サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

142.心の輝き

 我が家から車で15分ほどのところに阪神福祉事業団の特別養護老人ホーム「ななくさ白寿苑」がある。昨年6月から、ここの入所者にボランティアで絵を指導することになった。ただいま修行中の身でありながら出過ぎたこととは思ったが、お年寄りのお楽しみのお手伝い程度のことであれば、私でもと安易に引き受けたのである。

 ところが初めて参加者の皆さんにお目にかかって、はたと困ったのである。ひとつには私自身が特別養護老人ホームというものがどういうものか知らなかった。勿論すべての記憶を失ったということではないが、過去の記憶と現在の記憶が渾然一体となっていて、「さあ、これを画きましょう」と言うわけには行かないのである。

 人間、歳を取ると書くことが衰えるということをはじめて知った。早い話が丸や三角はおろか直線でもまともに書けなくなるのである。はて、この人たちに絵を画く楽しさを分かって貰い、一緒に画いてもらうにはどうしたらよいか思案に暮れたのである。

 当初予定していた簡単なモチーフを画いて貰うという方法は放棄して、まず鉛筆を持って直線や曲線などさまざまな形を画いてもらうことにしたが、これを2時間も画いていても誰でも面白いはずもない。そこで「絵描き歌」によるお絵かきをすることにした。「絵描き歌」というのは我々子供の頃は誰でも一度は経験があり、中には阿久悠さんではないが公開をはばかるようなものもあった。

 尤も、この歳になっても親に隠れて画いたようなことは覚えているが、肝心なものは忘れてしまった。結局、この「絵描き歌」は娘から教えてもらったサイトから「蛸入道」、「アヒルさん」、「パン屋さん」を頂き、これをとっかえ引き返せしてやるのであるが、いい爺さんが「ミミズが三匹這い出して・・・」とやるのであるからあまり人には見せられない風景ではある。

 この程度のものは二・三回やるとすぐ覚えて飽きられると思ったのであるが、さにあらず、半年たっても同じであり、毎回大声を上げて画き方を示すのである。ただ、面白いのはそのつど違った蛸入道が生まれ、「これはこれで良いワイ」と思うようになった。

 これに加えて画用紙に丸や三角を思い思いに画き重ね、これに色を塗ると結構面白いオブジェになり、少しずつ画くことと塗ることができるようになった。

 ただ、今でもモチーフを見てそれを絵として表現することはもう少し時間がかかりそうだが、簡単なモチーフやアドバイスで少しずつ表現できるようにはなってきたようである。それにも増して、当初はあまり喜んでいる風でもなく、ヘルパーさんが呼び集めていたが、最近は私が行く前に集まっていて待ちかねているようなのが何よりうれしい。

 今年になって、私自身を登録している介護センターからデイサービスを提供しているクライアントにも教えてほしいという要請があって、引き受けることにした。柳の下のどじょうとばかり、同じ方法でスタートしたのである。

 ところがこの人達は介護センターのサービスを受けているといってもまったく違っていたのである。何が違っていたかといえば頭脳の働きがむしろ私ごとき青二才の遠く及ばないところだったのである。「絵描き歌」でもオブジェでも瞬く間にできてしまうのである。

 最高齢が謡曲得意な96歳のさだばあさん、続いて89歳のさなえばあさん、さすがに長年の農業で腰はくの字ほどに曲がっているが、言われること考え方が若々しいというより魅力がある。

 教えた絵手紙などもさほどのこともなく仕上げ、そこに最近の自作の俳句をかなりしっかりした字体で書き加えるのである。さらに驚いたの10月に朝日新聞の「声」という投稿欄に投稿して採用されたという89歳のエッセイストでもある。

 布切れを使った立体的な押し絵に華麗な名人芸を見せるのがはるえばあさん(88)、千代紙だけで日本人形を造形するのがあや子ばあさん(84)、いまだに編み物や縫い物を得意とし、最近コンピューター制御のミシンを購入したと聞く。手芸に独特のアイデアを発揮するのがみさゑばあさん(85)、何の曲でも陽気に踊りだすのがユキエばあさん(80)と多士済々である。

 ふさばあさんとの出会いは10月に行われた公民館のパソコン講習の時である。市内北部の小さな公民館で、参加者総勢7名の中にふさばあさんが入っていた。
 申込書の年齢を見て驚いた。なんと81歳ということである。当日は非番で、翌日からの準備のためのオブザーバー参加だったため、全体の進捗を考えて私がふさばあさん専任で指導に当たることにしたのである。

 予想したとおりに何回繰り返しても同じ間違いをするのであるが、熱意たるや参加者の誰にも負けないものが有った。聞いてみると住まいが私の家から車で5分ほどのところで、その日の帰りから行き帰りとも私の車で通うことになった。
 結局、そのときの受講期間ではさほどの進歩はなかったが、車の中で話して聞かせたインターネットの効用やメールによる様々な人との交流に並々ならぬ熱意で、ふさばあさんのパソコン熱は一向に冷めなかったのである。

 11月に入ってふさばあさんから自宅に電話があり、個人指導をしてほしいということである。個人指導ということになれば個人宅に伺ってのことであり、いらぬ誤解を受けたり気を使わせてもいけないので、私が参加しているシルバーの斡旋の仕事と言うことにしてもらったのである。

 ただ、ふさばあさんはまだパソコンを持っていなかったので、利用範囲と年齢を考慮して高価な新品を買うより、中古を購入することを勧め、インターネットの中古市場から適当な機種を購入してやったのである。

 かくして週一回二時間ということでスタートし一ヵ月半、ふさばあさん待望の、パソコンによる年賀はがきを作成までにいたった。そして間もなくふさばあさんのメールが世界を飛び交うことになる。

 介護保険制度ができて二年になるが、私はできることならこの保険の世話にならず、可能な限り自立した生活を送りたいと思っている。そうは言っても、年とともに体力の衰えは避けるべくもないが、せめて私の「仲間」たちのように「心の輝き」を何時までも持ち続けられればと願っている。(03・12仏法僧)
(敬称は敬愛を込めてあえて使っています)