サイバ−老人ホームー青葉台熟年物語

145.クソマル

 昨年の暮れ、本屋を歩いていて奇妙な本が目に付いた。標題が「クソマルの神話学」というのである。娘が子供の頃、たまにはハナマルを学校から貰ってきたことはあったが、クソマルというのは聞いたことがない。

 手にとってページをめくってみると、「漱石邸に泥棒が入った。」という書き出して始まっていた。「うっ、何や、これ」と思いさらにページを繰って見ると、明治三十八年の初秋のある日、漱石邸を訪れた客が遅くまで話し込み、いざ帰る段になって、着用していた外套と帽子がない。さらに調べてみると外国製の懐中時計もなくなっていて、泥棒が入ったということが分かった。

 この時、不思議なことに、客が預かってきた、後に児童文学のパイオニアといわれた鈴木三重吉からの手紙がなくなっていたのである。この手紙、三重吉が漱石に宛てた長い長い手紙であったのだが、調べてみると泥棒に引きずり出され、漱石邸の入り口から隣の畑の中まで続いていて、その先端が引きちぎられている。しかもその近くに黒々と糞がしてあったということである。

 すなわち、漱石邸に入った泥棒が、一仕事を終えたあとで、あらかじめ尻拭き用の紙を用意して脱糞をしたという話である。この本の「クソマル」とは分かりやすく言えば、「糞」であり、「マル」すなわち排泄するということであったのである。いささか年明け早々から尾籠な話で恐縮だが、こういう話には妙に興味を引くほうで、直ちに買って帰ったのである。

 ところで、この本ではじめて知ったことであるが、万葉集に「クソマル」の歌が詠まれていると言うのである。もともと、万葉集などは教科書に出てきたもの以外は知らないから、そんな歌など知る由もない。
 万葉集とは時の天皇や高貴な方々の詠まれたものと思っていたから飛び上がるほど驚いた。「クソマル」によると、忌部首(いむべのおびと)と言う人が詠んだ次様な歌だという。

 「からたちの 茨(いばら)刈り除け 倉建てむ 屎(くそ)遠くまれ 櫛造る刀自」

 訳すほどのこともないが、「茨のあるからたちを刈って、そこに倉を建てるので、屎は遠くに行ってせいよ、櫛造りのばあちゃん」ということだそうである。

 これ以外に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、国造りの神話の中にも、弟の須佐之男命(すさのうのみこと)が乱暴狼藉を働いて、大事な儀式を行う神殿で、屎を撒き散らしたと書かれているということである。以下、古代における「クソマル」の意味を様々な例を引いて縷々説明をしている、極めて真面目に研究された内容となっている。

 ところで、一般に「クソマル」というのは「食事をする」と同列のことであると思っているが、何故か汚いとか下品とか滑稽などと忌避される傾向にあるようである。
 昔から腹が立ったときなどは「クソッ」などといってみたり、人を侮辱したりするとき「クソッたれ!」などと悪たれたりする。どんな人でも「クソマル」のご厄介になるわけで、神話の世界はさて置いて、もう少し注目されても良いのではないかと思っている。

 私が子供の頃は「クソマル」に対してもう少しおおらかだったような気がする。その最大の理由は、「クソマル」が農業にとって貴重な資源であったことによる。これは何も人間の排泄物だけでなく、家畜についても同じである。

 子供の頃は道路を通るものといえば自動車よりも、荷馬車や牛車のほうが多く、道行く馬や牛は車を引きながら垂れ流している風景は日常茶飯事であった。するとすかさず、近所の人が出てきて、塵取りでかき集めるのである。これは何も、道路を清掃するということではなく、かき集めた馬糞や牛糞は持ち帰って畑の肥料とするためである。

 また、昔は「おわいや(汚穢屋)」という商売があって、荷車に肥え桶を積んで家々を回って、集めて回るのである。この場合、お金を払うのは「おわいや」のほうだと聴いていた。当時はそれほど、糞尿は貴重なもので、正月ともなれば必ず便所にもしめ縄が飾られていた。

 日本人の立小便の風習が消えたのは、つい最近のことである。今でも、不心得ものが、塀の陰でやらかしているのを見かけることがあるが、戦前は、男女を問わず、ごく当たり前のことであった。
 とりわけ田舎では生活そのものだったのかもしれない。私の大好きな藤沢周平さんの「冤罪」という短編小説の中で、冤罪で家名を断絶された武家の娘が、藤の蔓が絡まった潅木の茂みの陰で小用をたすのに出会った時のことを、藤沢さんらしいさわやかな表現で書かれている。

 戦後、大きく変わったのは便所であるかもしれない。戦前は、土中に伏せた溜め桶に二枚の板を渡した便所がどこの農家の庭先にもあった。小用は簡単な衝立程度の囲いで、囲っていたが、さすがに大用は小屋の中にしつらえていたが、構造は同じである。いわゆる「ポッタン便所」というやつで、今でも山小屋によっては残っている。

 再び神話の世界に戻り、当時の便所も水の流れる溝に両足を踏ん張ってしたらしいが、爾来、日本の便所というのはあまり進歩しなかったようである。
 最近、洋式トイレというのはごく当たり前になったが、街で見かけるようになった当初は、素肌があの冷たい便座に触れることの気色悪さから、あえて避けていたような気がする。

 尤も、中国の便所なども、最近はかなり改善されているようだが、一昔前では、男女を問わず、一つの部屋で尻を後に向けて並んで用を足しており、知らずに入った日本の若い女性が腰を抜かしたという話を聞いたことがある。
 「クソマル」に対する中国人の感覚は、潔癖性の強い日本人と異なり、かなり大らかなものであったかもしれない。あの「文化大革命」を書いた本で見た話だが、あの当時、北京に集まったな何十万とも知れない若者たちの「クソマル」で町中が溢れかえっていたということである。だからといって、それほど神経質にもならず、汚れたら洗えばよい程度の感覚であったらしい。

 排泄物は汚い、という感覚は誰しも持っているが、考えてきると、生物である限り、排泄をするわけで、イカナゴのはらわたを取り除いて食べる人はいないわけで、この地球上で、循環もできない、最も汚い排泄をしているのは人間だけかもしれない。

 ところで、この「クソマルの神話学」の著者は東ゆみこさんと言う日本女子大と学習院女子大の講師をされているれっきとした学者である。名は体を現すというが、多分、妙麗な若い女性が、ごくクソ真面目に「クソマル」に取り組んだかと思うと、失礼ながら本の内容よりそのほうが可笑しくなった。(04.01)