サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

147.昆虫食

 最近、昆虫食というのが注目されているらしい。昆虫食といっても、昆虫が食べる餌ではなく、昆虫を人間の食材として食べることである。その理由としては、昆虫と人間では食べ物が競合しないと言うことが最大の理由で、近頃様々な家畜に問題があるからと言う事ではない。

 今までも蝗(いなご)など一部の昆虫を食材として食べているが、先日のNHKの「生活ホットモーニング」と言う番組では、絹糸を造る蚕を、瞬間冷凍したものが食材として紹介された。
 蚕そのものは食べたことはないが、繭から生糸をとった後に、蛹(さなぎ)が残るが、信州ではこの蛹は戦時中に良く食べたし、諏訪地方の製糸工場では女工さんがおなかを空かし、こっそり食べて、叱られたと言う話も残っているほどである。

 ところで、私の故郷信州では昔から様々な昆虫や動物を食べてきた。このことから、信州人のゲテ物喰いとして広く世間に知られるところである。冒頭の蝗などは、どこの家庭でもごく当たり前であり、秋の稲の取り入れ時期になると、蝗採りは子供の仕事であり、誰でも一度は経験している。その他、定番ともいえるのは蜂の子であり、スキーなどで民宿したときなどに、宿側の精一杯のご馳走として出されたものを食したことのある人も多いのではなかろうか。

 更に、ザザ虫といって、カワゲラと言う羽虫の幼虫が有名であるが、これは主に南信濃地方で食されるものと思っていた。ところが、ずいぶん前になるが、大阪梅田の古本屋街で、ふと目に止まった「八ヶ岳の三万年」と言う本を見て驚いた。この本、私の実家から二十キロあまり離れた浅科村のご出身の小泉袈裟勝さんと言う方が書かれた本であるが、なんと同じ地域でも食べられていたのである。

 このザザ虫は、清流の中の石をめくると、大概1〜2匹は出てきたが、形は一見細めの芋虫風だが、長さが4〜5センチで、暗緑色をしており、素直に食べられる代物ではない。
 天竜川流域では、この虫を採るための川漁師がいて、流れに網を指し、上流の石を動かすと網の中に入ってくるのであるが、笊(ざる)いっぱい採れたザザ虫をテレビで見たことがあるが、あまり気持ちの良いものではない。食べたこともないので、味は分からないが、この本が出された頃(昭和48年)は、缶詰もあったらしいが、河川の汚染が進んだ今となっては、貴重な珍味かもしれない。

 面白いのは、ケラという田圃の畦の中にいる昆虫も食べていたと言うのである。このケラと言う虫、いわゆる虫ケラのケラであるが、食材と言うより子供にとっては格好の遊び相手であった。長さが3センチほどの細めの蝉の幼虫みたいであったが、前足二本がギザギザなシャベルのような手をしていて、これがかなり力強い。その手を指でこすりながら「ケラケラ、お前のキンタマどのくらい」と言って指を離すと、パッと前足を広げて停止するのである。小泉さんも同じ遊びはしたようだが、これを食べるとは知らなかった。

 蝉も食べたと言うことは聞いていたが、実際に食べたことも食べるところを見たこともなかったが、小泉さんによると、幼虫のから煎りしたものを酒蔵信州で出されたと言っているし、成虫は火で焙り、羽をなくして食べると香ばしくて美味しかったと言うことである。

 驚いたことに、蛹が孵化した蛾を食べたと言うのである。小泉さんによると、「私はショウジブンブンと呼んでいたスズメ蛾を母に食べさせられた経験がある。この蛾は家に入った蛾が外に出ようと障子にあたり、ぶんぶんと言うところから子供がつけたものだろう。これを捕まえて、火の中に放り込むと、羽と鱗粉がすぐ焦げて裸になるので、これを食った」と言うのである。

 ここまでくるとさすがにゲテ物も極まれりと、思うのであるが、なんと言っても圧巻はゲンゴロウである。ゲンゴロウと言うのは水生昆虫で、田植え前の水ぬるむ頃、苗代などでよく見かけた。翅(はね)の縁が薄黄色で、全体は光沢のある暗緑色である。さしずめ水中のコガネムシと言う感じだが、どちらかといえば肉食性で、昆虫やかえるの死骸に群がっていたので、あまり採りたい昆虫ではなかった。

 小泉さんのところではこの昆虫も食べていたらしいが、その採り方が凄まじい。主にため池で採ったらしいが、「塩鮭の頭やひれやしっぽを使った。これを縄で結わえて池の水面にたらしてやる。水面に油膜の虹が広がるとゲンゴロウが四方から現れて食いつくので、頃合を見て網でさっとすくってバケツに叩き込む」ということである。

 これを半日もやると、バケツに半分も取れたということで、想像しただけでも背筋が寒くなる。これを熱湯で殺してから、羽をむしりとり、塩炒りにして、それを頭をぽきりと折ると内臓が出てくるからこれを捨てて食べる。殻はごそごそして、味はともかく食べ難かったそうである。

 ところで、このゲンゴロウを食する習慣は信州だけかと思っていたら他でもあったと言うから驚きである。昭和45年6月4日の朝日新聞の投書欄に「ゲンゴロウ揚げが珍味の風習はどこか」と言う一文が載ったところ、信州以外に、秋田県と福島県の方から名乗りがあったらしい。それによると「佐久出身(信州佐久地方)のO氏の投書を読んで、涎がたれる思いがした」と言うから昆虫食もまさにここに極まったと言うところである。

 ただ、昆虫食と言っても、美味いから食べる、食べられるから食べると言うものではなくて、これらが食材として定着するには気の遠くなるような長い時間をかけて定着するもので、それが食文化と言うものである。

 それに、昆虫食として定着して、人間と昆虫が共存できるようになるには、その前に先ず彼等が安心して住める環境の整備が必要である。その暁には、町の居酒屋の店先に「国産もの昆虫入荷!」なんて看板が張り出され、店内には様々な「昆虫メニュー」が並び、「芋虫の串焼き、レアーで!」とか「昆虫の掻き揚げ、1丁!」などの掛け声が飛び交うようになるのかもしれない。(04.02仏法僧)