サイバー老人ホーム

236.古文書

 「抑此苦水利之儀者」と書いても何の事か分からない人が大部分ではなかろうか。「抑」一字をもって、「そもそも」と読む、れっきとした日本語である。

 上記を、今風に読みかれると、「そもそもこの薬の事は」と言うことに成るが、世に言われる「古文書」では、斯様にも書かれると言うことである。

 然らば、私が古文書と言うのが分かるかといえば、さっぱり分からない。抑(そもそも)、此の古文書と言うのを身近に接したと言うのは、何年か前に書いた「ふるさと史物語「三寅剣の謎」」を書くきっかけとなった「近世農村文書の読み方・調べ方」と言う本を読んでからである。

 と言っても、此のときは古文書の原文はおろか、掲載されている解読分でも、良く分からなかった。ただ、このとき、書かれている内容をおぼろげながら判断し、かつて江戸時代、百姓といえば、虐げられてた無知蒙昧の人々と思っていたが、まさに目から鱗の落ちるような内容が流れるような達筆で書かれていたのである。

 この「近世農村文書・・・」は、昭和56年に当時立正大学の教授であった、北原進先生が、我が故郷(信州佐久郡)の旧家に残された、古文書を調査した際に発行された本である。

 その後、この本や、故郷の郷土史家とも時々連絡を取りながら、江戸時代の百姓の生活を及ばずながら調べてきた。そうしたところ、郷土史家から別掲の「天保凶作」に関する古文書のコピーを送って頂き、爾来古文書とどっぷり浸かる事になる。

 昨年の11月に、郷土史家N氏からお願いしていた文書が見つかったと言う知らせを頂き、勇躍でかけたのである。結果は、期待通り以上の成果があり、序でに町の郷土史研究会の管理している部屋を案内していただいた。

 広さは、20坪以上あっただろうか、その壁側に、幅2メートルほどの二段積のロッカー5連ほどに、ぎっしりと古文書が詰まっていたのである。その中に、北原先生が調べた千部ほどの文書も含まれていたが、それらはほんの一分、しかもこれらは殆ど手がつけられていないと言う事である。

 総量でどれほど有るのか分らないが、おそらく二万や三万では及ぶまい。帰ってきてまもなく、わが町西宮市政ニュースの「古文書を読む会」の同好者募集の記事を見て、すぐに参加したのである。

 わが町西宮市も歴史のある町で、かつては西国街道の宿場町、更にいわゆる「灘五郷」の酒の産地であり、積出港であった。

 その後、戦災や開発でなくなったものも多いだろうが、未だ残されたものも多く、市の「郷土史資料館」には六万部を越える古文書が残されていると言うことである。この他、市北部の山口町にも可なりの古文書が残されていると聞いている。

 ところで、この古文書というのは、主にお家流と言う方式で書かれているといわれ、「三寅剣」を書くときに、「音訓引き古文書字典」成るものを、大枚うん千円を投じて購入したが、全く役に立たなかった。役に立たないと言う事は、この本が駄目と言うことではなく、古文書の基本と言うのがわからなければ使えないと言うことである。

 然らば、古文書には明確な方式が決まっており、是をマスターすれば誰でもすらすらと読めるかと思えばさにあらずである。

 江戸時代、学問を習うと言うのは、寺子屋とか手習い所において習ったと言う事で、其の第一歩は「いろは」の読み書きであった。ただ、この「いろは」四十一文字だけであれば、さしたる苦労も要らないが、夫々の文字に当て字と言うのがある。

 例えば、「い」の字の場合、以、伊、意、移などであり、しかも、夫々に5〜6段階に渡る略字がある。略字は基本的には、漢字を構成している偏、旁、冠、構、垂、焼、脚に一定の書き方が有るので、これをもって判断する。

 ところが、偏と言うのは、漢字の左部分であるが、良く使われる人偏、行人偏、三ズイ、二ズイなどは究極的な略字になるとほぼ同じになる。その他も、ほぼ同様傾向に成るからややこしいことこの上ない。

 おまけに、文章の中に漢文と々送り仮名が入っていて、恐ろしく分り難い。それでも、漢字熟語の場合は、文章の前後の関係で推測できるのもあるが、もっとも厄介なのがひらがな文書である。

 ひらがなと言うのは、もともと女性の文字と言うことらしいが、ひらがなを多用した文書は当て字が随所に使われているから、文字通りに読んだ場合、読む事は出来そうだが、文意が全くわからなくなる。

 冒頭の、「抑此苦水利之儀者」は、天保時代に、大阪で起きた「大塩平八郎の変」風刺して発行された「奸了圓」と言う文書だが、薬の効能書きに擬せてかかれたもので、巧みに幕府や暴徒を風刺している。

 ただ、こうしたものが、一体どのような人に読まれたのか分らないが、為政者の目を掠めて、下々の人が読みあったに違いない。

 驚いた事に、昨年、田舎に帰った際、「御定書」と言うのを見せられたのである。この「御定書」とは、江戸幕府の刑法法典であり、幕府は様々な罪人を、この「御定書」を元に裁いていたのである。

 しかも、この「御定書」は、幕府は秘とされており、是が高々五十軒足らずの草深き山村にどうして伝わったのかと考えると、当時の百姓のしたたかさがしのばれる。

 また、元禄六年(1693)に、水戸光圀が、藩医穂積甫庵に命じて出版された「窮民妙薬」と言う本がある。山野貧賤の人々に簡単な薬の調合や、治療方法を分りやすく書き示したものといわれているが、この内容と、同じ内容のものの写しガ我が故郷の旧家に残っている。

 ただ、この内容については、「鼠の小便目に入りたるに猫のよだれをさすと吉」などと書かれていて其の効能がどれほどであったかは別にして、当時の民百姓の生活がうかがえて面白い。

 古文書を読むと言うことは、知識ではなくて技術だといわれている。ただ、読めるかどうかと言うことより、是を書いた人々や、読んだ人、書かれた背景などを考えると、是ほど面白いものはない。

 昨年の暮れに、NHK学園なる所が、「古文書初歩講座」の受講者募集の新聞広告を見て、早速応募した。更に今年に入って、インターネット上で「古文書講座」と言うサイトを見つけこちらも入れてもらう事にした。

 不思議な事には、始めは全く読めなかったものが、何度か目を通しているうちに、段々読めてくるから不思議である。今となっては、外国語などはお呼びもしないが、この際限なく続く暇つぶしには、最良のものと考え、このところどっぷりと浸かっているのである。(08.02仏法僧)