サイバー老人ホーム

321.国民総幸福量

 昨年、ブータン国王夫妻が来日した。このブータンと云う国は、ヒマラヤにある小国と云うのは誰でも知っているだろう。このブータンと云う国は、日本など先進国で目の色を替えて覇を競っているGNP(国民総生産)に変って、国民総幸福量と云うのが、政府の施政目標だと云う事も大方の人は知っているだろう。

 この「国民総幸福量(GNH)」と云うのは、1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティ、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の九つの項目について、八千人の国民から聞き取り調査を行い、国民が持つ正の感情、即ち寛容、満足、慈愛など、そして、負の感情としての怒り、不満、嫉妬などを地域別に把握して施政に生かしていると云うことである。

 この中の、「良い統治」と云うのは、廻りを強国に囲まれたブータンらしい項目であり、そういう環境の中で、選んだ、苦肉の策だったのだろう。即ちスローライフを指すもので、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものであると云うことらしい。

 この、ブータンと云う国は独特の衣服、即ち、男性はゴと云う民族衣装をまとい、女性は、キラという民族衣装をまとっている。一件、日本の和服に似ているが、起源は異なるらしい。この衣服を老若男女が臆面のなく着用しているところが如何にもほほえましい。
 人口は、七十万人足らずで、岡山市よりやや少ない。そのブータンが、「世界一幸せな国」として世界的に注目されていると云うのだからなんとも羨ましい。

 それならば、その幸せの根源は何かと云えば、互いに助け、助けられるのが当然であり、ブータンは主要産業はGDPの三十五パーセントを占める農業であり、従って農繁期には、互いに手伝うのは当然であり、その結果、孤立しないのが当然であり、しかも嬉しがりすぎず、悲しがりすぎず、両極端の感情から離れ、常に心のバランスを保ち、足るを知ると云うことである。

 これを見ると、どこかの高僧が述べた様なことで、国民すべてがこのような意識のもとに暮らしていて、国民の九十七パーセントが幸福と感じているのも、まさに世界一幸せの国と云っても過言ではない。

 そこで、ふと気がついたのは、この日本と云う国も、嘗てこのような考えのもとに国が運営されていた事に気がついた。それも今から百五十年程前の江戸時代にである。

 江戸時代と言えば、兎角封建制社家の典型と考えられて、どう考えても、「世界一幸福な国」とはおよそ縁がないように思われている。確かに、身分制や、租税制度などでは、不公平な社会の典型と思われる点が多かった。

 しかし市民生活を見た場合には、ブータンの九つの項目から大きく外れるものは見当たらない。

 江戸時代、指を折って数えるほどの江戸、大阪などの豪商は別として、総じて、貧しかった。ところが、この貧しさと云うのは、他との比較に於いてだけ生ずる感情で、誰もが貧しければ感じないものである。

 その意味から云っても、心理的幸福感は皆持っていただろうと思っている。それを表すものとして、第二次大戦後の日本は、国民の全てが貧しかった。しかし、貧しさを愁いて命を絶つなどの事はなかった。

 次が、健康であったかについては、考え方の違いであり、確かに、戦前まで「人生たかだか五十年」と言われているが、不健康だったことを意味しているとは思えない。逆に、長生きした事に依って味わう苦痛は今の方が遥かに多いはずである。

 教育については、今の方が恵まれているようだが、これ又逆に、教え込まれる苦痛は誰しも味わっている訳で、学ぶことの幸福感を求めて互いに学び合った昔が懐かしい。

 文化に至っては、遥かに江戸時代の方が洗練されていたであろう。ただ、情報化社会にいて、絶え間なく、様々な情報に晒される近代の方が幸福だったかという事に付いては、様々な見方が有るだろう。

 きらめくようなファッションに晒されるのが良いのか、ブータンのゴや、キラのようなに和服の小袖に統一されていた江戸時代みたいな生活を今の若い人はどのように考えるのだろうか。少なくとも、現役を去った我々の世代では、日々流行を追いかけ回す現在よりも、江戸時代の方が住みやすいと感じている。

 環境に付いても、様々な環境が有るが、今問題になっている自然環境では、問題なく江戸時代の方が良かった事になる。

 更に、コミュニティでは断然、江戸時代の方が優れている。その基本は家族制度であり、今のような親殺しや、子殺しなどと云う身の毛がよだつような事もなく、孤独死などもなかった。ただ、凶作や、貧しさの余り、間引きなどと云う事もあったが、これと、現在の中絶とはどの様に違うのだろうか。

 そして、コミュニティの典型とも云えるのは「五人組」である。「五人組」が年貢の徴収や、悪事の起きた時の連帯責任などと考えるのは考えすぎであり、この狙いは相互扶助にあった。

 更に村制度に於いても、相互扶助と、共同労働などで、相互に支え合っていた催(も)合(あ)いや、結い(ゆい)などの他、同族同士が支え合うマキ(主に東日本)等もあり、幾重にも互いに支え合っていて、今のように、田圃の真中に木が生える様な休耕田制度などなかった。

 ただ、生活水準だけは、取り分け戦後の日本人の努力で飛躍的に向上したが、その代償として失ったものも多かった事になる。

 そして、自分の時間の使い方である。確かに、生活水準の向上で、ゆとりは出来た。ただ、このゆとりを有効に使っているかという事になると話は別である。

 企業に於いては、このゆとりを合理化と評し、従業者の縮減に振り向けた。嘗て、苦役の代表でもあった農業なども、農業機械の発達から、少ない人数で大量生産が可能となったが、その為、借金は増大し、少規模農地は休耕地として放置される事になった。

 合理化で余裕の出た時間を、建設的に使うのでなく、多くは遊興に使ったのではあるまいか。私の子供の頃でも、遊びまわる人間を指して、「豪奢者!」などと、叱咤されたものである。

 こうして考えると、合理化とか、繁栄などと云うものは、人間の幸せに結びつくのか甚だ疑問である。

 今では寄る年並に依り、好むと好まざるとに関わらず、ブータンの目指したスローライフの日々を送っているが、そう思って自覚してみると、歳をとると云うのは、実に幸せなものである。(12.04.01仏法僧)