サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

187.驚天動地

 ライブドアとフジサンケイグループの攻防は、どうやらライブドアの思惑の方向で決着がつきそうである。それにしても、天下のフジサンケイグループが、若干32歳の少壮実業家の手玉に取られた感じで、フジサンケイグループの経営陣としたら余り気分の良いものではなかろう。

 それにしても、この攻防、久しぶりに血沸き、肉踊る、人や企業のエネルギーを感じさせる出来事で面白かった。取分けライブドア側の戦略の巧みさばかりが目立ち、フジサンケイグループの後進性のみが目に付いた。

 勿論、フジサンケイグループの人材が劣っていたということではない。寧ろ質量においては、ライブドアを凌いでいた事と思う。然らば、何故、成すところなく押し捲られたかといえば、時代の読みの浅さにあったのではないかと思っている。取分け、株式と会社支配の考え方の時代感覚が二昔もずれていたのではなかろうか。

 中でもニッポン放送幹部の言動は醜態である。「僕達は一生懸命頑張っている」などと、およそ上場会社幹部の発言とも思えない、そんじょそこらの高校生でももう少しましな言い方をしたのではなかろうか。

 今時、「一生懸命頑張って」などということは、政治家辺りが口にする言葉である。更に、今度の攻防の中に従業員の意向というのを持ち出したのも、いかにも昔風の経営感覚といわざるを得ない。今度の場合、株主と経営者という純然たる法的解釈の問題で、これに第三者である使用人の意向など持ち出しても話にもならない。

 従業員などというものは経営者というより、会社そのものに帰属しているだけで、会社が存続する限りそれに従うのが当たり前である。例え、全従業員の総意などといっても、経営者が変われば、自ずと変わってくる。

 今度の攻防で、ニッポン放送の幹部は株主と経営者の関係がわかっていないのではないかと疑いたくなる。
 日本では株主総会というものが形骸化して、一つのセレモニーとして終わっている感が昔からあるが、経営者などというものは、オーナー社長以外は、株主の委任により存在するものであるという基本的原則を忘れているのではなかろうか。

 最近になって、ニッポン放送側が支配下に入れているポニーキャニオンの株をフジテレビ側に譲渡したいという意向を示して、これが誰からの指示に基づくものか分からないが、ライブドアが懸念を呈した重要資産の売却を、敢えて押し切ってまで進めるのか、その場合は当然訴訟が発生するのを覚悟しての事だろか。この段階になって事を荒立てているのは、フジサンケイグループのような気がしてならない。

 この時代、ラジオ放送というものが、経営資源的に見て、どのような状況におかれているのか知らない。少なくとも飛ぶ鳥を落とす勢いの、マスコミの寵児、テレビ放送というわけには行くまい。衰退とは言わないが、現状維持のまま寧ろ化石化しつつあるのではなかろうか。

 立場的には、フジサンケイグループの親会社的な位置にあるが、日本の世論をも動かす、巨大マスコミ企業の枠に守られて、フジサンケイグループの捨扶持の中で、グループの金庫番をしているのではなかろうかと勘ぐりたくなる。その意味では、フジサンケイグループにとっては正に驚天動地の出来事であったに違いない。

 これに対して、ライブドアは情報社会の正に最先端を走っていて、あらゆる物を経営資源の取り込もうとするエネルギーは凄まじく、ニッポン放送の経営者はこのネット社会の広がりをどのように考えているのだろうか。一度でもライブドアのホームページを見たことがあるのだろうか。

 ネット上に1万軒を超える店舗を有する「ライブドアデパート」が存在する事など想像したことがあるだろうか。それがネット社会といわれる社会の趨勢であり、現在、化石化しつつあるラジオ放送事業をネットとの提携により、これから無限に拡大する可能性を信じたくなる。

 今回の攻防で、もっぱらライブドアのニッポン放送の乗っ取りという側面が強調されているが、ライブドアの堀江社長は自らの「社長日記」の中で、「メディアとITとファイナンスのコングロマリットを作りたい」と言っていて、権力者のなりたいなどとは言っているわけでも無い。

 本心は分からないが、彼の事業家意欲は「今まで通りでそこそこうまくいっているものはそのまま残し、少しずつ時代に合わせてよくしていく。それにプラスアルファで全く新しいことをしていく」というのが堀江氏の基本的スタンスということで、ここに近頃の若者の先進性を見る思いである。

 一方で、「派手な未来のことよりは、地道に今できることをコツコツとやることが大事。ビジョンを示してばら色の未来を予感させることは経営ではない。当たり前のことを当たり前にする努力こそが経営である」とも言っており、寧ろ現実的な経営者ということになる。

 ところで、今回の攻防をさして、かつて図体ばかり大きい元首相が「お金があれば何でもありというのはいかがなものか」と苦言を呈している。この元首相、首相の頃は失言ばかりして繰り返していたが、引退してからはやけに横幅の広がりばかりが目に付く。

 こんな、「金があれば何でもあり」の世の中を作ったのはおまえ達ではないかと言いたい。
 ライブドアの肩を持つわけでも無いが、ライブドアの稼いだ金は公明正大に、自分達の才覚で稼いだもので、そのお金を再投資しようとするもので、一片のやましい所はない。むしろ、放送事業という法に守られた温床の中で、然したる努力もなしに生き延びていく方が問題である。

 また、生活困窮者の正に血の滲むようなお金の上前をはねて、一千六百億ものお金を海外に持ち出し、脱税を謀ろうとするよりか、よほど健全であり、寧ろ推奨すべきではないかと思っている。

 今回の攻防について、街頭でのインタビュー風景が報道されていたが、概ね若者にはライブドアは好意的に受け入れられていたが、元宰相を含めた年配者には批判的である。その背景として、ネット社会を理解しているか、無知であるかの差だと思っている。

 ネット社会というのは紛れも無く現在の文化であり、これから取り残された層が歴然として存在し、困った事に、その中の一部が社会を牛耳っているという所に問題がある。
 取分け、我々のような老年層にとって、インターネットは勿論、その中で、ありとあらゆるものがインターナショナルに流通して事など信じられない。
 今後、ブロードバンドの益々の普及により、堀江氏の言う「もっと便利な」社会や、「インタラクティブ(対話型)な番組」が作られると言う事を、癪に障ってもそれを信じていくしかないのかもしれない。(05.03仏法僧)