サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

207.「孤高の人」13

 山を登る場合、ただ「山がそこにあるから登る」と言うだけではなく、人それぞれに何かの思い込みがあるような気がする。それは、より高い山であったり、より険しい山であったり、その思いはそれぞれに違う。
 私の場合は、何で山に登るのかと考えてみると、より遠くの山に登りたいということであったような気がする。
 それでは、より遠くの山と言えば何かと言えば、地理上の遠近ではなくて、より遠くまで歩いて登れる山であったのかも知れない。
 北アルプスと言う山は登ってみたい山が目白押しに並んでいるが、北アルプスを目指した人なら誰でも一度は登ってみたいと言う山は、槍ヶ岳であり、穂高連峰であり、剣岳であり、立山連峰・後立山連峰ということになるのだろうか。
 ところが、比較的名前は知られていても登ったことの少ない山で黒岳と言う山がある。またの名前を水晶岳と言って、北アルプス連峰を登っているとどこからでも目に付く山である。と言うのはこの黒岳は「北アルプスのお臍」と言われる山で、北アルプスの中心に位置している山だからである。
 それならなぜそれほど多くの人が登らないかと言えば、遠い山だからである。少なくともこの山の頂上に立とうとするなら二日を要することになる。しかもこの山の近くには山小屋や水場が少なく、登るならそれ相応の準備が必要と言うことがその理由かもしれない。
 平成8年薬師岳の登った時も、翌年黒部五郎岳に登った時も、いつも離れる事もなく周りあった山が黒岳だが、いつかあの頂上にたってみたいという願望が常にあった。
 しかもその頂上に至る行程に、周囲を薬師岳、黒部五郎岳、さらに黒部川源流部に取り囲まれた雲の平と言う段丘がる。そしてその段丘の中には奥日本庭園やギリシャ庭園、スイス庭園などの魅力的な地名が至る所にある。
 黒部五郎岳に登った時はあいにくの雨で、その全貌を見ることは出来なかったが、双六キャンプ地から微かにその片鱗を垣間見たが、私の山登りの興味を引き出すのに十分な魅力があった。
 平成10年、再び折立から太郎兵衛平を目指し、このときは3年目と言うこともあり、昼前には太郎兵衛小屋に到着した。ここで昼食を取り始めた頃には再び小雨が降り始め、前年のいやな思い出が頭をよぎった。
 ここから黒岳を目指すのはコースを東に取り、黒部川源流の岸に立つ薬師沢小屋を目指すことになる。薬師沢小屋までは2時間半ほどの行程で、かなり早い時間に到着した。薬師小屋は差ほど大きな小屋ではなく、小屋の前には黒部川が音をたてて流れ下っていた。
 ここでも自炊だったが、食後、小屋の前の炉で岩魚を焼いている人がいて、鰭酒を御馳走になって、楽しいひと時を過ごした。
 翌朝、小屋の前のつり橋を渡ったところから、樹林帯の急坂が続き、雨中の歩行でかなりばて気味になったところで、ひょっこりと平地に出た。この頃になって雨も上がり始め、周りからまず黒部五郎岳が現れ始めた。
 その頃になるとあたり一面にさまざまな高山植物の群生が現れだし、まさに天井の楽園を歩いている感がして、奥日本庭園などの名前がむべなるかなの感がした。雲の平小屋で小休止し、再び歩き始めて祖父岳(2822)に登るための雲の平キャンプ地に入ると庭園はあっけなく終わった。
 ところが、祖父岳と言うのは簡単に登れそうな山だったが、高天原キャンプ地からの登りはかなり難儀した。特に取り付きの雪渓で登り口が分からず、かなりうろうろしたのが堪えたのかもしれない。
 広々した祖父岳頂上で昼食を取り、岩苔乗越に下り、ここから水晶小屋に向かった。ここからは昨年双六小屋の前面に立ちふさがっていた鷲羽岳の稜線である。かなり疲労したが比較的早い時間に水晶小屋に付いた。
 水晶小屋には水場がなく、したがって収容人員はせいぜい30人程度ではなかったろうか。しかもザックなどはすべて屋の外の箱の中に入れることになっていた。したがって、私のような自炊者の場合はよくよく計画を立てておかないと食事にもありつけないことになる。
 この小屋は高校生みたいな若い男女が小屋番をやっていたが、私のような自炊者には十分に気を使ってくれて狭いながらも気持ちの良い宿泊になった。
 翌朝、まだ暗いうちに起きて、水筒と乾パンだけを持って黒岳を目指した。ちょうど日の出前に黒岳の頂上に到着し、360度遮るもののない視界を楽しんだ。黒岳の頂上はせいぜい3〜4人が立っていられる程度の狭い頂上で、私以外に誰もおらず、思いのまま「北アルプスのお臍」を堪能した。
 小屋に戻ってから朝食後いよいよ裏銀座縦走コースの逍遥である。水晶小屋から東沢乗越まで下るとここから野口五郎岳、烏帽子岳につながる稜線をトレッキングすることになるが、このコースの魅力はなんといっても両側に名だたる名峰を従えていることである。
 ジグザクの登りを東に向いているときは槍ヶ岳、大天井岳など、西を向いているときは水晶岳、薬師岳、やがて剣岳と交互に展開してくる。
 野口五郎岳(2924)はかのタレントの名前の由来となった山だが、心に描いていた山とは違って、石屑の多いあまり特色のない山だった。
 野口五郎岳を過ぎてしばらく歩くとあちこちに駒草の花が現れてきた。近年、高山植物に興味を持って写真を撮り続けていたが、駒草にお目にかかったのはこの山が最初だが、その日の予定地であった烏帽子小屋に近づくに従い、かなり多く見かけた。
 烏帽子小屋にもかなり早く到着し、宿泊の準備をしてから、烏帽子岳(2628)に向かった。烏帽子岳は小屋から30分程度で到着できる岩峰で、親指を立てたような岩峰がにょっきりと天空に突き出しているが、ルートは裏側に回り込むとあっさりと登ることが出来た。
 頂上は畳二枚程度の平板な岩になっていて、この日も登山者は一人もおらず、たっぷりと360度遮ることのない展望を楽しめた。
 翌朝は高瀬川にかかった高瀬ダムを目指し、ブナ立尾根を下るのである。このブナ立尾根も日本三大急坂のひとつと聞いていたが、この時は下りであり、喘ぎ喘ぎ登ってくる登山者を尻目に快調に駆け下った。
 高瀬ダムには昼前に到着し、ここからタクシーでも帰れるが、この時は途中いくつかあるトンネルの暗闇を歩いて下り、途中の小さな沢で最後の昼飯を食べ、しかも途中の葛温泉に一泊して忘れがたい山行きとなった。(06.02仏法僧)