サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

205.「孤高の人」11

 夏山登山の最適期は梅雨明け三日後と言うことは子供のころから聞かされていた。平成7年7月、慎重に準備を重ねてきた北アルプス剣岳登山を決行する日が来た。
 大阪梅田から夜行バスに乗り、富山に向かった。30年前には夜行列車ゆられて北アルプス縦走を目指したときは、新宿発の急行であったが、座席が確保できず、込み合った車内でかろうじて床に横になれるスペースを確保して向かったのである。
 今度は、リクライニングシートの座席指定で、多少の煩さは会ったが、快適な旅立ちとなった。
 富山に早朝について、地鉄と言う私鉄に乗り換えて、立山で降りた。ここからケーブルに乗り換えて、美女平に向かうわけだが、黒山のような人だかりで、乗る順番が来るまでかなり待たされ、今更ながら登山熱の旺盛さに驚かされた。
 美女平でさらに室堂行きのバスに乗り換えるのだが、ここでも大変な人だかりで、果たして初日剣沢までという予定が到達できるか危ぶまれるほどであった。
 10時ごろ室堂について、足拵えをして、歩き始めたとき、ようやく又北アルプスに立てたと言う喜びと、不安と、誇らしい気分が一色たになって言葉にはならない高揚感が胸を襲った。
 みくりが池のまわりを回って、雷鳥沢から別山乗越に向かっていよいよ登りである。登る前にベンチで腹ごしらえをして登り始めたが、すぐにこれからの不安を感じさせるほどの厳しさだった。家の近くの山でかなりトレーニングを積んできたとはいえ、2千メートル級の山とは根本に違う。
 それでも昼前には別山乗り越しについて、眼前に立ちはだかる神々しいまでの剣岳の雄姿を見たとき抑えられない高揚感があった。
 剣沢キャンプ場についてから昼食をとり、幕営をすると、後は何もすることがない、近くの雪渓でグリセード(滑降)をしたり、剣沢をもう少し下り、夏の日に輝く剣岳を飽かずに眺め、まさに至福の時間を過ごした。
 翌朝はまだ暗いうちにおきて、簡易食料だけを持って懐中電灯の明かりを頼りに登り始めた。途中の鎖場で、30年以上前に同期生のYとKが得意げに話をしていたことを思い出し、いま彼らが通った同じ場所を登っていることに感慨を覚えた。
 剣岳(2998)の頂上には御来光の上がるちょうどそのときに到着した。昨日、剣沢で眺めたときには、剣岳と言う山は眼の錯覚があるのか、剣沢から見た姿は、誠に厳しく、果たしてこの山に登れるか懸念があったが、考えてみると剣岳までの登りにはさしたる困難はなかった。
 それでも頂上に立ったとき、ようやくここまで来れたと言う喜びは、喩えようがなく嬉しかった。その日は申し分のない好天気で、360度すべての視界が利いた。かつてないほどゆったりとした時間を頂上で過ごし、再び剣沢に戻り、簡単な昼食の後テントを撤収して、雷鳥沢に向かった。
 雷鳥沢で再び幕営したが、夕暮れまでにはたっぷり時間があり、雷鳥沢を流れる小川の縁で、ここでも至福の時間を過ごした。
 翌朝は山小屋の屋根で指導するラジオ体操の後、テントはそのままにして浄土山(2831)を目指して登り始めた。この浄土山と言うのは一の越側から登った場合には30分足らずで登れるが、室堂側から登るとなかなか難儀な山である。
 一の越に降りてから今度は立山三山を目指した。このころからは体調も絶好調となり、雄山(3003)の頂上で昼食を取り、立山神社でお祓いをしてもらい、大汝山(3015)に向かった。
 別山(2880)の頂上に立ったときにはまだ日はかなり高いところにあった。そのまま別山乗越から雷鳥沢に下りてはもったいないので、剣岳の眺望のよい右手の尾根を少し行って、小さな三角点でここでも飽かずに剣岳を眺めた。
 その日、もう一泊雷鳥沢のテントに泊まり、余裕を持って下山し、わたしの復帰第1回目の登山は大満足に終わった。
 そして、翌年には、阿弥陀岳のはるか向こうに見えた五色平から薬師岳を目指したのである。(06.01仏法僧)