サイバー老人ホーム

320.国籍不明時代劇

 少々古くなった話で恐縮だが、読売新聞一月二十三日朝刊の「気流」という投稿欄に次のような記事が載っていた。

 「初回が放映された後、物語の舞台の一つ、神戸を抱える兵庫県知事が「鮮やかさがなく、薄汚れた画面」と批判し、「時代考証を学ぶために見るのではない」と発言されたと言う。

 私はそうは思わない。当時の状況が丁寧に描かれているからこそ視聴者は楽しみながら歴史の勉強ができ、それが大河ドラマの面白さだと思う。NHKの大河ドラマを毎年欠かさず楽しく見ている」

 この記事を投稿されたのは、福知山市の五十三歳の女性である。従って、それほどお年を召された方ではない。我が、兵庫県知事が、何処で発言されたか知らないが、明らかに井戸知事の発言間違いと云うか、負け惜しみだったろう。

 地元神戸ではないが、福知山の女性が指摘するまでもなく、今度の「平清盛」には、地元の人間として違和感と云うものではなく不快感を感じている。これを見て、地元民として歓迎する気などはさらさらない。

 それはなぜかと云うと、井戸知事が図らずも指摘した「薄汚れた画面」である。平安時代、源氏物語絵巻などの表されている風俗には、優雅な書院造の中に、霞たなびく有様が描かれているが、これは薄汚れた結果湧きあがった埃ではない。

 そもそも、日本には、文学、演劇などに時代劇と云うジャンルが有る事は如何に感覚的ずれが有ろうとも老若男女とも知っているのではなかろうか。

 この「時代劇」とは、明治維新以前の日本史上における時代を舞台とした、書籍、演劇や、映画・テレビドラマなどのジャンルである。勿論、こうした物の特性として、史実や、言い伝えばかりではなく、フィクションのものが有るのは当然であり、それもまたおもしろさの一つになっていた。

 ただ、「時代劇」と銘打つ限りは、そこに、最低限の時代考証が為されていなければならない筈である。この「時代考証」とは、時代劇で使われる言葉遣い、名称や呼称、生活習慣、建築様式、美術様式、社会制度などが、史実に照らして妥当性かどうかの検証が為されていると云うことである。

 嘗て、世界的巨匠と言われた黒沢明監督の作品は、この時代考証が綿密の行われ、あたかもその時代に立ち合ったかのような錯覚を覚える作品ばかりであった。

 然るに、今度の「平清盛」には、時代考証の片鱗すら見えない。まず、平清盛に時代は、公家などに依る荘園支配の時代であり、その収穫物を管理する武家は、全て公家の支配下にあった筈である。然しながら、荘園に於いて、農業を行う百姓を統治すると云う職分が有る事は史実が示すとおりである。

 人を支配すると云う事は、ただ上に立って、指揮命令すればよいと云うものではない。日本には、事の良し悪しは別にして、歴然とした身分制と云うものがあった。誰でも、なりたいものが支配者のなったわけではない。支配する人は、支配するべく身分を備えている必要が有った筈である。

 そもそも、あの丁髷という奇妙な形の髪型一つとっても、朝廷の詔によって定まったもので、身分制に依って制限されていて、身分を越えた髪形などは許されなかった。

 衣服に至っては、更に厳しい掟が有り、織物、染色、スタイルなど全てにわたって、身分による制限が有った。これは身分が高ければ、美しい衣服を着用できると云うだけではなく、身分の高いものが、身分の卑しいものと見紛うような衣服を着用する事も制限されていたのである。

 然るに、「平清盛」を見ると、髪型から、衣服に至るまで、今で言う乞食と見間違うようなものを身につけている。確かに、武家政治が軌道に乗った鎌倉時代とは多少異にするかもしれないが、あたかも乞食の様な風采を以って、人々を支配できる筈がない。支配するならば、支配者としても威儀礼儀をわきまえていた筈である。

 特に気になるのは、平清盛が身につけている刀である。凡そいかなる遺物でもお目にかかった事がない直刀である。

 奈良時代までは、直刀であった事はよく知られているが、鎌倉時代かららは、反りの付いた日本刀であり、その後、刀は武士の魂と言われ珍重されたが、取り分け鎌倉時代の刀は、他のいかなる時代よりすぐれていたのである。

 勿論、平安時代と、鎌倉時代では年代が違うが、武士が支配権を奪うには、それ相応の理由が有ったわけで、それまで普及していた直刀より、反りのある日本刀の方が武具として優れていたのである。

 更に云うならば、日本人の清潔好きというのは単に生まれつきの性分と云うことではない。支配者から、常に清潔を保つように命じられており、それがいつしか習慣となったのである。

 私の子供の頃でも、神社参拝と云う日が有り、その日は朝早くから、村社の神社を参拝するのであるが、神社は勿論、行き帰りの道の清掃でも子供たち全員で行っていた。また、享保時代(1716〜1735)に彦根藩が領民に触れた「觸書」が残っているがそれには次のように書かれている。

 「町屋の内に、御扶持人(武士)借り宅(貸家)よんどころ無き訳にて、貸し申す儀、之在り候共、表は御家中御扶持人並の家作・建物等これを作り候儀は堅く仕り間敷候。此の旨申し觸候儀も、相伺い候上、申し渡し候の間、前々より町並みの格、古来より御定めの通り違い申さず候様に堅く相守り申すべく候」

 勿論、平安時代と享保時代とは、五百四十年も隔たっているが、「町並みの格」などと云うものは一朝一夕に成り立つものではない。長い年月をかけて、支配者、住民が互いに協力し、認め合って出来上がったものである。これは、単に彦根藩だけのものではなく、こうした触れ出しは、それぞれの支配の行われた町々、村々まで国の隅々まで行われていたことである。

 取り分け、朝廷や、公家衆になると、日本建築で、最も美しい書院造の中に侍り、格式を持って優雅に暮らしていたのである。勿論、中には不埒な者もあったろうが、基本的には市民等には想像も出来ない優雅な住いであった事は、平安時代はおろか、奈良時代からの絵画や建物が残っている事で明らかである。

 然るに、今度の「平清盛」に於いては、全ての場面で、目を背けたくなるほど不潔である。髪を振り乱し、汚れた衣服を身に覆い、顔中乞食の様に汚れた男が、どうして、公家はおろか朝廷の面前にまで立ちはだかる事が出来ようか。武士と云うのは、もともと大声でわめくなどと云うのは、恥とされていた。然るに、会話のほとんどが怒鳴り合い、余りのばかばかしさのあまり、見る気もしなくなった。

 NHKの大河ドラマがこのように変身したのは、二年程前の「竜馬伝」ではないかと思っている。あの中で、岩崎弥太郎にふんした香川照之さんが殊更不潔に演じられていたが、岩崎弥太郎が、仮に身分が低かったとしても、やがて三菱の創始者になるほどの人が、あのような馬鹿げた装束をするはずもない。遺族に対しても甚だ失礼である。

 ただ、これも最近になって知ったことであるが、「いのうえひでのり」さんと云う方が主催する「劇団新感線」という劇団が、「いのうえ歌舞伎」という芝居を公演し、爆発的観客数を集めているそうである。

 演目をテレビで垣間見たが、いわゆる面白ければ何でもありという事だそうだが、伝統的歌舞伎もこの世に出現した時は同じだったろうと云ういのうえさんの主張は同調できる。だからと言って、NHKの大河ドラマが何でも有りというのはうなずけない。いくら、娯楽のためだとは云え、そこにはこれ等の文化遺産と比べて、そこに必然性があってしかるべきである。取り分け、国民放送のNHKとしてはである。

 今ではこうしたテレビ番組も、世界各地で見られるようになったと聞いた。最近のこうしたドラマの映像が以前のように、ロケに依るものではなく、デジタル画像に変ったためと云うことらしいが、しかし、時代背景は、極力史実に近づける努力を払うのが、時代劇を扱う人の義務ではあるまいか。「平清盛」を誤って見る人が有ったら、まさに国賊的愚行と言わなければならない。(12.03.01仏法僧)