があるのかもしれない。

 また、産婦人科関係では、一般に「こしけ」と言われる女性特有に腰痛帯下、更に難産、胎死、胞衣下がらずと続き、当時の女性たちが出産と言うのはまさに命がけだった事が伺われる。

 ところで、これらの病気を治療するための薬とはどの様なものだったかと言うと、圧倒的に多いのが植物で、およそ百六十七種である。植物の花、実、葉っぱは勿論、根さらに樹皮・樹脂、果ては実の蔕(へた)、古草履や奉書紙まで入っている。

 これらの植物について、不明なものについてNETで調べた所、ほとんどが漢方薬、又は薬草として載っているから驚いた。

 ちなみに、古草履とは、脱肛の薬として「古草履火にて温め、痛む所にあて痛み止むなり」と出ている。

 次に多いのが動物から採ったもので、およそ九十三種である。動物となれば蟇(ひき)蛙(がえる)や、蛭、ミミズなどは準主役級と言うところ、これに加えて何故か様々な小鳥の嘴や足の爪が多い。しかもこれらを黒焼きにして、蜂蜜などで丸めて呑むと言うわけである。

 近頃、炭の薬劫について様々に取上げられているが、多分、現代人には分からない効能が有ったのだろう。

 更に、何故か動物の糞を薬にしたものが多い。蚕の糞と言うのは今でも何かの薬にしていると言う事は聞いていたが、鼠の糞、黄牛の糞、猫の糞、馬糞、竹の虫糞、兎の糞、牛の糞、童子の大便と多彩である。

 この中で、「童子の大便」というのは、「胸虫の薬」と言う中に、「童子の大便干し、粉にして丸じ、生姜汁にて用い吉」とある。しかし残念な事の、この「胸虫」と言うのが如何なる病か分からない。

 最も強烈なのは、「耳漏」の薬に「尾長蛆」と言うのがある。「耳漏」とは今風に言えば中耳炎であり、その薬に「尾長蛆黒焼き、胡麻油にて溶き入れる」とある。この「尾長蛆」とは、いわゆる蝿の幼虫であり、かつてはどこの家の便所にも這い回っていた。

 これを黒焼きにしたものを胡麻油で溶いたものを耳の中に入れると言う事で、今の感覚で言えば差し詰めエ〜ッと言うところだが、人間の排泄物の中を這い回って生き続ける蛆虫の食物連関の中に、人間の計り知れない薬劫があるのかもしれない。

 鉱物を原料としたものはさすがに少なく、十三例である。硫黄、明礬などは聞いた事もあるし、実際に使った事も有る。

 戦後間もなく、戦地に赴いた軍人達が復員してくると、この「疥癬(かいせん)」と言う皮膚病が大流行した。当時、野球が大流行した時期であり、ひと揃えの野球道具を敵味方で使いあっていた。そのグローブを媒介にして、瞬く間に「疥癬」が村中に蔓延した。

 「疥癬」には、まだ子供だった私なども感染し、毎晩風呂に入った後に硫黄膏剤と言う薬を小さなオチンチンに塗られたが、飛び上がるほどの浸みたことを思い出す。

 そのほかに、石灰、火薬、土、土器の粉、墨、滑石、古壁、軽石、辰砂(硫化水銀、焼物絵付け)などとあり、南京染付け皿の粉を薬用としていたのは、辰砂が手に入らない代用と言う事だろうか。また、何故か刃物の砥糞(研ぎ汁)が何例かに使われている。

 いずれにしても今の時代ではにわかに信じ難い代物もあるが、これらの薬効については、私自身が臨床実験をしたわけではないので、先人の教えに従う以外にない。当時の医師は臨床実験を元に述べていることで、迂闊にものを言うべきではないのかもしれない。

 事実、これらの薬の中で、唯一我が家で今もって使っている常備薬がある。それは「馬の油」である。「窮民妙薬」には、「湯火傷(やけどの事)、馬の油塗りて吉」となっている。

 今からかれこれ四十年ほど前、当時まだ幼かった娘が夕飯の時、誤って味噌汁を膝にこぼしてしまったことがある。運悪く当日は日曜で病院は休み、慌てふためいて家内は近所に薬の有無を聞いて回ってところ、一軒の家の主婦が飛び出してきて娘の膝に何かを塗り始めたのである。

 聞いて見ると馬の油との事、そのときは「この近代医学が発達した時代になんと非文明的な」などと思っていた。翌日病院に連れて行き、治療してもらったが、その夜薬と包帯を変えようとしたが、疵が崩れ包帯が取れなくなっていた。

 そこで、再び馬の油に戻すと、翌日はパラリと外れ間もなく何の痕も残さず治癒した。更に、今度は私の友人が車のラジエーターの蒸気に顔中の火傷を負った事があった。このときは我が家が「馬の油」を提供して、間もなく跡形もなく完治した。以来先人の知恵は、仇や疎かにするものではないと心底思っている。

 ところで、「窮民妙薬」の終わりの方に、「無病延命の術」と言う項目がある。
 それによると、「鳥獣に習うより如(し)くはなし、鳥獣は飢えて食し、飽いて止む。欲発して淫し、欲おさまりて止む。

 人は口に味わい有れば腹の満ちたるが上にも飽食し、目に色を見れば欲収まりても淫(いん)(みだら)せん事を求む。是に依りて脾胃を破り腎を損ず。大半脾腎虚をなし、保養の薬と云いて火を助くる薬を用ゆ。

 一旦はそのしるしあるようなれども、火は五臓に有り。水は一蔵に有りて乏しきに、又火に火を懸け水を燥(かわ)かし死いたることを覚えず。俗に土仏(つちぼとけ)の水遊びと言う、慎むべし」

 この土仏とは、土仏の体が水に溶けてしまうことから自分からわざわいを招いて身を滅ぼすことのたとえであり、まさに現代にも通ずる金言である。

 今から何年か前に、かつて若かりし頃の悪しき生活習慣の因果により、脳梗塞を煩い、未だにリハビリの日々を送っている。この脳梗塞など脳卒中と言う病は、かつて大学教授でも有り、参議院にもなった同病の時代の寵児であった栗本慎一郎氏の御託によると、脳梗塞の患者の十六パーセントから六十パーセントが五年以内に死亡するという。

 罹病以来、この五年以内のハードルは越えたが、また何時起こるとも限らない。「窮民妙薬」によると「卒死(卒中)、手足萎え利かず、小便覚えず出(いずる)に、馬糞一升、水三斗入れ、二斗に煎じて洗いて吉」と書かれている。近頃馬糞もお目にかかれなくなり、妙薬の御利益に預ることも難しくなった。

 これからは、願うらくは、せめて土仏にならぬよう、飽食を戒め、淫りせぬように心がけたいものである。(08.10仏法僧)